谷川俊太郎さん(右)と伊藤比呂美さん(左)撮影:村山玄子

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日本の現代詩を代表する詩人、谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが逝去されました。享年92。「二十億光年の孤独」などの親しみやすい詩で多くのファンに愛された谷川さん。『婦人公論』2020年11月10日号の伊藤比呂美さんとの対談を再配信します。****************東京でひとり暮らしをする谷川俊太郎さんのもとに、熊本からこの対談のためにかけつけた伊藤比呂美さん。3度の結婚と3度の別れを経験したふたりの詩人に、自身の感覚や他者との関わり方を聞いてみると、「人の機嫌は損ねたくない」ということばが返ってきました(構成=田中有 撮影=村山玄子)

【動画】詩人同士の対話「機嫌よく、暮らすヒント」

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まずいものをまずいと思わなくなってる

伊藤 谷川さん、こんにちは! ずっとお会いしたかったぁ!

谷川 比呂美さん、早稲田大学で学生に詩を教えてるんだって?

伊藤 あたし、人の詩なんか興味なかったのに面白いんです。この2年、山のように読んでます。

谷川 偉いねえ。歳をとったら真人間になってきたね。

伊藤 アッハハ。谷川さんていつも変わらず穏やかですよね。

谷川 あのね、80年以上生きてると、だいたい感覚が鈍っていくんですよ。味覚とか、嗅覚とかね。美味しいものはわかるけど、まずいものをまずいと思わなくなってるから、すごいお得なの。そういう感覚の鈍化があるから、あんまり機嫌悪くならないっていうのはある。だからCovid-19も地球の変動としては気になるんだけど、自分ひとりとしては全然影響受けてないって感じ。

伊藤 アハハハ。だけど夜は完全におひとりでしょう。寂しいなって思うときは。

谷川 いやぁ、気が楽だなあと思いますね。

伊藤 どうやって時間を過ごされるんですか。

谷川 やっぱり年の功だと思うんだけど、なんにもしないでいられるんですよ。

伊藤 えー、あたしはそんなこと、とてもできない。

谷川 でしょう? 昔は庭を見るなんてこと全然しなかったの。でも今はここで椅子に座って、何もしないで庭を見ていられるの。

伊藤 ……何してるんですか。

谷川 なんにもしてないんだってば(笑)。昔はそんなことできなかった。しゃかしゃかして、せっかちで。すぐ何かしちゃう。

伊藤 あたしもそうですよ。おいくつくらいから今みたいに?

谷川 80代になってからかな。

伊藤 なんにもしないでぼーっと庭を見るの、楽しいんですね。

谷川 楽しいです。社会と関係しなくて済んでる、みたいな感覚。

伊藤 そういうときに詩を書いたりなさらないんですか?

谷川 詩が思い浮かぶときはありますけど、あんまりないですね。

伊藤 じゃあやっぱり詩っていうのは、机の前でコンピューターに向かって書く感じなんですか。

谷川 基本的にそうですね。でもこのごろ、朝起きたときにことばが浮かんでて、せこくメモしたりはしてますね。

伊藤 使います、それ?

谷川 そのことばをアイデアとして始められます。


「ぼくね、ひとりが一番ホッとできて、他人がいると気をつかっちゃって落ち着かないことを自覚してるの。人間が群生動物であるっていうことを、ちゃんと把握していないとダメだって思ってる」(谷川さん)

伊藤 普通ね、88歳くらいの男の高齢者って、たいへん失礼ですけど、感じ悪い人が多いじゃないですか。不機嫌で、むっつりして。

谷川 あ、そうなの?

伊藤 死んだイギリス人の夫なんか、ずーっと不機嫌でしたよ。でも、谷川さんはけっこう誰とでもしゃべるでしょう。

谷川 おれ、愛想がいいから。人の機嫌を損ねたくないから、一所懸命お相手しちゃうわけですよ。

伊藤 昔からそうですよね。そんなふうに生きるコツはありますか?

