さいたま市の大宮駅西口。JR在来線各線や新幹線、東武アーバンパークラインなど複数路線が乗り入れる(筆者撮影)

大宮という地名は、全国各地にある。皇居や神社に対する敬称が、土地の名前になったものだ。

ゆえに大宮という言葉がつく駅も、いくつかある。しかし大宮駅と聞いて、もっとも多くの人が思い浮かべるのは、さいたま市大宮区にあるJR東日本、東武鉄道、埼玉新都市交通(ニューシャトル)の駅だろう。

埼玉の大宮駅は1885年開業

駅名の由来は、今からおよそ2500年前に創建され、武蔵一宮でもあった氷川神社だ。首都圏に数多くある氷川神社の総本社であり、現地では昔から「大いなる宮居(みやい)」と呼ばれていたことから、大宮という地名が生まれた。江戸時代には中山道の日本橋から4つ目の宿場が置かれた。

【写真】「大宮駅」と聞いてどちらを思い浮かべる?両駅とも乗り換えのイメージが強いが、京都では1つ隣の「西院駅」が便利だ(23枚)

大宮駅は1885年、氷川神社の南東1kmほどの場所に、当時の日本鉄道によって開設された。先行して作られた現在のJR東日本高崎線には駅がなかったが、その後東北本線との分岐駅を決めるにあたり、誘致を行った結果、誕生したのだった。

続いて、大宮駅西口から川越方面に伸びる川越電気鉄道が開業した。こちらはその後西武鉄道大宮線となったものの、1940年に現在のJR川越線が運行を始めると、翌年廃止されている。この間1929年には、現在の東武鉄道野田線(東武アーバンパークライン)が大宮に乗り入れている。

第2次世界大戦後はしばらく動きがなかったが、1982年に東北・上越新幹線がここを始発駅として走りはじめ、翌年新幹線の線路脇を走るニューシャトルが開業した。反対派により工事が難航していた新幹線の上野乗り入れも3年後に実現し、同時に埼京線(正式路線名は東北本線支線)の運行も始まった。

なお氷川神社の最寄駅は大宮駅ではなく、東武野田線の北大宮あるいは大宮公園駅となる。このほか東北本線に東大宮駅、川越線に西大宮駅がある。氷川神社の東側にある大宮公園、その北にある盆栽村へは、大宮公園駅が近い。

関東有数のターミナル

大宮駅は地上3階、地下1階で、すべての階にホームがある。新幹線は地上3階、ニューシャトルは東西連絡通路がある2階に乗り入れ、埼京線は地下1階、それ以外の路線は地上にホームがある。

ホームはJRだけで22番線まである。5、10、12番線は欠番だが、1面2線の東武野田線、1面1線のニューシャトルを合わせると22線になる。もちろん埼玉県内最大であり、東京都内のターミナル駅に匹敵する規模だ。


大宮総合車両センター脇を走るJR東日本と東武鉄道の電車(筆者撮影)

しかしながら乗り換えはしやすいと感じる。筆者はたまに訪れる程度だが、迷うことはない。この点についてJR東日本大宮支社広報に尋ねたところ、次のような答えが返ってきた。

「改札外の東西連絡通路を中心として、南北に改札内通路があり、『日』の字を形成する構造となっています。直感的に方向がわかりやすいことと、南北それぞれの改札内通路からすべての路線に行ける動線が整備され、通路が平坦なので、アクセスが明確にわかるようになっています」

ホームの配置は、ニューシャトルは当駅付近でループ線になっているので東西方向にあるが、残りはすべて、ほぼ南北方向である。ゆえに出入り口は東口と西口がある。

駅周辺は、東口が繁華街、西口がビジネス街という感じで、首都圏のターミナル駅では新宿駅に似ている。


大宮駅東口の駅前には繁華街が広がる(筆者撮影)

東口は氷川神社の他、旧中山道の宿場が置かれ、明治時代には製糸工場が複数稼働するなど、古くから栄えてきた。対照的に西口は、新幹線開通前は、商店街のまわりに住宅が建ち並ぶ、郊外の駅を思わせる光景だった。

駅の東西で異なる雰囲気

筆者は20歳ぐらいまで埼玉県に住んでおり、当時の運転免許試験場が、大宮駅から5kmほど西の荒川沿いにあったので、駅からバスに乗って行った経験があり、ターミナル駅らしからぬ光景だったことを覚えている。

しかし新幹線開通に合わせて再開発が始まり、現在の姿になった。東口に比べて新しいビルが多いのは、そのためだ。

ところで大宮は、「鉄道のまち」とも呼ばれている。日本鉄道時代に大宮工場が生まれ、現在は大宮総合車両センターに発展しており、北側には鉄道博物館がある。大宮支社でもそのあたりを意識したPRを行っている。

