「報道ステーションの司会」は本当に苦しかった…"名実況"が通用しない古舘伊知郎さんを救った「養老先生の言葉」
※本稿は、古舘伊知郎『伝えるための準備学』(ひろのぶと株式会社)の一部を再編集したものです。
■天才・立川談志のすごさ
驚くべきことに、世の中には、ほとんど準備を感じさせない人もいる。僕の知る限りでは、たとえば立川談志さんだ。もう亡くなってしまったけど、一時期、談志さんにはかわいがっていただいた。おかげで、弟子になったわけでもないのに、立川談志という稀代の噺家の凄みを間近で目撃できた。
そういえば、落語の世界では真打の噺家を「師匠」と呼ぶことがある。だが、あんまり誰も彼もが「師匠」って言ってしまうと、師匠のインフレが起きるじゃないか。僕は噺家ではないし、彼の弟子でもない。「おまえの師匠じゃないだろ!」という話だ。
だから僕は「師匠」とは呼ばない。あくまでも僕は、の話ではあるけれど、その人のことを本当の師匠だと思って尊敬しているからこそ、噺家・仲間内ではない僕は、「談志さん」と呼んでいる。
■天才にだけ許された「準備なき本番」
それでだ。談志さんの話だ。
談志さんいわく「努力とは、馬鹿のやる所業である」。努力という準備など「馬鹿のマスターベーション」に過ぎないとまで言い切って、努力する姿を見せないどころか本当に準備をしない――と見せかけていた。そもそも努力してみないと馬鹿のやることはわからない。だから談志さんとて準備の前科三犯なのだと思う。
彼はある意味、「ぶっつけ本番、これこそ自分の準備」と自分に言い聞かせる「心の準備」を常にしていたとはいえるかもしれない。けれどもそれは、凡人である僕が語る準備学とは次元の異なるもの。やっぱり彼は準備を遠ざける、ひと握りの天才だった。
もちろん談志さんにも弟子だった時代がある。その頃は師匠からの口伝で必死に噺を覚えたはずだ。
だが真打となり、特に晩年になると、準備も何もなく高座に上がる。自宅を出て会場に辿り着き、衣装を身につけ、あの緋毛氈の上の座布団に腰を据えるだけ。あとは、その場で思いついたことを当てもなく話しつつ、すっかり頭に入っている噺を披露する。これこそ名人芸ではないか。
■談志の真骨頂、裏切り芸
落語には必ず導入の「枕」がある。小噺から始め、頃合いのところでサッと羽織を脱いだら本編に入るという、古来の様式美だ。
ところが晩年の談志さんときたら、どうだったか。たとえば、あるとき伺った高座は、一言一句覚えているわけではないが、概ね、こんな具合だった。
「いやあ、とっちらかっちゃってねえ。まったくやる気がないです。今は家族と離れて寂しく暮らしているわけで……なんて話は聞きたくもねーだろうけど、噺家が噺をやりたくねえってんだからしょうがない。本番をやる気がない人間を、わざわざ金を払って見に来ている、あんた方はバカだ。なんて言っている俺が本当のバカなんだから、どうにもしょうがねー」
こんな話が当てもなく続いたかと思ったら、いつの間にか噺が始まっていた。枕ともいえない愚痴をくどくどと聞かされて、裏切られたと感じる人もいたかもしれないが、僕には、これが裏切りを含めた芸、サービスに見えた。一度期待値を下げて下げて、あとはおもしろさのリバウンドを誘うのだ。
■自分なんて大したことないと認めてこそ準備に取り組める
噺家としての才能、そして常にカッコつけていたいという性格。それらが相まって、談志さんは史上稀に見る孤高の噺家として伝説を残したのだと思う。
そんな天才は、この世にほんのひと握りしかいない。談志さんみたいな本物の天才を間近で見てきたからこそ、僕は、痛いほどに自分の程度がわかっている。
僕は天才ではない。どれほどキャリアを積もうとも、必死の準備が必要な凡人であることには変わりないのだ。あえていうなら、準備好きの大凡人。
自分なんて大したものではないと認めるのは苦しい。だけど、そう認めることで、せっせと準備に勤しむことができるようになる。負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、これこそ凡人の底力ではないだろうか。
僕も「トーキングブルース」という場で人様に喋りを披露しているわけだが、毎年、入念に準備する。談志さんのように「準備がないかのごとく本番をこなす」という域にはとうてい達していない。いや、永遠に到達できないだろう。でも、そのぶん、もうちょっとは生きて、まだ「トーキングブルース」もがんばれるかなと思っているところだ。
準備しなくていいのはひと握りの天才だけ。そして自分は天才ではない――僕も、おそらく、あなたも。そう認めることからすべてが始まる。