谷川 コツというか、本能でしょうね。ぼくね、ひとりが一番ホッとできて、他人がいると気をつかっちゃって落ち着かないことを自覚してるの。人間が群生動物であるっていうことを、ちゃんと把握していないとダメだって思ってる。

伊藤 あー、いいですねえ。

谷川 だから他人がいると一所懸命、群生動物しちゃうわけ。

伊藤 でもそれ、通常の男がずっと生きてきて、60歳、70歳になってさあやろうっていっても、できることじゃないでしょ。

谷川 ぼくはティーンエイジャーのころに仕事を始めてから、ずーっとそうしてきたんだから。

人間に対しては初めからデタッチメント

伊藤 誰かに声を荒らげたってことはないですか?

谷川 仕事で2度ほど怒鳴ったことは覚えてるね。50代ぐらいのときじゃなかったかな。

伊藤 えっ! へぇー、見てみたかった。谷川さんにはそういう印象ってまるでないですよ。

谷川 だからおれ、怒る能力がないんですよ。

伊藤 あと愛する能力もないんでしょ?(笑)

谷川 それはちょっと、異論を呈したくなるね(笑)。まあ、このごろずっと、デタッチメントって言ってるんだけどね。アタッチメントは「こだわる」「くっついてくる」ことで、その反対がデタッチメント。「何かから距離をおく」ってことなんですね。

伊藤 なるほど、いい概念ですね。デタッチメントですか。

谷川 たぶん、初めからデタッチメントなの、人間に対しては。


「あたし、ケンカがイヤなんです。ひとりっ子だから。人とケンカしたらもうこの世の終わりって思ってるんですよね。」(伊藤さん)

伊藤 あたしも、やっぱり基本、人の機嫌は損ねたくないんです。でも谷川さんとなんだか違うのは、アタッチするほうだからなんですよ、あたしは。

谷川 そんな感じがするね。

伊藤 じっくりアタッチを……しすぎるほうなんですけどね。だけど、マジックのすごい太いのでビーッと線を引いて、アタッチする人間とそれ以外の人とは分けてる。で、それ以外の人の方にはものすごく気をつかってデタッチなんですよ。過剰なくらい。

谷川 なるほどねえ。

伊藤 それにあたし、ケンカがイヤなんです。ひとりっ子だから。人とケンカしたらもうこの世の終わりって思ってるんですよね。

谷川 ハハハ。じゃ、男と別れるときもケンカ別れじゃないわけ?

伊藤 そこがねえ……、ケンカ別れなんですよ。

谷川 ああ、そうなんだ。

伊藤 そのときに、ホントにこの世の終わりかっていうような、驚きと……恐怖を感じますね。このあたしが、こんなにケンカしていいのか、みたいな。

谷川 おれも若いときはケンカ能力がちゃんとあったんだよ。最初の結婚のときなんて、盛大にケンカしてたもん。それがだんだんできなくなっていったのね。

伊藤 じゃあやっぱり離婚では、死ぬような思いしましたか。

谷川 あんまりそれはないね。引きずらない。

伊藤 あたしは引きずるんですよ。別れってのには4年かかりますね。4年かからないと次いけない。

谷川 うん、引きずりそうな感じがするよ。

伊藤 前々夫なんて、離婚してから何年か同居してましたもの。

落ち込んでるのがイヤになって立ち直った

谷川 アメリカだ、熊本だって、よく動く人が、コロナで動けなくなったのは、影響はないの?

伊藤 ひとり暮らしといっても、植物と動物に囲まれてますから。東京と熊本を行き来しなくなったら、犬も植物も思いっきり世話ができる。これだけアタッチしたい人間としては、ああいう存在がないとどうにかなっちゃうと思う。

谷川 ぼくは犬って言えばスヌーピー一辺倒だったからさ。(笑)

伊藤 全作品の翻訳終了おめでとうございます。今、どのぐらい仕事してらっしゃいますか?

