少女の頃から映画スターを夢見て、自らを美しく磨き上げていたマリリン・モンロー。本名はノーマ・ジーン。生まれてすぐに里子に出された彼女は、母親のキスさえ知らない。父親が誰なのかもはっきりしていないという。

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 マリリン・モンローはいったいどんな幼少期を過ごしたのか。彼女が過ごした苦悩の日々とは――。ここでは、書籍『知れば知るほど泣けるマリリン・モンロー』(宝島SUGOI文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全3回の1回目/2回目につづく)


マリリン・モンロー ©時事通信社

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母親代わりのグレースに新しい恋人ができた

 グレース(編注:ノーマ・ジーンの母親代わり)はノーマ・ジーンを映画スターにすべく、まず、法的にノーマ・ジーンの保護者になろうとした。ノーマ・ジーンにとっても、グレースが保護者になってくれるのは嬉しかった。

 母親がいない孤独から逃れられるし、誰かが守ってくれる生活は心が安らぐ。グレースは裁判所にノーマ・ジーンの保護者になる申請をし、裁判所は正式に受理し審査に入った。

 これでノーマ・ジーンとグレースの生活は順調に進んでいくはずだった。しかし、そうはならなかった。

 グレースに新しい恋人ができた。アーヴィン・ゴダード。グレースより10歳年下のイケメン俳優。しかし、主演級ではなく端役でしかない。テキサス出身で3人の子どもがいる離婚者だった。

4人でそのまま暮らしていくことはできず…

 それでもグレースは、彼は映画スターだと周りに紹介して回った。若く逞しいゴダードに有頂天になり、二人は結婚した。

 当初は、ゴダードと、ゴダードの娘の一人、そして、グレースとノーマ・ジーンの4人で暮らした。ゴダードの娘はノーナといい、後に女優のジュディ・ローレンスとなる。

 ノーマ・ジーンとノーナは同じような年頃で、叱られそうになると二人で家の近くの胡桃の木の上に作った、ままごとのような小屋に逃げ込んだ。ノーナにとって、ノーマ・ジーンは内気な恥ずかしがりの女の子に見えた。

 幸せそうな4人家族だったが、ゴダードとグレースには定期収入がなかった。4人でそのまま暮らしていくことはできない。

口減らしのために孤児院に入れられることに

 ノーマ・ジーンは口減らしのために孤児院に入れられることになった。グレースは彼女を孤児院に入れることに、かなり抵抗した。ノーマ・ジーンは将来、映画スターになる。そのためにはグレース自身が育てなければならない。

 ゴダードは、グレースに言った

「運が向いてくるまでのほんの短時間さ」

 定期収入のないグレースも、ゴダードの言うことを聞かざるを得なかった。ノーマ・ジーンは1935年9月13日から、37年6月26日までの約1年9カ月、孤児院に入ることになる。

 ノーマ・ジーンの希望はまたしても踏みにじられた。温かい家族、温かい生活、手に入りそうになっては、するりとこぼれ落ちてしまう。

 やっと母親と一緒に暮らせるようになったときは、母親は病気になってしまった。保護者になってくれたグレースは新しい夫との生活を選んで、私を孤児院に入れた。

「冷水のお風呂」「厳格なしつけ」孤児院生活を悲惨な色に塗り替えて…

 ノーマ・ジーンが入った孤児院はハリウッド、エル・セントロ815番地のロサンゼルス孤児院である。広々とした赤レンガのコロニアル調の建物だった。

 孤児院にいた子どもたちは、すべてが孤児というわけではなかった。孤児院にいた50〜60人の子どもたちの多くは、ノーマ・ジーンと同じく極貧の両親が口減らしのために預けられた。

 孤児院の生活は、快適とまではいかないものの、ひどい環境ではなかった。少女と少年は別々の棟に分かれ、5〜6人ずつ1つの部屋で暮らした。料理や洗濯や掃除をしてくれる大人たちが雇われており、子どもたちには、年齢と体力に合わせて仕事が与えられたが、それは責任感を持たせるためであった。週に5セントから10セントの報酬ももらえた。

