西田敏行さん

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視聴者にとってはチンプンカンプンな「鹿児島弁のアドリブを」

「西遊記」「池中玄太80キロ」から「釣りバカ日誌」シリーズ、「ドクターX」まで。数々の当たり役を得て、長らく第一線で活躍した名優・西田敏行さんが亡くなった。彼は、いかにして国民的俳優と呼ばれるまでになったのか。名優たちが語る「素顔」とは。【前後編の後編】

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【写真を見る】「局長&秘書」の貴重なオフショット 「探偵!ナイトスープ」で長年コンビを務めた

 前編【若いエキストラに「どこかで誰かが絶対見てるよ」 西田敏行さんの“共演者をとりこにする”素顔を盟友らが証言】では、撮影中はシリアスな顔を見せる西田さんの、楽屋での明るく気さくな素顔を紹介した。

西田敏行さん

 どんなドラマ、映画の撮影現場でも、共演者たちは西田さんの愛嬌と役者としての“すごみ”に驚愕(きょうがく)することになった。1990年の大河「翔ぶが如く」で西郷隆盛を演じた西田さんの「鹿児島ことば指導」を行う一方、西郷の片腕、篠原国幹役を演じた俳優でプロデューサーの西田聖志郎氏が振り返る。

「一番の思い出は若き日の西郷と大久保利通が砂浜を走るシーンでの出来事です。西田さんはそのシーンでアドリブを言いたかったんでしょうね。収録前にやって来て“聖志郎ちゃん、鹿児島弁でかけっこは何て言うの?”と聞いてきたので、“はしいぐらんご、と言いますよ”と伝えました」

 他にもいくつか質問し、ニタッと笑って現場に戻ろうとする西田さん。「そんなアドリブを使ったら全国の視聴者が混乱しますよ」と忠告すると、「分かっているよ、そんなこと」と笑っていたのだが、

「“よーい、スタート”がかかると見事に鹿児島弁でアドリブを言っていた。視聴者はチンプンカンプンですよね。それで大河ドラマ史上おそらく初めて、『翔ぶが如く』では標準語訳の字幕が使われたのです」(同)

“寝ている時以外はずっとそばにいて鹿児島弁で喋ってほしい”

 西田さんは鹿児島弁をマスターすることに並々ならぬ意欲を見せていた。

「西田さんはNHKが用意したホテルではなく、自費で押さえた旅館のご自分の部屋の隣に私の部屋を予約し、“寝ている時以外はずっとそばにいて鹿児島弁で喋ってほしい”と言われるのです。ロケバスに乗っている私を自家用車のベンツの西田さんの席の隣に呼び、ずっと鹿児島弁で会話していました。役に対する取り組み方が徹底していて、“役者魂”が本当にすごいと思いました」(西田聖志郎氏)

 深夜まで撮影が続いても、若い役者たちは西田さんの収録が終わるのを待っていた。

「終わると、何時だろうと西田さんは若いわれわれを飲みに連れて行ってくれた。西田さんは人間が“でかい”。しかもこまやかな気配りができる精神をお持ちでした」(同)

「セリフがどうこうというのを超越」

 95年の大河「八代将軍吉宗」で西田さんと共演した山田邦子も彼の心遣いに助けられた一人である。

「大河に出るのが初めての私がアガッているのを察して、一生懸命ふざけたりして緊張をほぐそうとしてくれたんです。実際、それで緊張がずいぶん和らぎましたね。麻布のバーに飲みにも連れて行ってもらい、そこに西田さんと仲が良い武田鉄矢さんのウイスキーのボトルがあって“あ、これ飲んじゃって構わないから”と……」

 山田はそう述懐する。

「西田さんは他の役者さんとはオーラが違い、側にいると本当に吉宗に見えました。しかも台本を広げているのを見たことがない。リハーサルギリギリまで関係のない話をしていても、本番となったらバシッと役に入る。セリフがどうこうというのを超越して、“吉宗ならこうだろ”といった境地にたどりついてしまっている感じでした」

「西田さんが話しているのか、黒ちゃん先生が話しているのか、見分けがつかない」

 NHKラジオのオーディオドラマ「新日曜名作座」で長らく西田さんと共演してきた女優の竹下景子は、93年に公開された山田洋次監督の映画「学校」でも西田さんと共演している。西田さんが演じたのは夜間中学の先生、黒井である。

「黒ちゃん先生役はご本人の温かい人間性とピッタリ合致していました。弱い人、日なたに出られない人への温かなまなざしは今でも忘れられません。生徒さんと話すシーンでは、西田さんご自身が感極まって、涙ぐみながら語っていました。これは台本ではなくてご自身の経験談なのでは、という場面もあり、もはや西田さんが話しているのか、黒ちゃん先生が話しているのか、見分けがつかないのです」(竹下)

「学校」で生徒の一人を演じた中江有里も言う。

「西田さんのすごいところは、普段と本番の境目があまりないところです。つまりお芝居をしていても、そう見えない。アドリブがすごいとよく言われますが、どれがアドリブか分からないくらい自然体。私も演者のはしくれですが、どうしたらあんなふうに演じられるのか、長年の謎です」

台本にない「宴会芸」のシーン

 映画「釣りバカ日誌」シリーズの11〜13の監督で日本映画監督協会理事長の本木克英氏はこう語る。

「西田さんは台本通りにやらないというイメージが広まっているかもしれませんが、時代劇などでは、正確に台本を表現する方です。長ゼリフを一字一句間違わずに言いながら、いろんなパターンの芝居を見せてくれる、ある意味で天才的な俳優でした」

