(写真:金土日曜/PIXTA)

住まいに自ら手を加え、狩猟で手に入れた獲物を自分でさばいて食べ、季節ごとにやってくる動物たちを見守りながら暮らす……といった自力での生活は、憧れはするものの、多くの人にとっては、簡単なことではありません。ですがそんな生活を、住宅街のど真ん中で、ずっと続けてきた家族がいます。

イラストレーターの服部小雪さんの夫は、サバイバル登山家として知られる服部文祥さん。長期の登山を行い、都会の自宅でもできる限り自分の力で暮らす文祥さんの「自力生活」が「日常」であった小雪さん、そして3人の子どもたち。

そんな服部家の暮らしの一部を、服部小雪著『はっとりさんちの野性な毎日』から抜粋して、紹介します。

住宅街の中にあるゲタの家

どうにか住み慣れた横浜の市内で良い物件はないだろうか。できれば中古戸建てを購入して、好きなように直しながら住みたいと思ったのは、子どもが3人になって数年経ってからのことだった。

中古物件でさえ、この辺りに住むには驚くほどのお金がかかる。私たちが不動産屋に提示した予算は3000万円以下だったので、鼻で笑われ(たように感じ)、 次々と難がある物件を紹介された。

不動産屋の元気なお兄さん、Oクンが連れて行ってくれたのは、平屋から徒歩10分ほど離れた、丘の上の住宅街だった。

丘の斜面に、古家が4本足で乗っかっていた。ベランダの鉄のハシゴ階段をカン、カン、カンと降りてうっそうとした斜面に立つと、4本のコンクリートの柱が家の基礎を支えていることが分かった。基礎の部分と斜面の間には人が背をかがめて歩けるくらいの空洞がある。「この家、浮いてるよー?」。こんなあぶなっかしい家に住む人いるの、という気持ちで私は嘲(わら)った。

ところが文祥は、傾斜地ではあるけれど、自由に使える80坪の土地(しかも宅地ではないのでタダ)がついていることに魅力を感じたようだ。購入を前提で、早速子供たちと泊まりに行ったりして盛り上がっている。まさか、いかにも売れ残っていたふうの、この問題物件に住むことになるのだろうか?

とりあえず、耐震診断をお願いしてみた。専門家のおじさんが来て、耐震工事をすれば家屋はぺっちゃんこにはならないだろう、モルタルの土台が折れるような大地震のときは、この斜面ごと崩れるんじゃないですか、と真顔で言った。

「資産価値はゼロですね。あとは、人それぞれの考え方ですから」

人それぞれの考え方、というおじさんの言葉が心に残り、私はついに購入を決意した。

自力で床を張り、薪ストーブを設置する

築50年近く経っている家屋は構造が弱かったので、工務店に耐震工事をお願いした。そのついでに階段とトイレの場所を移動して、柱が腐っていた浴室をこわして新設する、という少し大がかりなリフォームを行った。畳や襖(ふすま)を取り払い、文祥が明治時代の養蚕家で使われていた松の古材を仕入れて、床に張った。


(イラスト:『はっとりさんちの野性な毎日』より)

古い砂壁に水を吹きかけ、やわらかくしてヘラで搔き落とす。遊びに来ていた祥太郎の友達もワケがわからないまま作業に動員された。漆喰に山の土や珪砂、色粉などを配合して壁に鏝(こて)で塗っていく作業は、私をとりこにした。

錆びた柵にペンキを塗ったり、襖や障子を張り替えるのも初めての経験だ。職人さんのような完璧な仕事はできなくても、丁寧に仕事をすれば生活の質が上がる。何より自分がやれば不満が残らない。お金を払って誰かに任せて、経験を捨ててしまうのはもったいない(それがわかっていても、ついお金で解決しようとする自分がいる)。

引っ越し後すぐに、友達の力を借りて薪ストーブを据え付けた。文祥は家の立地を見て、薪ストーブを設置しても近所迷惑にならないと考えたという。床(とこ)の間だった空間に、薪が積み上げられた。

気密性が低い家なので、ストーブをつけてもすきま風はひどい。それでも心地よい暖かさに家族が集まり、暖をとりながら焼き芋を作ったり、何かを煮たり、ピザを焼いたりと、冬の食に楽しみが増えた。東日本大震災で停電したときも、薪ストーブはいつもと同じようにチンチンと燃えていた。オーロラのようにゆらゆらと揺れる炎や赤く輝く熾(お)き火を見ていると、炎が人の一生そのもののようにも思え、ついぼんやりと眺めてしまう。

季節ごとに斜面の木にやってくるオナガやメジロなどの野鳥や、広い空にかかる月も、この家の思いがけない特典だった。

「今頃いいねって言ってもダメなんだからね。あなたは、はじめ反対したんだから」と文祥は、いつまでも意地が悪いことを言う。

シカを解体し、食べる

ゲタの家にウッドデッキが完成し、動物を解体するスペースができた頃には、山仲間の車で殺された鹿がそのまま運び込まれるようになった。


(イラスト:『はっとりさんちの野性な毎日』より)

野生肉を保存するため、外置き用の冷凍庫を買ったが、鹿が数頭獲れるとすべてを保管することはできない。近所の友人らに解体から肉の持ち帰りまで、助けを求める。〈鹿が獲れました、欲しい人集まってください〉と一斉メールをすると、鹿肉ファン、 医学部を目指すので勉強のために解体したいという人、毛皮が欲しい人……色々な人が集まってくる。

解体に必要なのは、よく切れるナイフ、まな板、消毒液、バット、キッチンタオル、ビニール袋など。柿の木から滑車で鹿を吊り下げ、毛皮を剝(は)ぎ、前脚、 後脚を外し、背ロースなどのブロックを切り離していく。ここまでは文祥にお願いして、私たちは精肉作業を行う。


筋肉の構造がわかってくると、ナイフをどのように使ったら肉をなるべく傷つけずに骨から外すことができるのか、考えながら作業するようになる。刃物は優れた道具だなと、毎回思う。

背骨周辺の背ロース、内ロースや、モモ肉はやわらかい赤身の肉で、さっと焼いたり、弱火でローストして食べるとおいしい。脂がのっているムネ肉やスネ肉は圧力鍋でしっかり煮ると、固いスジがとろけるようにやわらかくなり、味わい深い。鹿肉上級者は首の肉も喜んでくれる。

解体の人手が足りないときに、頼りになるのは子供たちだ。まな板の上に置かれた蹄付きの脚を見て「またこれかー」と言いながら、ナイフで切り分けていく。その流れでミンサーにかけて挽肉を作り餃子やハンバーグを作ると、あっという間にかなりの肉を平らげてしまう。

あとにはわずかに肉を残した足の骨が残り、細いロープでベランダにぶら下げておくとスズメがついばみにやってくる。

(服部 小雪 : イラストレーター)