谷川 8月は締切りが10本、もっとかな。「何でおれ、こんなに忙しいんだ」と思うことはあるね。

伊藤 だったら、けっこう毎日、無聊(ぶりょう)な時間っていうのは……。

谷川 なかなかとれない。庭見るのもね、ちょっと意識しないと。気が急いちゃったりしてね。

伊藤 じゃあ落ち込まない、ですね? 落ち込むときってありましたか。

谷川 ありましたよ。うつまではいかないけど。

伊藤 ウソッ! おいくつぐらいのときですか?

谷川 ぼくはミドルエイジクライシスっていうのがあったと思ってるわけ。50代くらいでね。自殺願望まではいかなかったけど、なんにもする気にならなくて。ドライブして帰ってくるなんてことをやってましたね。

伊藤 どうやってその落ち込みから立ち直ることができました?

谷川 自然に、落ち込んでるのがイヤになって立ち直っていったんじゃないかな。ま、そのころ、母親が認知症になっちゃって、そんなことで妻とうまくいかなくなったっていうのは大きな原因としてあったと思う。それだけが原因じゃないんでしょうけど。

伊藤 じゃ、もしおうちがうまくいってたら……。

谷川 いや、やっぱりうつにはなった、という感じが近いかな。

伊藤 谷川さん、怯えは? 死っていうものに近くなって……それに怯えることはないですか。

谷川 ないですよ。死までの怯えっていうのはあるけど。

伊藤 死までっていうのは?

谷川 死ぬ前にはどうしても他人の世話にならなきゃいけないじゃない。この家にずっと住んでいられるか、施設に入るのか、とか。

伊藤 なるほど。それは、怯えに近いものですかね。

谷川 やっぱり、ウンコ垂れ流しで死にたくないってのは、ありますよね。

伊藤 あたしの母が手足が動かなくなって、最初は落ち込んでましたけど、立ち直って数年生きました。人間ってウンコ垂れ流しでも生きちゃうんですよね。

谷川 そりゃそうだよ。(笑)

伊藤 死について、具体的なことは想像してらっしゃいます? どうやって息が止まるとか。死んだときに意識はどうなるかとか。

谷川 全然考えてません(笑)。だって死ぬのはさ、人生苦からの解放だと思ってる面があるんですよ。いちいち細部にわたって想像なんかしなくて、ぼんやりして死んでいくんじゃないかと思ってるけど。

伊藤 あたしはイヤ。自分の死を知りたい。ギリッギリまで見つめて、できれば……。

谷川 ことばにしたいんだ。哲学者だね。


「愛せないってどんな感覚ですか?」(伊藤さん)「その人を100%好きじゃないっていう感覚ですね。」(谷川さん)

愛が不足しているから距離がとれる

伊藤 谷川さん、怒鳴りはしないまでも、イラッとすることはあるでしょう。どうやって気分をコントロールしてますか?

谷川 そういう人に対して、「ああ、この人はこういう人なんだな」と興味を持ちますね。

伊藤 前に怒鳴ったときっていうのは、どんな感じでしたか。

谷川 もう相手の名前も覚えてないの。そうだ、夫婦でもあった。妻が酔っ払ってわけのわからないことをわめいてたときに、シャワー浴びせかけて怒鳴ったこと、あります。

伊藤 わぁ、こわぁ〜い。そういうこともするんだぁ〜(笑)。ものすごく意外。でもあたしも夫と口論して、噛みついたことある。

谷川 え、なんで? どこに?