 ただし、「釣りバカ」シリーズではアドリブを連発。本木氏が監督を務めた「13」には、西田さん演じるハマちゃんがイカの格好をして宴会芸をやるシーンがあるが、それも山田洋次氏らの脚本にはない西田さんのアイデアだった。

「ロケ地が富山で名産がホタルイカということで、西田さんがフラメンコをアレンジした“ホタルイカメンコ”でいこうと言って、私や助監督などスタッフと一緒に作りました」(同)

 元々はたった2行のセリフだけのシーンが、アドリブで2ページ分にまで広がったこともあった。

たった2行のセリフだけのシーンが、2ページ分に

 同じ「13」でトロッコ電車に乗って黒部峡谷を見に行くシーン。たまたま乗り合わせた釣り人のおじさんに、ハマちゃんが“この辺は何が釣れんの?”と聞くと、おじさんが“イワナ”と言いながらイワナを見せる。それだけの場面だったが、撮影の前の晩、

「私と西田さんと、乗り合わせるおじさん役の俳優・梅津榮さんでお酒を飲みながら話している時、この地域は佐伯という名前が多いから、そのおじさんは釣りの“佐伯名人”という設定にしましょうと私がアイデアを出しました」(本木氏)

 そして臨んだ翌日の撮影。電車内のシーンのため、一発勝負で撮るしかない。

「そこで、西田さんは佐伯名人が出した本を読みましたとか、その本のタイトルが『イワナは何も言わない』だとか、サインくださいとか、アドリブを出してきた。佐伯名人の梅津さんも変な短詩を作り出して応酬して……。台本からさらに踏み込んだ設定を元に、西田さんたちは即興芝居をやって、それを書き起こすと2ページ分くらいになっていた。もう驚愕(きょうがく)するばかりでしたね」(同)

高速で走る新幹線の中で軽妙にダンス

 2003年に公開された井筒和幸監督のヒット作「ゲロッパ!」でも、主演した西田さんの芸達者ぶりがいかんなく発揮されている。

「映画の冒頭、新幹線の中で西田さんがジェームス・ブラウンの曲を歌いながら踊るシーンがあります。JRにお願いして実際に運行している新幹線を1両だけ貸し切りにしてもらってロケをしたんですが、あんな高速で走っている中で、軽妙に踊れる役者なんて、そうはいませんよ」(井筒監督)

 音に対するセンスも抜群だった。

「『ゲロッパ!』の中では軽やかに関西弁を使いこなしていますが、アドリブもそれがあってこそできる技でしょう。ペットの大トカゲを引き寄せて顔につけるシーンで“あー、冷たぁ”とか、脚本にない細かいアドリブをテンポよく差し込んでくるんです。西田さんの芸は、天性の資質を持った俳優が、長い時間をかけてたどりつく至芸でした」(同)

 03年に西田さんは心筋梗塞で倒れたが、それは「ゲロッパ!」の撮影を終えた後だった。

「この番組が終わる時は戦争が起こる時だ」

 俳優業だけではなく、西田さんは01年に始めた「探偵!ナイトスクープ」の「局長」の仕事にも力を入れていた。西田さんの秘書役を長く務めた岡部まりが話す。

「西田さんはよく番組について『今の仕込んだ笑いは人をおとしめる笑いが多いが、“スクープ”は人間のおかしみを見て、思わずほほ笑んでしまうような悪意のない笑いでできている。この番組には人の偶然性、素がそのままに映っている。大阪でなければ撮る人も撮られる人もこんな無防備な姿にならない。これが許されているのはこの番組しかない』と言っていました」

 番組を卒業する時にも、「『VTRを中心とした構造がある限り、この番組は100年続く。この番組が終わる時は戦争が起こる時だ』と。だから西田さんの素直さと、この番組はつながっているんです。西田さんが卒業した後もいろいろと相談に乗っていただいていました。西田さんの体調がすぐれなかったここ1年ほどはお会いしていませんが、LINEではやりとりしていました」(同)

「風」にすらなりきる天性のセンス

 竹下景子(前出)が言う。

「ここ10年の間、西田さんは度々体調を崩されて『新日曜名作座』の収録をお休みされることもありましたが、その度に見事に復帰されてきました」

 収録では、得意のアドリブもよく繰り出していたという。

「以前、朝井まかてさんの『雲上雲下』で、西田さんが『風』の役を演じたことがありました。ファンタジーだから、草とか風が喋るんです。西田さんは『風』として喋るうちにいつの間にか自然と歌いながら喋るようになっていたんです。メロディーは全くのアドリブなのですが、『風』の役に見事にハマっていて。天性のセンスですよね」(同)

「車いすに乗っていても西田さんは西田さん」

 竹下が最後に西田さんに会ったのは今年7月半ばの収録の時だった。

「ここ1年ほど、西田さんはNHKの局内を車いすで移動していて、“やあどうもどうも暑いですねえ”なんてあいさつをしてくれて。何てことのないあいさつなのですが、温かみがあって現場の空気が和らぐんです。車いすに乗っていても西田さんは西田さんでした」(竹下)

 西田さんは82年にTBS系列で放送されたドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」を“すごく大事にしている”と語っていたという。

「ひと際思い入れがおありだったようで、今でも時々家で見返す、と仰っていました」(同)

 過去作品を見直し、“次”に役立てようとしていたのかもしれない。どこまでも貪欲に高みを追い求め、あらゆる人を笑顔にした76年の役者人生だった。

 前編【若いエキストラに「どこかで誰かが絶対見てるよ」 西田敏行さんの“共演者をとりこにする”素顔を盟友らが証言】では、撮影中はシリアスな顔を見せる西田さんの、楽屋での明るく気さくな素顔を紹介している。

「週刊新潮」2024年10月31日号 掲載