 ノーマ・ジーンは、マリリン・モンローになった後、孤児院生活を悲惨な色に塗り替えてファンに訴えた。

「人の子どもたちと一緒の部屋で暮らした。数百枚の皿洗いをさせられたわ。冷水のお風呂に、厳格なしつけ、トイレ掃除もやらされたの」

 すべてマリリン・モンローの作り話だ。

グレースの足は孤児院から遠のき、塞ぎ込む日々

 グレースも土曜日ごとにノーマ・ジーンに会いに来た。グレースが会いに来るとランチに出かけ、映画を見た。そして、ノーマ・ジーンに言った。

「きちんと整理がついたら、家に戻って一緒に暮らせるからね」

 ノーマ・ジーンが覚えている映画はクラーク・ゲーブルの『南海征服』だった。彼女は、実の母親グラディスと暮らしていたとき、壁に飾ってあった写真がクラーク・ゲーブルとそっくりだったことに気がついた。ノーマ・ジーンはそれから、自分の父親がクラーク・ゲーブルだと思い込んだ。

 しかし、グレースも時間がたつにつれ、母親のグラディスのときと同じように、来る頻度が減っていった。5週間も来ないときもあった。グレースが来なくなるとノーマ・ジーンはふさぎ込み、せき込むようになり、話し言葉もどもるようになった。

「わたしには素晴らしい両親がいる」

 そんなとき、ノーマ・ジーンは慰めを求めて空想にふけった。

「わたしには素晴らしい両親がいて、長い旅からもうすぐ帰ってきて、迎えに来てくれる」

空想の日々からの脱却

 ノーマ・ジーンは自分あての絵葉書を書いて、差出人を“パパとママより”として投函した。孤児院の子たちにも、パパやママのことを自慢した。もちろん、誰も信じてくれなかったが、それでもよかった。

 のちにマリリン・モンローは話している。

「わたしは、ただそれが本当だと信じたかったのよ。心から信じれば本当になりそうな気がしたの」

 信じるしか、心のよりどころはなかった。

 ノーマ・ジーンは、よく孤児院の屋根に乗って映画製作会社RKOスタジオのタワーを見つめた。

「あそこでお母さんが働いていたんだって。ものすごく寂しくてよく泣いたものよ。でもそれがわたしの夢と希望になったの。映画が作られる場所で私も働こうって。グレースにそのことを話すと飛び上がってよろこんだわ」

 そんなときだった。グレースは、ノーマ・ジーンの保護者権が正式に認められ、家族が4人になっても、何とか食べていけるだけの収入を得ることができるようになった。

 グレースはノーマ・ジーンを孤児院から引き取って、ゴダード家に向かい入れた。ノーマ・ジーンが11歳のときだった。しかし、ゴダード家での生活はまたも長く続かなかった。

「ブラウスは脱がされ、スカートも剝がされ…」酔ったゴダードの態度が急変

 ゴダード家に住んで4カ月たったある日、グレースとノーナが出かけているときだった。ノーマ・ジーンはゴダードと2人、家に残された。ゴダードは酔っていた。ゴダードはノーマ・ジーンに、そばに来るよう声をかけ、最初は優しく抱きしめた。

 ノーマ・ジーンは少し驚いたが、優しく抱きしめられたことが嬉しくてじっとしていた。

 突然、ゴダードの態度が急変した。ノーマ・ジーンの服を強引に脱がそうとしだした。息も荒くなって、酒臭さが迫ってくる。ノーマ・ジーンは逃げようともがいた。ゴダードの力はより強くなる。

「やめて!」

 ノーマ・ジーンは声を上げて抵抗する。ブラウスは脱がされ、スカートも剝がされた。体中を男の手がはい回る。恐ろしい嫌悪が襲ってきた。

 下着も脱がされそうになったとき、ドアが開く音が聞こえてきた。グレースとノーナが帰ってきた。助かった。ドアの前でノーマ・ジーンはへたり込んだ。

 ゴダードが、酒臭さを放ちながら、グレースに醜い言い訳をした。

「この小娘が下着になって、俺を誘ってきたんだ」

 ノーマ・ジーンは泣きじゃくりながら、頭を左右に振るしかできなかった。

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(別冊宝島編集部/Webオリジナル(外部転載))