〈年金月14万円〉82歳母の急逝直後、「コンビニATM」へ走った52歳長男。葬儀費用「80万円」の引き出しに50歳長女「認めません」と想定外の反発
親の突然の訃報に直面し、葬儀代の確保や口座凍結への焦りから、故人の預金を独断で引き出してしまうケースは少なくありません。しかし、善意の行動であっても親族間の深刻な対立へと発展するリスクがあります。あるきょうだいの事例から、トラブルを防ぐために知っておくべき対処法について解説します。
「口座が止まる前に」とATMへ
「母さんが亡くなった。病院に来てくれ」
会社員の田中浩二さん(52歳・仮名)は、妹の由美さん(50歳・仮名)に電話をかけました。母の洋子さん(82歳・仮名)は、夫を10年前に亡くし、東京都内で1人暮らしをしていました。年金は月14万円ほど。普通預金には約470万円が残されていました。
その洋子さんが急逝しました。悲しみのなか、浩二さんの頭のなかに次に浮かんだのは葬儀費用のことでした。
洋子さんは以前から浩二さんに話していたといいます。
「葬式のことは、あんたたちに迷惑をかけないようにしておくから」
しかし、実際にその日が来ると、浩二さんは冷静ではいられませんでした。病院から葬儀社を紹介され、打ち合わせを始めると、見積額は約80万円。
「すぐ払える現金が必要になります」
そう説明を受けた浩二さんは、あることを思い出しました。母のキャッシュカードです。
「銀行が死亡を知ったら、口座が使えなくなる。葬儀代を確保しないと」
浩二さんは母の自宅へ戻り、キャッシュカードを持って近くのコンビニへ向かいました。ATMで1日に引き出せる限度額まで操作し、翌日も含めて合計80万円を現金化しました。
浩二さんにとって、それは母の遺産を自分のものにする行為ではありませんでした。
「葬儀のために下ろした。それだけです」
葬儀は4日後に終わりました。参列者は親族を中心に23人。葬儀社への支払いは62万円でした。火葬場までの移動費、親族の食事代、返礼品の追加分などを合わせると、浩二さんの手元から出た金額は70万円ほどにのぼりました。
問題が起きたのは、その後です。
由美さんが母の通帳を確認しました。
「これ、80万円下ろしてるよね」
死亡直後の日付でした。浩二さんはすぐに答えました。
「葬儀代だよ。口座が止まる前に下ろした」
「じゃあ、領収書は?」
浩二さんは、葬儀社の領収書を見せました。しかし、すべての領収書が残っていたわけではありません。食事代の一部やタクシー代、葬儀当日に購入した細かな品物など、現金で支払ったものの中には領収書を受け取っていないものもありました。
由美さんの表情が変わりました。
「80万円全部、葬儀に使ったって証明できるの?」
「俺がそんなことすると思ってるのか」
「思うとか思わないとかじゃない。お母さんのお金でしょう」
妹「兄が勝手にやったことが嫌だった」
政府広報や法務省が案内している「遺産分割前の預貯金払戻し制度」では、葬儀費用など、遺産分割を待てない支払いがある場合、一定の範囲で預金を払い戻すことができます。
家庭裁判所を通さずに金融機関の窓口で払い戻しを受ける場合、引き出せる額は、「相続開始時の預金額×3分の1×その相続人の法定相続分」で計算します。ただし、同じ金融機関からの払戻しには150万円の上限があります。
今回、洋子さんの普通預金が470万円で、相続人が浩二さんと由美さんの2人だけだった場合、法定相続分はそれぞれ2分の1です。計算すると、470万円×3分の1×2分の1となり、約78万円となります。
つまり、浩二さんが「口座が止まる前に」とコンビニATMで80万円を引き出すのではなく、母の死亡後に必要書類をそろえて金融機関に申し出ていれば、制度上、今回の葬儀費用にほぼ相当する金額を正式な手続きで払い戻せた可能性があります。
さらに、この制度による払戻しは、後の遺産分割では、払戻しを受けた相続人が遺産の一部を取得したものとして扱われます。つまり、「誰が、いくら受け取ったのか」が手続きの段階で明確になります。
一方、より多額の資金が必要な場合には、家庭裁判所に遺産分割の調停や審判を申し立てたうえで、必要性が認められれば、預貯金の仮払いを求める方法もあります。
浩二さんは、そんな制度を知りませんでした。
「葬儀が終わってから調べたんです。先に知っていたら、あんなふうに現金を下ろさなかった」
一方、由美さんが問題にしたのは、80万円を引き出した行為だけではありません。
「勝手にやったことが嫌だったんです。ひと言相談してくれればよかった」
残された預金は約390万円。きょうだい2人が相続人となり、預金を分ける話し合いが始まりました。しかし、80万円の扱いで意見が割れます。浩二さんは70万円程度を葬儀関連費用として計上し、残りについても細かな支出があったと説明しました。由美さんは認めませんでした。
「領収書がないなら、私は納得できない。お兄ちゃんが持っているお金として計算してほしい」
遺産分割のトラブルは、決して多額の資産家だけの問題ではありません。最高裁判所『令和7年 司法統計年報(家事編)』によると、家庭裁判所が扱った遺産分割事件(認容・調停成立件数、分割しないを除く)の総数8,321件のうち、遺産価額が5,000万円以下の件数は6,457件(約77.6%)に上り、1,000万円以下(2,938件)だけでも約35.3%を占めています。
本件のように「470万円程度の預金」であっても、事前の相談や明確な支出証明を欠けば、きょうだい間の感情的な対立に発展します。遺産分割前の払戻し制度など、制度をしっかりと理解したうえで、誠実に話し合うことがトラブルを防ぐ鍵になりそうです。