「2023年より大宮駅が開業した3月16日を『おおみや鉄道の日』と定め、『鉄道のまち大宮』のロゴマークを制定してPRを行い、周年イベント実施やロゴ商品販売などもしています。また鉄道博物館へのアクセスとなるニューシャトルの改札口までの通路は『てっぱく通り』と名付け、壁面に『鉄道博物館のあゆみ』を掲出しています」

一方さいたま市では1年前の2021年、「大宮駅グランドセントラルステーション化構想」を策定している。

国が策定した首都圏の国土づくり戦略の中で「東日本の玄関口」と位置付けられ、大宮駅周辺が「都市再生緊急整備地域」の指定を受けたことに対応したもので、現在の東西連絡通路の北側にもうひとつ自由通路を開設したり、東口に交流空間や交通広場を新設したりする計画が挙がっている。


西口にあるニューシャトルの大宮駅。ループ線となっている(筆者撮影)

関西で大宮駅と言えば…

ここまでさいたま市の大宮駅を紹介してきたが、関西の人たちは「大宮と言えば京都でしょう」と思っているかもしれない。たしかに大宮の2文字で名前が完結している駅は、京都市内の阪急電鉄京都本線にもある。京都もまた、梅小路蒸気機関車館が前身の京都鉄道博物館を有する西の「鉄道のまち」である。

阪急京都本線は大宮駅の西隣、西院駅の手前で地下に入り、四条通の下を東進する。大宮駅は大宮通と交わる四条大宮交差点の下にある。交差点の北東角に駅舎(大宮阪急ビル)があり、北西角と南東角、交差点のやや西にも出入り口がある。


阪急大宮駅の地上に建つ大宮阪急ビル。2024年8月にリニューアルオープンした(編集部撮影)

交差点を挟んで駅ビルの反対側、つまり南西角には京福電気鉄道嵐山本線四条大宮駅が位置し、南東角は駅前広場になっている。嵐山本線は帷子ノ辻から分かれる北野線とともに嵐電の名で親しまれる軌道路線だ。

大宮通は、平安京のうち天皇の居所だった平安宮(大内裏)の東側を走る東大宮大路に由来する。平安宮はJR西日本山陰本線二条駅の北、千本丸太町交差点付近にあったそうで、現在は市街地化しているが、現地からはいくつか遺跡が発掘されている。

駅が生まれたのは四条大宮駅のほうが早く1910年で、21年後に京都本線の終点として大宮駅が開設されているが、当初は両方とも、「京都駅」を名乗っていた。

もともとは「京都駅」だった

嵐電のほうは1925年に四条大宮駅に改称されたものの、阪急のほうは1963年に京都本線が京都河原町駅へ延伸されるまで、京都駅のままだった。

阪急の駅名に「四条」が付かないのは、前述のとおり、四条通の地下を走っているからだろう。烏丸駅で交わる京都市営地下鉄烏丸線も同様で、こちらは烏丸通に敷設されたことから、東西線との乗換駅である烏丸御池を除いて駅名には「烏丸」が付かない。一見さんは戸惑うかもしれない。


京福電気鉄道嵐山本線の四条大宮駅(筆者撮影)

最近のニュースとしては、駅ビルのリニューアルがある。その目的について、ビルを管理する阪急阪神ビルマネジメント沿線営業部では、次のように説明していた。

「建物の竣工が1968年で老朽化が進み、耐震補強、設備更新の必要性から、アールのかかった特徴的な構造を残しつつ、リニューアルを行いました。交差点に面し、大きな壁面としての見え掛かりから、京都らしい落ち着いた色ですっきりと見せるべく、現在の色彩としました」

ビル内部にはクリニックが多い。こちらについては次のように答えている。

「東隣の烏丸駅は、地下鉄との乗換駅で京都駅に向かう際の結節点となっており、商業集積度も高いですが、大宮駅周辺は比較的住居エリアが多く、生活感のある街と捉えています。そこで近隣住民の生活利便性を高めるべく、クリニックモールやドラッグストアを主とするテナント構成としました」

阪急と嵐電の乗り換えは隣駅

ちなみに阪急と嵐電の乗り換えは、西隣の西院駅(駅名は同じだが阪急は「さいいん」、嵐電は「さい」と読む)のほうがスムーズだ。そのためか、阪急、嵐電ともに乗降客数は西院駅のほうが上となっている。


四条大宮駅に進入する嵐電モボ501形(筆者撮影)

たしかに大宮駅で乗り換えて嵐山に向かう観光客の姿はあまり目にせず、繁華街・四条烏丸の隣にありながら、地域住民のための駅として機能している印象を受けた。


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(森口 将之 : モビリティジャーナリスト)