分断を生まないリーダーの資質とは何か。アフリカでエボラウイルス感染症対策に携わった医師の岩田健太郎さんは「チームを『所属型』から『ミッション型』に変えることで可能になる」という――。

■医療者が受けた都知事選のショック

2024年東京都知事選が終わった。

選挙について直接論ずる力は私にはないが、一点、反ワクチンで有名な某医師が候補者になり、12万票以上の得票があったことを話題にしたい。

少なからぬ医療者がこの事実にショックを受けたようだ。しかし、私は少しもショックには思わない。

米国では進化論を信じる人と信じない人が半々の状態だった。2019年の調査で初めて進化論を信じる人が半数以上になったという。それでも4割強のアメリカ人は未だに進化論を信じていない。神が世界を創造したのだと教え、進化論を否定している公立学校はいまでも一定数あるという(※1)。

12万票は大きな数だが、投票数の1.8%に過ぎない。候補自体はいわゆる泡沫候補だったと呼ぶべきだろう。こうした投票者は確かにファクト認識において失敗しているのだが、失敗の全てを否定する必要はないと私は考える。私自身、人生においてたくさんの失敗を重ねてきた。

きちんとしたデータを吟味すれば、多くのワクチンが人類に利益をもたらしてきたのは明らかだ。一方で、ワクチンが一定数の副作用をもたらしてきたのもまた事実である。たとえその不利益の総量よりも利益のほうが圧倒的に大きかったとしても、不利益を被ったほうはワクチンを恨みに思っても不思議はない。

■仲間を作るとは仲間はずれを作ること

医療者の多くは、「医療者の立場」から物を言う。それは正論なのかもしれないが、それは一種の党派性をまとった政治的なコメントとも受け取れなくない。

我々が「医療者」という立場を捨てても、同じ言明ができるかどうか。私は必ず、「自分が医療者でなくても同じ発言をしているか」という想定問答をしつつ意見を言うことにしている。

件の候補者の医学に関するコメントは概ね科学的にはデタラメだ。デタラメだが、それを信じる人々が一定数いるのもまた事実だ。それを信じる相当の理由があるのもまた事実だ。

都合が良くても悪くても、ファクトを正面から認識する。「対話」はそこからがスタートである。そこから同意と不同意が生まれ、仲間と“仲間じゃない者”が生まれていく。

要するに、仲間を作るというのは、仲間はずれを作ると同義なのだ。

「仲間」ができた瞬間、その仲間にカテゴライズされない人物は「仲間はずれ」の対象となる。意識していてもしていなくても、だ。

しかしそれは、「分断を作る」とは同義ではない。ここでリーダーの資質が問われてくる。その「仲間」のリーダーが、分断を作るタイプか否かがである。

写真=iStock.com/andrii zakoliukin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/andrii zakoliukin

■所属型からミッション型にチームを変える

では、仲間はずれを作ることなく、チームを作ることはできるのだろうか。いや、そもそもチームプレイは可能なのだろうか。

チームを「所属型」から「ミッション型」に変じることで、可能になると私は考える。

所属型チームは「同じ所属」という、同窓会型のチームだ。同じ職種、同じ専門性、同じ出身地、同じ出身校。なんでもいいが、「帰属する先が同じ」であることが一体感を生み、チームを結束させる。

「ミッション型」のチームは、「所属」を気にしない。いや、多くのミッションでは異なる属性の職能を必要とするから、「同じ」であることは、ミッションの完遂を困難にする。多様性こそが鍵である。様々な能力を持つ、様々なキャラの集合体が「ミッション型」である。「梁山泊」のようなものだ。有志が集う場所、というわけだ。

私が、2014年からアフリカのシエラレオネで行ったエボラウイルス感染症対策がまさに「ミッション型」であった。

私はWHO(世界保健機関)のコンサルタントとしてシエラレオネに行ったのだが、実際の仕事はUNICEFや赤十字や、シエラレオネの自治体職員や、イギリス軍や(かつてシエラレオネはイギリスの植民地だった)、各NGOたちとともに行っていた。

