ミネルバ大の友人とハイキング(後方2列目の左から2番目が煙山さん)

「なんで東大を辞めてよくわからない大学にいくの?」

煙山拓さん(22)は、幾度となくそんな疑問を周囲から投げかけられてきた。そのたびに彼は「もっと面白そうな世界に飛び込みたかったから」と返してきた。「理由はシンプルなんですよ」。

2021年に現役で東京大学文科2類とカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)に合格し、東大への進学を決める。しかし入学後1年少しで東大を辞め、日本での知名度は高くないものの、「世界最先端」ともいわれるミネルバ大学に入学した。

煙山さんは、自分の進む道をどのように決めてきたのか。

「友人からも、なんでお前は不合理な選択ばかりするんだとよく言われます(笑)。でも、私からすると20年先に絶対に後悔しないため、という軸をぶらさず、その時々で選択しているだけなんです。日本で人より多少勉強ができたとしても、いったん外に出ると無力になるという経験をたくさんしてきたので、東大を辞めたことも自分にとっては合理的な選択でした」

サッカーで東京都選抜に選ばれる

3人兄弟の次男だった煙山さんは、父の仕事の都合で小学校4年生まで上海で育った。帰国後は都内の公立小学校に通いながら、サッカーに打ち込んだ。

都選抜に選ばれる実力からもわかるように、多くの時間をサッカーに費やしてきた。中学受験では第1志望の駒場東邦(東京)には失敗し、神奈川県の進学校である聖光学院に進学する。しかし、結果的にはこの選択が後の煙山さんの人生に実りをもたらすことになる。

聖光学院での6年間は、勉強もこなすもののサッカー中心の生活となった。FC東京のジュニアユースと横河武蔵野FCのユースに所属し、プロの予備軍としてしのぎを削った。

学校への通学は往復で2時間強。塾に通う時間もなく、平日の主な勉強はほとんど授業とこの通学時間で行っていた、というから驚きだ。


横河武蔵野FCでプレーする煙山さん

勉強は学校の授業の復習が中心

「もともと勉強はあまり好きではないんですよ(笑)。サッカーのほうが楽しくて、プロになりたいという思いも強かったので。ただ、校風が自由なところは私に合っていました。

基礎学力を上げるためにしていたことは、とにかく授業の復習。質の高い授業があったので、限られた時間は復習に当てていました。それで基礎学力は培える。だから、予習はほとんどしなかったですね。時間が物理的に足りなかったので。あとは集中力も大切で、授業を最前列で聞くのは当たり前。わからないことは先生に聞くということは常に意識していました」

高校2年生の時に転機も訪れた。学校の研修でシリコンバレーに行った際に、スタンフォード大学に通う先輩と言葉を交わす機会があった。学生が、積極的に授業に参加する様子が煙山さんの目にはまぶしく映った。聖光学院から海外受験をする生徒の割合は決して多くはない。だが学校側も煙山さんの意思を重視してくれたことで、この頃から海外進学も選択肢の1つになっていった。

一方、同時に打ち込んできたサッカーでは、コロナ禍で公式戦が行われないなど悶々とした日々が続いた。また、高校3年の9月に膝の半月板損傷という全治半年の大怪我も負った。サッカーでは不完全燃焼のまま、高校最後の年を終えることになる。

ここから本格的に受験を考える中、アメリカの大学を中心に願書を出した。

「アメリカの大学へ進学を希望した大きな理由が、サッカーなんです。アメリカの大学の多くが9月入学で、その頃には膝も完治しているはずだと。

あとはキャンパスツアーで見たスタンフォードの学生の目の輝きや情熱が忘れられなかった。

もう一つはアメリカのカレッジスポーツの注目度の高さと、その先にプロへの道も広がっていることも大きかった。勉強もサッカーもトップレベルでやれるのは魅力的だと感じたんです」

アメリカの大学と東大を並行して目指す

第1志望はスタンフォード大学に決まった。一方で、「授業を見学してこっちも面白そうだった」という理由で東大も受験した。聖光学院では煙山さんの年代は約70名が現役で東大合格を果たしたという。

煙山さんもその1人となるのだが、本格的に東大を目指し、対策に取り組んだのは共通テストのわずか2週間前だったという。なぜ合格できたのか。

「他の東大生と比べて学力が高いということはありません。ただ、俯瞰的に物事を考えることは得意でした。多くの受験生は親や大人に言われて勉強する人が多いと思うんです。

自分は『合格するためには何点必要で、そのためには限られた時間の中でどうしたらいいか』ということを常に考えていました。いろんなアドバイスも受けましたが、それは一意見でしかないと思っていたし、自分のことは自分が一番わかっている、という感覚はあったので、自ら取捨選択をしていました。

そこで塾に通うよりも、自分でやるほうが効率がいいと考えたわけです。だから、ゲームのプレイヤーみたいな視点である程度俯瞰して受験に臨みました。そうでないと、おそらく東大とアメリカの大学を同時に狙うことはできなかったと思います」

実際に煙山さんが行った対策は以下のようなものだったという。

「調べてみると、授業の復習で培ってきた基礎学力だけでは東大は受からないと気づきました。そこから昭和的な言い方になりますが、とにかく“気合い”です(笑)。一日15、16時間ほど机に座り、目が開かなくなるくらい東大向けの受験対策に打ち込みました」

結果、第1志望だったスタンフォード大学は不合格となるも、東大とUCバークレーに合格。UCバークレーは学費が高いことに加え、講義形式で学ぶというスタイルが合わないと考えて、東大へと進んだ。

東大に物足りなさを感じるように

しかし、煙山さんが入学した年はまだコロナ禍の影響が色濃く残っていた。1、2年時は対話型の授業は限定され、動画を見るだけという講義内容の多さも目についた。また、ア式蹴球部(サッカー部)に入部するも、まだ怪我が癒えず、プロサッカー選手になるという夢も諦めるようになった。こうしていつしか大学に行く意味を感じられなくなっていった。

「これなら独学で勉強したほうがよくないか?と思う自分もいました。東大は“自由な大学”なんです。例えばアメリカの大学だと半ば強制的にテストで点を取るために勉強を強いられますが、東大だとそこまでしなくてもある程度で点はとれる。

だから1年生から研究室に入る人もいれば、サークルに全力を注ぐ人もいる。起業のための準備をしたり、アルバイトに精を出す人もいます。つまり自由に使える時間も多いなか、その環境に流される面もある。非常に良い大学ですが、私には刺激が足りないな、と感じることもありました」

いつしか煙山さんは自分の要望を満たす大学がないか調べるようになっていった。そこで見つけたのがミネルバ大学だった。

同大学はペーパーテストは基本なしで、ゼミも超少人数制。在学4年間で7カ国に滞在し、フィールドワークや思考力や論理力を重視するという点も魅力に映った。

キャンパスは持たずに授業はフルオンライン。1学年に約200人と少数で、生徒のうちの約8割が留学生なことも驚いた。自身が描く「海外を旅しながら社会課題を解決するリーダーになる」という将来像にマッチするとも感じた。

ミネルバ大の受験では、発想力や思考力を問う独自のテストに加え、課外活動も重視される。自身が本気で打ち込んできたサッカーも大きな加点要素となり、合格率約2%という狭き門を突破した。

周囲からの反対は強かったが、東大を辞めて“よくわからない大学”へ行くという選択に後悔は微塵もなかった。

後編「東大→ミネルバ大→サッカー選手を目指す生き様」へ続く

(栗田 シメイ : ノンフィクションライター)