■効率、能率など度外視の「やみつき状態」になる
僕は「傷つくこと」こそ準備なのだと思う。「磨く」とは無数の細かい傷をつけることである、と。
傷つくのは当然、楽しいことではない。苦しく、つらいことだろう。
そこで僕の次の提言としては、この苦しい準備というものに、ぜひ積極的に挑んで「やみつき」になってほしいのだ。
まず、コスパやタイパ重視で手っ取り早く成果を得ようとしないことだ。それだと準備のスケールが小さくなって、結果、得られるものも小さくまとまりがちになる。
遠回りし、時間をかけた濃密な準備のプロセスの中にこそ、お宝がいっぱい眠っている。それらを自力で掘り起こすには、効率、能率など度外視の「やみつき状態」になることが欠かせない。準備にやみつきになっている状態とは、別の言い方をすれば、時間を忘れて没頭し、無我夢中で準備をしている状態。準備の熟睡状態だ。
脳は、我を忘れて夢中でフル活動させると、普段以上の能力を発揮するものだと思う。いつもは眠っている勘が働くようになり、小さなことに気づくようになったり、少し先の予測がつくようになったりする。
だから、準備の段階で調査や資料集め、イメトレなどを徹底的にして脳をオーバーヒート寸前にまで持っていくと、本番で普段以上の力を発揮できるはずだ。
■オーバーヒート寸前まで準備すると思わぬ宝に出会える
2時間15分ぶっ通しで喋り続ける「トーキングブルース」では、このオーバーヒート寸前状態がずっと続くせいで、まるで焼き切れ寸前の、煙が出ているような状態になる。公演中は半狂乱。少し宙に浮いているような感覚だ。何カ所か意識や思考がパーンと飛んだり、脳と肉体の連携がまずくなって滑舌に悪影響が出たりする。
人間が1対900で向き合っているのだ。そこには快感もあるし、幸福感もあるし、たくさんのお客さんにお越しいただけてうれしいのだけれど、やっぱり等身大・実寸大の自分ではとても耐えきれない。もし、本当に素の自分になってしまったら、「すみません、失礼いたします。空席が見えるので、僕も客席に行かせていただきます」となってしまうだろう。
でも、その半狂乱でオーバーヒート寸前の異常な脳の状態で夢中でやっているうちに、まるで福音が降りてきたかのような瞬間が訪れるものなのだ。普段では作動しない予感が走るなど、特別な感覚になることが本当にある。
オーバーヒート寸前の状態を続けるのだから、いくらかは肉体にも精神にも休息が必要だ。でも焼き切れそうなまでに、準備にのめり込むと、思わぬ宝に巡り合える。
■苦しみのどん底だと思っても、それは本当のどん底じゃない
やみつきになれるほど準備が癖になれば、そこには「苦しみの愉悦」が生まれ、オーバーヒートしそうなほどの準備が楽しくなってくる。
ただし、オーバーヒート寸前になるまで脳をフル回転させるのは、そう簡単にできることではないかもしれない。慣れないうちは、まだ泳ぎを知らない子供のように準備の海でアップアップするし、苦しく感じることだってあるだろう。
僕の場合、特に「報道ステーション」のメインキャスターになりたての頃は、本当に苦しかった。プロレスやF1の実況でも、しばしば視聴者の厳しい声を浴びていたが、「報道ステーション」のそれはわけが違う。その都度傷つき、また、自分の言葉で人を傷つけてしまったことも数知れず。そんな中で最初の頃は「この苦しみからは永遠に抜け出せない」なんて思っていた。当然、その心持ちで向き合う準備も、苦しかった。
しかし、いつしか「本当に苦しいな」というときに、苦しみを楽しめる瞬間がポツポツと出てきたのだ。そうして、「あれ?苦しいのも悪いことだけじゃないぞ」「いっそ、この状況を楽しんでしまえ」と思えるようになった。
解剖学者の養老孟司先生にある時いただいた言葉にも、影響を受けている。
「古舘さん、たとえ苦しみのどん底だと思っても、それは本当のどん底じゃない。その証拠に、まだ下を掘れるでしょう? まだまだ掘りゃいいんです」
確かにそうだ。掘ればいいのだ。ここから抜けられない、底辺だと思うなら、まだまだ掘って掘って、掘ってやろう、と。明けない夜はない。ならばいっそ開き直って、とことん付き合ってやればいい。
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古舘 伊知郎(ふるたち・いちろう)
フリーアナウンサー
立教大学を卒業後、1977年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。
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(フリーアナウンサー 古舘 伊知郎)