東大→ミネルバ大→サッカー選手を目指す生き様
アルゼンチンでプロサッカー選手を目指す煙山拓さん(前列右から2番目)
東京大学に現役合格するも、約1年で躊躇なく辞め、2022年夏よりミネルバ大学へ進学した煙山拓さん(22)。キャンパスを持たない同大学は、全授業をオンラインで行い、4年間で7都市を移動しながらフィールドワークを行う。世界最先端ともいわれる同大学の実態はどんなものなのか。
前編「東大辞めてミネルバ大に進んだ彼の人生の選び方」はこちら
「自分の学年は約40カ国、200人程度が在籍してそのうち80%が留学生です。国籍でもっとも多いのはエジプト。イスラエル、ウクライナ、インドも多いです。ミネルバはアメリカの階級社会やエリート教育へのアンチテーゼのような校風があり、なかなか接する機会がない国の学生がいて刺激的です。
多様な価値観をもつ学生が構造的に物事を理解する、角度をつけた考え方を議論するわけですから面白い。授業では例えば1つの物事に対して3つのハッシュタグをつけて議論していく。それをさまざまな視点から意見をぶつけあっていくという内容のものがあります」
日本の教育は勉強する動機付けが曖昧
日本を飛び出して、ミネルバ大学に進んだからこそ見えてきたものもある、と煙山さんはいう。
「日本の学校教育は動機づけを間違えていると思います。中学生まで義務教育で、基本的には大学4年生まですんなり上がっていく。でも、何のために勉強して、どうそれを活かすのかということに関しては曖昧な点が多い。
例えば社会に出て仕事を経験して、そこではじめて専門的に勉強したいという人もいて、むしろそちらのほうが健全だと思いますが、なかなかそれをできる環境がない。
私自身も『何を仕事にするべきなのか』と常々感じてきました。でも目的や学ぶ意味がないと普通はやる気が出ないわけです。それがないなら思考力を身につける教育が必要と思いミネルバに進みました。専門性がある仕事、好きなことを仕事にしている人は、そうではない人と人生の楽しみ方が全然違うと思うんです。それはこの大学に来て強く感じたことです」
大学では、今後、台湾、ドイツ、イギリス、インドなどの国に滞在して社会課題に向き合っていくことになる。それ以外の時間でも煙山さんは海外に出向き、積極的に行動を重ねている。
例えば1年生の夏休みにインターンでアフリカに渡り、ナイジェリアでイベントを開催した。その活動がウガンダのメディアに取り上げられ、ケニアではスラムでサッカーに興じた。
ケニアのスラム出身の元プロサッカー選手たちと
「先進国と途上国では社会課題がまったく異なることも理解できました。良い生活をより良くする仕事と、貧しい地域に本当に必要なものを整え、生活水準を上げる仕事で分けるなら、私は現段階では後者に強い興味がある。
これは幼少期に劇的に発展していく上海で暮らしていた当時の中国の“熱”の影響を受けています。そういう今後伸びていくだろう国に身を置くほうが圧倒的にワクワクします。
実際にアフリカでは水や電気といったインフラ、食料などの問題がまだ残っていることも肌で感じられました。そして、言葉の問題はある中でも、サッカーでボールを蹴るというコミュニケーションは非常に効果的でした。ボール1つで国籍を超えて一気に距離が縮まったのは貴重な経験でした」
再びサッカーに打ち込む日々
そして今年1月から、煙山さんはアルゼンチンのブエノスアイレスから1時間ほどのラプラタという町にある「ヒムナシア・ラ・プラタ」というアルゼンチン1部リーグの古豪で練習生として日々を過ごしている。
当初は授業の一貫として、アルゼンチンに来たのだが、高校時代に負った膝の重傷が癒えたことで、学校のプログラムの予定を早めてアルゼンチンでプロを目指すことにしたのだ。
日本人が経営に関わる「無双ArgentinaC.F.」と接触し、チームを紹介された。改めて言うまでもなく、日本でプロになれなかった煙山さんが世界的なサッカー強豪国であるアルゼンチンでプロを目指すハードルは高い。今は自分より年齢が若いプロ予備軍の選手に混じって3軍で汗を流している。
「毎日、『チ―ノ』(スペイン語で中国人)と言われ、チームに適応するため苦悩しつつも、サッカーに打ち込んでいます(笑)。たぶん、今が最も人生で挑戦できているとも感じており、凄く充実していますね。
アルゼンチンは日本とサッカー文化も違い、とにかく『ゴールに直結する選択をすること』が求められます。それを理解できてから、自分のプレーも変わってきているとも感じています。年齢や身長はもう変えられませんが、決定力、フィジカル、テクニック、戦術理解といった変数の部分を努力で伸ばせたらアルゼンチンでも通用します。サッカーでプロを目指すのは年齢的にも体力的にも今しかできません。だから挑戦する価値があると思います」
今はアルゼンチンでプロになることに集中しているといい、その手応えも感じ始めているという。エネルギーのほぼ全てをサッカーに捧げる生活を続けており、プロへの道順を論理的に話す様子も決して大袈裟に聞こえない。さらに、プロサッカー選手以外にもいくつか夢は持っている。
サッカーで完全燃焼した後は起業したい
「たぶん日本に戻り会社で働いて、ということはないと思います。東大に残っていい成績をとっていい会社に就職して、という未来のほうが具体的だと思う人もいるかもしれませんが、私は『好きなことをして生きる』ということをシンプルに突き詰めたい。
そのためにはやらなければいけないこともたくさんあるし、時間もない。サッカーで完全燃焼したら、起業を目指していくことになると思います。地政学的な視点で、世界中の地域で課題解決を目的とするような事業を展開していきたい。もちろん数字や業績も大切なので、その点も追い求めていきたいです」
世界中を旅するなかで会社も成功させる。個人で目指すには決して簡単な道ではないが、だからこそやりがいもある。そのうえで、もう1つ大きな目標があるとも続けた。
「ミネルバに来て気づいたのは、民主主義が機能していない国もたくさんあるということです。みんな自分の国の政治に強い危機感を持ち、意見をしっかり述べられる。でも、日本ではそういう文化は浸透しておらず、むしろ嫌う傾向がある。それは、これからの時代は、ナンセンスになると思います。自国の政治のことをしっかり説明できないことは、凄く恥ずかしいことなんだ、と気づきました。
将来的にはビジネスでお金を作って、仲間を集めて政治の世界にも挑戦したい。そういう意欲ある人たちが集まる集団や環境を作ることも大きな目標です。一度きりの人生なので」
世間の常識から見ると、その選択は回り道かつ、理解しがたいと言われるかもしれない。だが、本人にとっては一本筋が通ったもの。煙山さんの長い旅はまだ始まったばかりだ。
(栗田 シメイ : ノンフィクションライター)