2024年8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、「千羽鶴」を合唱する純心女子高の生徒たち(写真・時事)

毎年8月は第2次世界大戦の戦禍、そして原爆被災を反省し、国民1人ひとりが戦争についてしっかりと考える月だ。たとえ永年劣化に苛まれようとも、これは戦後日本の最大の儀式である。

それもたんなる儀礼的式典ではなく、これから起こるかもしれない戦争を避けるための必須の行事だ。それはわが国民の悲劇だけを思うだけでなく、世界の人々、とりわけアジアの人々との心の痛みを分かちあう日でもある。

戦後戦争の拒否と平和を誓った日本は、幸いにもあのような戦争に、今のところ遭遇していない。世界はその後も何度となく戦禍にまみれているが、幸運なことに、いまだ第3次世界大戦は起こっていない。

もっとも今年2024年8月は、様子がかなり違っている。ウクライナのザポロージャやロシアのクルスクの原子力発電所地域が戦場となることで、ウクライナ戦争自体が新たな戦線拡大局面を迎えることになるかもしれないからだ。

イスラエルを招待しなかった長崎市

さらに2023年10月から始まったガザでの戦争は、隣国のイランを巻き込み、中東大戦争に拡大する懸念も増している。そしてそれは第3次世界大戦の導火線になるかもしれないのだ。非常に緊迫した状態だ。

そのような中、8月9日の長崎の平和祈念式典でちょっとしたトラブルが起きた。長崎市はパレスチナには招待状を出したものの、イスラエルへ招待状を送らなかったのだ。

それに対し、アメリカを中心としたG7の諸国から「大使の参加を見送る」という通知が来た。日本がG7の国である以上、そして国際法規を尊重している以上、G7が支持しているイスラエルを招待しないというのはおかしいというのだ。日本政府は国際法規を尊重しているのだからなおさらそうである。

しかし、長崎の平和祈念式典は政府の事業ではない。そのうえ、平和という文字を見る限り、残酷な攻撃をしているイスラエルの代表を長崎市が招待したくない気持ちは、よくわかる。しかも、その国際法規に対して、非西欧諸国の多くはそのダブルスタンダード的性格に怒りをもって、抗議しているのである。

少なくとも日本を除くG6の国はNATO(北大西洋条約機構)加盟国だ。だからG6がイスラエルを支持している以上、招待が拒否されれば行動をともにするというわけである。しかし、当然ながら日本はNATO加盟国ではない。また長崎市は、日本政府と違って長崎市なりの論理があってしかるべきである。

G7諸国が持つ奇妙な性格

明治以来敗戦まで、一貫して自由に発言することをモットーとした『東洋経済新報』の石橋湛山は、1960年にこう述べている。

「故にイエスかノーかは、時の政府の考え一つで生かすことにもなれば殺すことにもなる。この有利な立場に立ったとき、日本政府の取るべき態度はきわめて簡単明瞭に自国の憲法に依拠すればいい。これは当然であるとともに、アメリカを含む世界のいかなる国からの内政干渉をも断固として拒否しうる堂々たる建前であり、かつ世界平和への先駆者たるの使命を果たすものではないか」(『石橋湛山評論集』岩波文庫、275ページ)

もちろん、今問題になっているのは日本政府ではなく、長崎市の問題である。政府=市民ではない以上、市の自由判断はあってもいいのだ。そして、日本政府ではなく、日本国憲法にしたがって、長崎独自の判断をしたのである。


かりに政府と市とを区別したとしても、日本政府にとってすら解せないことが多くあるはずである。それは、G7の持つ奇妙な性格である。

もともとG7の提唱者であるフランスのジスカール・デスタン元大統領(1926〜2020年、大統領在任期間1974〜1981年)は、日本を除く欧米諸国の西欧同盟を模索していた。当然のごとく、日本は最初はそこに入っていなかったのだ。

1973年のオイルショックの後、石油価格の価格維持とドル体制の堅持を目的として設立された旧欧米列強による組織が、そもそもG6だった。当時の西ドイツを抜いてGNP(現在ではGDP=国内総生産)第2位だった日本は、西側経済の枢要国であったことで、そこに招待された。

とはいえ、その意味で日本政府にとって、その椅子は最初から座り心地のいいものではなかったのである。

経済成長とともに欧米列強と肩を並べるようになり、列強の仲間入りをしたというのがG7に入ったということの意味なのだが、それは晴れて日本が西欧諸国の仲間になったということを意味していた。

一方で、日本はどこから見てもアジアの国であり、アジアの中で独自の政策をとらざるをえない国だった。とりわけオイルショックで欧米諸国に翻弄された日本は、日本を助けてくれたアジアの地域である中東諸国に対して、G6のようにイスラエル支持を鮮明にすることはできなかったのである。

