富裕層に増税して家賃凍結、保育無償、バス無料…34歳のNY市長が「ただの社会主義者」ではないこれだけの理由

■公約の財源は富裕層と大企業への増税
アメリカでは民主社会主義を掲げる政治家が支持を広げており、日本の新聞はこれを「急進左派」と呼ぶ。資本主義のルールそのものを書き換える勢力、という含みがある。
だが、実際に体制の転換が試みられているわけではない。その象徴であるニューヨークのマムダニ市長が市役所に持ち込んだのは、選挙で使った戸別訪問だった。日本が学ぶべきものは、政策そのものよりもその手前にある。
2026年1月、ゾーラン・マムダニがニューヨーク市長に就任した。民主社会主義を掲げる34歳である。家賃の値上げを凍結する。バスを無料にする。保育を無償にする。市が食料品店を運営し、財源は富裕層と大企業への増税に求める。
マムダニ自身、みずからをフランクリン・ルーズベルトの系譜に置き、民主社会主義者は民主党がニューディールで持っていた原点を取り戻しているのだと語っている。体制の転換ではなく原点回帰だ、という言い方である。
民主党支持者のあいだで「社会主義」に好意的な人が増えているのは確かである。ところが無党派層になると、富裕層増税や全国民向け医療保険には賛成しても、「民主社会主義者」という看板には抵抗を感じる人が少なくない。
■10万人超のボランティアが300万軒を訪問
マムダニを早くから支えたDSA(Democratic Socialists of America=アメリカ民主社会主義者)は、全米に支部を持つ社会主義組織である。民主党のような選挙政党ではなく、地域支部が候補者を推薦し、会員が戸別訪問や電話かけを担う。
その綱領は、大企業や重要産業の社会的所有、労働組合の強化、外交の転換まで掲げる。ところが選挙では、「家賃が高い」「保育料が払えない」「食料品が値上がりした」「働いているのに暮らしが楽にならない」ということを丁寧に聞くことから始まった。
マムダニに賛同したのは、民主社会主義に魅力を感じた人だけではない。交通の不便さ、社会保障の穴、放置されたままの道路、相談する相手もない孤独、名前のつかない不安と、抱えているものはばらばらで、意見も違う。それでも同じ場所に集まっている。マムダニの市長選には10万人を超えるボランティアが参加し、300万軒以上を訪ねて話を聞いた。

■「当選したら終わり」にしなかった
就任2日目、マムダニは市民参加を担う部局を市に置いた。選挙が終われば消えてしまうはずのつながりを、市政のなかに残そうとしたのである。
4月には、この部局が「Organize NYC」を始めた。市職員やボランティアが住宅地を訪ね、家賃安定化住宅の家賃改定をめぐる公聴会への参加を呼びかける。借家人だけでなく家主にも声をかけ、証言内容は誘導しない。選挙でやっていたことを、市役所まで始めたのである。
ここには難しさがある。市長の政策を応援する人を増やすだけなら、後援会と変わらない。自分たちで要求をつくる人が増えれば、その要求が市長の考えと一致するとはかぎらない。
市民参加と政治動員とを分ける条件は、市役所の外側に独立した市民組織が残っていることである。教会や学校を基盤に地域団体を束ねるMetro IAFは、選挙前に1万人以上の住民の声を聞いて要求をまとめ、候補者と交渉した。当選後も応援団になったわけではなく、住宅政策をめぐる交渉を続けている。約束が不十分だと考えれば批判的な立場をとる。

■労働組合も「市長応援団」ではない
マムダニが大事にしているのは、法令順守と丁寧な対話だ。
2026年8月には、市長と労働組合の緊張関係がよく見える出来事があった。
市議会が7月、年収3万ドル台前半(約480万~560万円)で働く公立学校の教員補助職およそ2万5000人に最大1万ドル(約160万円)を支給する条例を、49対0の全会一致で可決した。労働組合も強く後押ししていた。
ところがマムダニは、賃金は議会が上から決めるものではなく、市と労働組合の団体交渉で決めるべきだとして異論を唱える。賃上げそのものを止めたわけではない。署名も拒否権行使もせずに条例を成立させたうえで、手続きの適法性を法廷で争っている。
政治家が労働者と組合を迂回して労働条件を決める前例をつくってはならない、というのが市側の言い分である。一方、教員組合は、マムダニが選挙中にこの支給策を支持していたとして反発している。
■聞かれなければ、意見は生まれない
私は、この20年あまり、人的資源管理と労使関係を研究しながら、アメリカの企業、労働組合、NPO、地域組織を数多く訪ね歩いてきた。そこで繰り返し目にしたのは、意見の違う人たちの話を聞き、その人が何をしたいのかを探す手伝いをするという、地味な作業だった。
シカゴにミッドウェスト・アカデミーという学校がある。1973年に開かれ、労働組合やNPO、地域団体のまとめ役を育ててきた。その研修に1週間参加して、それまでの常識が崩れた。アメリカの活動家は誰もが議論がうまいと思い込んでいたのだが、実際には声の大きい人が長く話し、ほとんど発言しない人もいる。まるで日本の会議と変わらなかった。
研修で繰り返すのは、相手の話をどう聞くか、どんな質問をするか、黙っている人をどう会話に入れるかということだった。それを続けていると、発言しなかった人が自分の職場や家族について話し始める。よく話していた人のほうは、ほかの人が話すのを待つようになる。
そこで教えられるのは、一人ひとりの事情から出発して、それを持ち寄りながら要求へまとめていく手順である。誰に何を求めるのか、こちらにどれだけ力があるのか、どこで折り合うのか。こうしたことは、アメリカの市民運動が積み上げてきた利害調整の技術である。

