脚本家の倉本聰さんが、多臓器不全のため91歳で亡くなったことが9月28日、分かった。約1年前、手掛けた「北の国から」の再放送がスタート。今も色褪せない名作について「週刊文春」のインタビューに応じて、幻の続編計画も明かしていた。当時の記事の一部を再公開する。(初出:文春オンライン2025年10月8日配信)

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「再放送は大変有難いと思いますし、観ていると、あ、そういうところにドラマを絞って書いていったのかと、当時の僕自身の心情の揺れ動きというのがわかるし、新鮮だったなと感じることが多くて、いろいろと勉強になりますね」

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 1981年放送のフジテレビの名作ドラマ『北の国から』。今年8月、全24話が関東ローカルで再放送された。

25年ぶりの再放送、倉本聰氏の受け止めは…

 2000年から実に25年ぶりの地上波再放送。これを皮切りに全国の系列局で再放送の動きが爆発的に広がっている。10月6日時点で再放送がスタート、もしくは決定した局は9局17都道県にのぼる。10月6日からは舞台となった北海道でも再放送がスタートした。

 生みの親の脚本家・倉本聰氏(90)は、この動きをどう受け止めているのか。富良野市のアトリエで「週刊文春」のインタビューに応じ、「北の国から」誕生秘話と撮影の裏側、そしてかつての盟友である日枝久元フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役への想いなどを70分にわたって明かした--。


北海道富良野市のアトリエで取材に応じた脚本家の倉本氏 ©文藝春秋

 2002年にスペシャル版も終了。だが倉本氏にはその後も生き続ける黒板家を再びドラマにしたいという思いがあった。

「実は続編を作ろうという動きがあったんです」

 2012年には「文藝春秋」(2012年3月号)に「頭の中の『北の国から』--2011『つなみ』」を寄稿。東日本大震災の発生によって、福島県南相馬市の病院に看護師として勤める蛍の一家に降りかかる苦難と、純が原発の瓦礫物処理の仕事に身を投じる姿の構想が描かれていた。2021年には五郎役の田中邦衛が逝去する(享年88)。

「邦さんが亡くなって、実は吉岡(秀隆)くんや他の監督と続編を作ろうという動きがあったんです。日枝さんに手紙を出したんですけれども、まぁ、冷たかったですね。そのときに日枝さんというのはテレビ局の社長じゃなくて、不動産屋の社長なんだというのがわかりました。札幌に僕はよく行くけれども、老舗の札幌グランドホテルと札幌パークホテル、二つともフジのものなんですよね。テレビの儲けなんてたかが知れているということでしょう。

 だから彼の本業はそっちへ行っちゃったんですよ。いつの間にかそういうコングロマリットになっちゃって、テレビというものに愛情を持たなくなっちゃったんだなと。さらに昨年からのフジテレビの騒動を見ていて絶望しました」

 こう寂しく語る倉本氏はやがて、日枝氏に出した「北の国から」の続編を要望する手紙について、明かし始めたのだった--。

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 現在配信中の「週刊文春 電子版」では倉本氏独占インタビュー70分を全文公開。「北の国から」誕生秘話と撮影の裏側、そしてフジで続編が実現しなかった本当の理由と新たな続編計画まで余すことなく語っている。9月30日配信の「週刊文春 電子版」および10月1日発売の「週刊文春」でも追悼記事の掲載を予定している。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年10月16日号)