伊藤 太ももに。英語でガーッと言われて追い詰められて、ついガブリと。でも恨まれて、痕が残って、1ヵ月は針のむしろだった。

谷川 やっぱり、ケンカ能力があるんだよ。

伊藤 イラッとしたときのあたしの手段も谷川さんと同じなんですよ。この人はあたしとは違って、こういうやり方なんだなって思う。そこでふっと消えるんですよね、わだかまりみたいなものが。それ、あたしがよく唱えてる、「あたしはあたし、人は人」なんです。これって、谷川さんの言うデタッチメントでしょう。

谷川 そうも言えますね。

伊藤 デタッチメントって、人間社会をうまく生き延びるために、必要不可欠な能力ですよね。

谷川 そうねえ。でもおれは妻から「なんで叱ってくれないのか、怒鳴ってくれないのか」ってことは言われてましたね。

伊藤 言われましたか。わかるわ、奥さんの気持ちは。でも実際は叱られたらイヤですよねー。ほかの誰に叱られるよりどしーんとくるんじゃないかしら。谷川さんに、その研ぎ澄まされた日本語で、お前のここがだめなんだとか言われたら……。立ち直れませんよ。

谷川 いや、おれそんなに人に対して親切じゃないから。そこまで関心がないの。簡単に言えば。

伊藤 妻にも?

谷川 妻にも。若い頃からの一番の悩みは、自分は「愛せない」ということなんですよ。相手が愛してくれないじゃなくて。

伊藤 愛せないってどんな感覚ですか?

谷川 その人を100%好きじゃないっていう感覚ですね。

伊藤 でも谷川さんだから、ことばを駆使して、いかにも自分は愛しているように見せかけることはできるでしょ。

谷川 でもやればやるほど嫌われますね。だいたいそんなことを上手くことばにできるというのは、実際には愛していないということですよ。愛していないとは言わないけれど、愛が不足しているから距離がとれるわけですよ。

あなた、あきらめるってことをしない人?

伊藤 距離、感じちゃうんでしょうね、妻としてはつらいですよ。あたしだってイヤだわ。じゃ、世の中の出来事に怒ったりします?

谷川 しない。全然しないね。

伊藤 あたしも社会を正すための活動ができないんです。人と関わるのが面倒くさくって。実はすごく人付き合いが悪いのかも。でも、人の面倒見はいいんですよ。たとえば学生たちのことはなめまわすように面倒を見ます。(笑)

谷川 そうだね。情が厚いからね、比呂美さんは。

伊藤 それも直接関わらないで済む、LINEやZoom越しの面倒見のよさ。オンライン最高。(笑)

谷川 あなた、あんまりあきらめるってことをしない人?

伊藤 あきらめる? 何に関してですか? 男? 社会正義?

谷川 ハハハ。おれは年とってきたらさ、やっぱりあきらめるってことがすごく好きになったの。

伊藤 へえ、何についてです。

谷川 何についてでも。だから、ケンカしなくなっちゃってるんだよね。諦念ってのはよくないことだって、みんな考えるんです。

伊藤 あたし、それ、すごく大切なことだと思いますよ。

谷川 でしょう。あきらめるっていうのは「明らかにする」ってのが語源だっていうのを聞いてから、あきらめるってことばがすごく大事になったんですよ。

伊藤 つまり、最後まで突き詰めないんでしょう。いろんなことについて。

谷川 まあ、あきらめるはそうですけどね。でも明らかにするってことは、自分の認識がそこから違うところにいくということでしょう。目の前のいろんな衝突とかとかよりも、そうじゃない次元でそれを見るってことだから。

伊藤 あたしの「あきらめる」より前向きですね。詩を長ーいこと書いてると、そういうところに行きつけるのかなあ。だって詩を書くってことばにこだわること……。

谷川 ぼくはなかったと思う。最初から、わりと。手放すのが早くなってるというか。

伊藤 あたしはありましたよ、こだわり。ものや人にも。今もそのこだわりで、植物を育てる。犬を育てる。それからことばも。ぜったいにあきらめない(笑)。でも年をとって、そうやって小出しにするから、人間関係のほうはすっきりして、ちょっとほっといてくださいみたいな感じで、機嫌よく生きてます。

谷川 それはすごい知恵ですよね。だからデタッチメントな一面って誰にでもあるんだと思うんです。自覚してないだけで。

伊藤 ですね。今日はお話ができて、あたしの中でいろいろ得心がいきました。ありがとうございました。

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