大会を制したディン・ウェンイー(ディン・ウェンイー公式Instagramより)

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松山の“初マスターズ”はこの大会で

 2009年、「優勝すればマスターズに出られる」という謳い文句で創設された「アジア・アマチュア選手権」は、2012年から「アジア・パシフィック(太平洋)・アマチュア選手権」に名称が改められた。後に優勝特典は「優勝すればマスターズと全英オープンに出られる」に拡大され、アジア太平洋地域のアマチュア選手たちの目標となってきた。

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 日本のゴルフ界のエース、松山英樹がマスターズに初めて出場したのは2011年のことだった。

 松山は2010年のアジア・アマチュア選手権を制し、優勝特典として翌年のマスターズ出場資格を授けられ、夢にまで見たオーガスタ・ナショナルの土を初めて踏んだ。2011年も同大会を連覇し、2012年のマスターズにも出場した。

大会を制したディン・ウェンイー(ディン・ウェンイー公式Instagramより)

 その後、2018年には金谷拓実が、2021年には中島啓太が同大会を制し、当時すでに拡大されていた優勝特典を享受して、各々、翌年のマスターズと全英オープンに出場した。

 今年は優勝特典に「全英アマチュアに出られる」も加えられ、魅力はさらに増していた。日本のアマチュア界の期待の星、昨年の日本アマ覇者で、現在は早稲田大学3年生の中野麟太朗も、この大会で勝つことを2024年の最大の目標に掲げていた。

今年の優勝者が直面した「こんな問題」

 中野は周囲の期待に応えるかのように好発進を切り、2日目には単独首位へ浮上。しかし、悪天候による不規則進行が続いていた第3ラウンドと最終ラウンドでは、大会前から抱えていた親指の痛みも影響した様子で、徐々に失速気味になった。

 それでも最後の最後まで執拗に粘り、スコアを落としても盛り返す意地を見せた。だが、残念ながら勝利を逃し、2打差の単独3位に甘んじた。

 そして、見事、勝利を掴んだのは中国の19歳、ディン・ウェンイーだった。しかし、優勝後にディンが口にした言葉は、周囲を大いに驚かせた。

「元々、この大会は僕にとってアマチュア最後の大会になると思って挑んでいたし、来週にもプロ転向するつもりだった。でも、まさか僕が優勝して、こんな問題に直面するとは思ってもいなかった」

「こんな問題」とは、優勝特典である来年のマスターズと全英オープン、全英アマの出場権を選ぶか、それともそれらをすべて辞退して、すぐにでもプロ転向し、欧州のDPワールドツアーの出場権を手に入れるか。その二者択一を迫られる事態を指していた。

ディンが出場辞退した理由に新制度

 優勝特典として授けられるメジャー大会出場権は、アマチュアのステイタスを維持していなければ享受できないことが、あらかじめ規定されている。すぐにプロ転向してしまったら、来年のマスターズと全英オープンの出場権は放棄することになる。

 しかし、ディンは「たぶん僕はプロ転向する。そしてDPワールドツアーのツアーカード(出場権)を選ぶ」。

 そんなディンの言葉を耳にして、アジア・パシフィック・アマチュアを主催するR&Aやオーガスタ・ナショナルの関係者は複雑な表情を見せていた。

「せっかく授けられたマスターズと全英オープンの出場権を自ら辞退するなんて……」と、誰もが思うことは想像に難くない。

 しかし、よくよく聞いてみれば、ディンがそうすることを選んだ背景には、R&A等の協力を得てDPワールドツアーが今年6月に創設した新たな制度の存在があり、だからこそ、R&Aをはじめとするアジア・パシフィック・アマチュアの大会関係者は複雑な表情を見せたのだ。

大学を離れてまで新制度を利用

 今年6月、DPワールドツアーはR&AやPGAツアー、WAGR(世界アマチュア・ゴルフ・ランキング)の協力を得て、「グローバル・アマチュア・パスウェイ」なる新たな制度を創設した。

 世界トップレベルの男子アマチュア選手にプロキャリアの第一歩をスムーズに踏み出してもらうための新たな道として、全米カレッジゴルファー(NCAAディビジョンI)を除くWAGRトップ20に翌年のDPワールドツアー出場資格が付与されることになった。