■アメリカ最大の労働組合の「流儀」
人は最初から、政策について完成した意見を持っているわけではない。「仕事で何に困っていますか」「家族について何が心配ですか」と聞かれて、はじめて立ち止まる。そこで自分の経験を話し、ほかの人の経験も聞くうちに、自分だけの事情だと思っていたことが同じ職場で繰り返されていると気づく。要求は、そうやって作られていく。
アメリカ最大の労働組合の全国組織AFL-CIOが、組合のない職場で働く人を地域からつなぐためにつくったWorking Americaという組織にも話を聞きに行った。会員500万人を超えるとされるこの組織も、一軒ずつ家を訪ねて普通の人の話を聞く。
その中心にいたスタッフであるキム・フェルナーに、方針を考える大学教授のようなブレーンがいるのかと尋ねたら、「いないわ。私たちが考えているのよ」という答えが返ってきた。
■「銀行型」で受け身の日本人
家を訪ね、話を聞く。うまくいかなければ方法を変えて、また聞く。その積み重ねから活動そのものをつくっているのだという。
ところが日本ではアメリカで見たのとは逆向きの発想に何度も出会った。非常勤講師をしている大学院で、労働組合やNPOの実務家が集まる「ユニオン・イノベーション」という授業を受け持っている。そこで見えてきたのは、参加をサービスの問題として考えてしまうことだった。
組合員が集まらない、スタッフが受け身だという課題を多くの学生が抱えていて、その解決には帰属意識を高めることが重要だと考える。そのために、より多くのサービスを提供しようとする。しかし、これではいつまでも「与える側」「受け取る側」のままである。
ブラジルの教育者パウロ・フレイレは、知識を預金のように注ぎ込む教育を「銀行型」と呼んで批判した。組織とメンバーのあいだにも、同じことが起きている。
テネシー州のハイランダー・フォークスクールで公民権運動の担い手を育てたマイルズ・ホートンもまた、答えを教えるよりも問い続けた人である。異なる意見の声を聞くというアメリカの民主主義は、この長い系譜の上にある。
■「市民の要求」がマムダニを生んだ
マムダニの話に戻ろう。彼の周りには、DSAがあり、労働組合があり、地域組織があり、借家人の組織があり、何年も玄関を叩いたオーガナイザーがいて、お互いの利害調整が継続している。
そこで話を聞かれた人たちは、聞かれることで初めて自分の思いに気づいていく。最初から同じ方向を向いていたわけではないし、今もってすべての人が同じ方向を向いているわけでもない。

翻って日本はどうだろうか。
どのようにしたいのかと誰かに聞いたり、聞かれたりという手間暇をかけているだろうか。自分はどうしたいのかと考えて、誰かに話すということをどれだけしているだろうか。
選挙になれば投票に行こうというメッセージをあちこちに見つけることができる。けれども、子供の塾代、親の介護、家のローンの支払い、漠然とした将来のこと、地域のこと、どんなささいなことでいいのだが、考えたり、誰かと話したりということがあるだろうか。マムダニが取り組んでいることはこれだ。
■政治家に投票するだけでは何も変わらない
選挙で投票することまでは考えても、選挙が終わった翌日からはサービスの受益者に戻り、トップダウンで何かが変わるのを待つことになっていないだろうか。思うようにならなければ、また次の選挙で投票する。いつまでも受益者のままだ。受益者でいることと、自分たちで要求をつくることのあいだには、大きな距離がある。
AIが普及すれば、何万人もの意見を集め、分類し、共通項を抜き出すのは簡単になる。だが、人が意見を持つ前の時間までは短縮できない。誰かに聞かれて初めて考える。人の話を聞いて、自分の考えが少し変わる。話がまとまらず、また会う。昨日反対した人とも、次の会議で顔を合わせる。効率は悪いし、時間もかかる。
それでも、この遠回りをなくせば、残るのは「私たちのために正しい答えを出してくれる誰か」を探す政治になる。それがテクノロジー企業の経営者か、優秀な官僚か、左派の政治家かは、その次の問題にすぎない。
マムダニの躍進を、アメリカで新しい「イズム」が勝ち始めた話として見るだけでは、実験の半分しか見えない。試されているのは、どんな社会をつくるかだけではない。誰がその社会をつくるのか。その問いを、もう一度人びとの側に戻そうとしていることにこそ、民主社会主義のアメリカから学べるものがある。
----------
山崎 憲(やまざき・けん)
明治大学経営学部教授
東京学芸大学教育学部卒業、明治大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。日本労働研究機構、在デトロイト日本国総領事館外務省専門調査員、労働政策研究・研修機構(JILPT)調査部主任調査員、中央大学法学部非常勤講師などを経て、2020年に明治大学経営学部准教授、2025年より現職。専門は人的資源管理、労使関係論。労務理論学会会長、社会政策学会会員。著書に『デトロイトウェイの破綻 日米自動車産業の明暗』(旬報社)、『「働くこと」を問い直す』(岩波新書)、『ジョブ型の真実とAIと協働』(日本生産性本部)。分担執筆に Skills and the Future of Work: Strategies for Inclusive Growth in Asia and the Pacific(ILO)、室田信一・石神圭子・竹端寛編『コミュニティ・オーガナイジングの理論と実践--領域横断的に読み解く』(有斐閣)。
----------
(明治大学経営学部教授 山崎 憲)