西欧とアジアの間に落ちた日本の矛盾

G7が先進国連合というだけであれば、当時の日本の力からいって十分ふさわしい位置を確保していたが、一方でG7は西欧先進国連合=西側世界の連合であり、アジアに対して長い間支配してきた白人帝国主義列強の集まりでもあった。

日本はアジアの国である以上、環境の違う西欧諸国と行動をともにすることはできない。アジアにはアジアの論理があるからである。まして、先進国代表ではなく、アジアの代表国として日本が参加していたのだとすれば、なおさらそうした独立精神が要求されてしかるべきなのである。

この点に、すべての矛盾が表出している。G7という先進国連合が、西欧列強の連合であるとすれば、日本はアジアの代表ではなく、アジアを棄てて西欧列強の一員になるしかないということである。しかし、どうみても日本はアジアの代表なのである。

西欧とアジアとの間に落ちた日本の矛盾、この矛盾こそ日本が明治以後ずっと抱いてきた矛盾そのものであるといってよい。それは一種のアジアと西欧に分裂した精神分裂症ともいえるもので、日本はアジアにありながら、アジアではないという分裂に、つねに苛まれることになるのである。

1990年代に冷戦構造が崩壊した後、欧米諸国はアジアの経済大国・日本を目の敵にした。その結果、日本ではアジア回帰が起こった。それはあたかも大東亜共栄圏を提唱した1930年代の日本と同じような現象であった。

脱亜入欧を目指した日本は、ときに西欧崇拝とアジア蔑視、ときに西欧蔑視とアジア礼賛といった具合に大きく揺れる。

アジアから孤立し、アジアではない日本

当然ながら、日本は地理的だけでなく、文化的、人種的にもアジアである。西欧化はあくまで和魂洋才でしかない。しかし日本は、アジアの中でも孤立していてアジア的でない部分を昔からもっていた。


それが、アジアの中で唯一優れているという自負でもあり、またアジアとの友好関係を持たない、孤立国、ガラパゴスといわれる所以でもある。だから、あるときは欧米礼賛、あるときはアジア礼賛といった具合に、状況次第で針が大きく揺れるのである。

これについてオーストラリアの歴史家であるガバン・マコーマックは、韓国のエコノミストである金泳鎬の言葉として(『朝日新聞』に投稿した、「アジア市民社会目指し」(1994年5月5日))こう述べている。

「それによれば、日本は欧米とのあいだに問題が生じれば、つねにアジア主義の立場をとる。それでいて日本は過去、現在において近隣諸国に与えた影響の本質に目をむけようとせず、しかもこれらの諸国をたんなる『周辺諸国』としか考えていない」(『空虚な楽園』松居弘道、松村博訳、みすず書房、194ページ)

なるほど、日本の性格をよく見ている。「西欧がだめならアジアがあるさ」という一種の気軽さである。しかも、どちらに対しても、ご都合主義の中で揺れているということである。

和洋折衷ともいえるが、言い換えれば西欧でもなく、アジアでもない孤絶した世界を主張しているのだ。それが戦前の大東亜共栄圏という、空威張りであったともいえる。

大東亜共栄圏という発想は、西欧に対して説明できなかっただけでなく、アジアに対しても説明できなかった概念だったからだ。

マコーマックによると、日本と似ている問題を抱えているのはオーストラリアだという。人種、文化、経済すべてをイギリスに頼っていたオーストラリアが、イギリスの衰退とともに、1990年代アジアへと舵を切った。

日本以上に西欧文化に影響されたオーストラリアですら、時代的変化の中で、進路の変換を行おうとしているのである。しかし日本は、いまだにそのアイデンティティをどこにもつかめないでいるのだ。

「非西欧」の日本を主張できるか

長崎市の平和祈念式典は、奇しくも日本政府の立場と長崎市の立場が対立することになったのだが(岸田文雄首相の地元、広島市では政府の意向に合致していた)、この対立は日本国民が心の中にもっている、脱亜入欧の矛盾をも反映したものといってよい。

日本国民は西欧べったりの政治にはあきあきしているのだ。2020年代になって日本政府の西欧主義が度を超し始めた中、多くの国民はいきすぎた西欧化に危惧を感じ始めているといえる。

ガザの子供たちや女性たちの犠牲を思うとき、イスラエルを平和式典に招待できないというのは、よくわかる。この戦争に対する日本の立場は欧米とは違うのだ。

G7であろうとなかろうと、そのことははっきりと明言すべきなのだ。欧米に対して茶坊主のように奔走することを、国民は望んではいない。毅然たる態度で、非西欧人としての日本の立場を言明してほしいのである。

(的場 昭弘 : 神奈川大学 名誉教授)