 これは、PGAツアーが全米のカレッジゴルファーを対象に創設した「PGAツアー・ユニバーシティ」という制度を、米国以外の世界のアマチュア向けに拡大した“グローバル・バージョン”と言っていい。

 米ゴルフウィークによると、この制度の立ち上げが発表された今年6月、ディンは米国のアリゾナ州立大学に在籍していた。制度を利用してDPワールドツアーからプロキャリアを歩み始めようと意を決したが、全米カレッジゴルファーのままでは制度の対象になれないため、この秋、大学を離れたそうだ。

 米国のカレッジゴルフ経由で歩み始めていたプロへの道を、DPワールドツアー経由でプロデビューする道へと素早く方向転換したのである。

 すでにPGAツアーやDPワールドツアーの数試合に挑み、さまざまなアマチュア大会でも次々に好成績を上げていたディンは、自身が目指した通り、グローバル・アマチュア・パスウエイ・ランキングで堂々1位に躍り出た。「その年の終わりまでに20歳以上であること」という条件が付けられているが、ディンはこの11月で20歳だ。すべての条件をクリアできている。

アマチュア・キャリアの「仕上げ」として

 R&A等が創設したアジア・パシフィック・アマチュア選手権における最大の魅力が、やはりR&A等が創設した新たな制度によって「活かされなくなった」「活かせない状況になった」ことは、ある意味、皮肉な偶然だった。

 しかし、ゴルフ界をリードするR&A等が若い才能を最大限に生かそうと考えた末にクリエイトされた制度が、世界のアマチュア界のトッププレーヤーによって、それほどまでにフル活用されつつあると前向きに捉えることもできる。

 それにしても、と首を傾げる人々もいることだろう。大会後にすぐにプロ転向することをあらかじめ決めていて、「マスターズと全英オープン、全英アマに出られる」という優勝特典を辞退するのなら、なぜディンは、わざわざ今年の同大会に出場したのか。

 だが、ディンにはディンなりの想いがある。彼は同大会に過去3度出場し、いずれも悔しい想いを噛み締めた。とりわけ昨年大会は3人によるサドンデス・プレーオフで敗れ、2位に甘んじた。

 ディンにとって今回の出場は、アマチュアとしてのラスト大会であり、アマチュア・キャリアの「仕上げ」「けじめ」のようなものだったのではないだろうか。

プロアマともにゴルフ界の競争激化

 ゴルフ界を牽引するR&AやUSGA、そしてプロゴルフ界をリードするPGAツアーやDPワールドツアーがアマチュアのために作り出したパスウエイ(道)の中で、どの道をどう選び、どうやって歩いていくか。その選択と判断は、もちろん本人次第である。

「まさか優勝するなんて……」

 それはディンにとっては、うれしいサプライズであり、優勝特典を放棄することになったことも彼にとっては予想外で想像以上の驚きであり、あらかじめ「優勝して優勝特典を放棄しよう」などとは思ってもいなかった様子である。

 もしも、10月に開催された今大会の翌週や翌々週にマスターズや全英オープンが開催されるのであれば、ディンは、それらに出場してからプロ転向することもできたのかもしれない。

 しかし、マスターズは来年4月、全英オープンは来年7月だ。若年化に拍車がかかるプロゴルフ界で輝かしいプロキャリアを目指し、先を急ぐ若い才能にとって、それまでの半年から1年弱は待つことができない長い日々ということなのだろう。

「アマチュアであれ、プロであれ、僕は必ずマスターズにも全英オープンにも出場する」

 歩む道は自分で決め、自分で切り拓く。そう決意し、毅然と語ったディンは、今はまだ19歳のアマチュアながら、とてもたくましく感じられた。同時に、世界のアマチュアゴルフ界とプロゴルフ界の競争の激化を、あらためて痛感させられた。

舩越園子(ふなこし・そのこ)
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1993年に渡米し、在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『才能は有限努力は無限 松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。1995年以来のタイガー・ウッズ取材の集大成となる最新刊『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)が好評発売中。

デイリー新潮編集部