与えられたミッションは「エボラウイルス感染症の制圧」である。様々な職能の人たちが集い、そのミッションのもとで仕事をしていた。

■リーダーの資質を備えたリアリスト

私はしばしば、ポール・ファーマー(故人)が主催していたNGO、「パートナーズ・イン・ヘルス(PIH)」の人たちと仕事をしていた。

ポール・ファーマー氏(写真=Skoll Foundation/Deep Leadership: Interior Dimensions of Large Scale Change/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)

ポール・ファーマー(1959〜2022年)はハーヴァード大学の感染症学の教授にして感染症専門医、かつ人類学の教授でもあるというまさに文系理系を融合した知の巨人であった。

貧しい国の貧しい人たちも、先進国の人と同じく健康になる権利はある、という崇高な理念のもとでPIHを設立し、途上国の医療改善に尽力していた。ロシアで、中米、南米で、アフリカで、ファーマーはたくさんの活動を行い、多くの人命を救っていた。単なる学者でも単なるヒューマニストでもなく、ビル・クリントンなど著名人と親交を持ち、国連などで丁々発止のネゴシエーションを行い、多額の支援資金を獲得するなど、策士な側面も持っていた。

最高の理想主義者にして、怜悧(れいり)なリアリスト。彼こそは、私が理想とするリーダーの資質を備えた人物である。

そのポールのいたPIHの職員たちと、私はしばしばエボラ診療所の設立などで協働した。男性も女性もファースト・ネームで呼び合っていたが、彼らの年齢を知ることはついになかった。

■「お前は何ができるか」が問われる

私も年齢を問われることがなかった。出身地は聞かれたが、出身大学は聞かれなかった(言っても分からなかっただろうが)。

職種すら聞かれなかった。何週間も一緒に仕事をして、一緒に仕事をしていた仲間が看護師だったとか、医者だったと事後的に分かったりした。

必要なのは「お前の職種はなにか」ではなく、「お前は何ができるか」であった。患者のためのトイレを作れる者はトイレを作り、薬を入手できる者が薬を入手し、ウイルス検査のできる者が検査をした。職能も職種も所属も異なるが、我々は一つのミッションでつながる一つのチームであった。

これが、日本の医療現場ではそうはいかない。

まず聞かれるのは職種だ。医者なのか、看護師なのか、薬剤師なのか。ついで、年齢。さらに、職名(部長だとか、教授だとか)、あるいは出身大学である。

日本では「何ができるか」を聞く前に、「お前はどこに所属するのか」を問う。そして、相手を敬語で呼ぶべきなのか、タメ口をきいていいのか、ふんぞり返ってマウントを取っていいのか、へりくだって振る舞うべきなのかを査定する。所属を同じくする「仲間」同士で集まり、所属が異なる人とはつるまない。ひいてはこれが、“学歴社会の土壌”となる。

写真=iStock.com/designer491
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■差別主義者が多い医療従事者たち

ところで、医者には案外差別主義者が多い。ちょっと意外な事実である。医療に従事する医者はヒューマニストたるべし、と一般には考えられているからだ。ヒューマニストと差別主義者は相容れないはずではないか。

白衣式という習慣を持つ医学部は多い。医学生が病院の臨床実習を始める前に、白衣を着用してヒポクラテスの誓いなどを唱和するのだ。

ヒポクラテスは古代ギリシヤの「医聖」と言われた人で、医療倫理の原則をまとめた「ヒポクラテスの誓い」で特に有名だ。もっとも、この「誓い」そのものは、ヒポクラテス以外の人物が後世書いたという説もあるが。

ヒポクラテスの誓いには、「患者に利すると思う治療法を選択し、害する治療をしてはならない(do not harm)」とか、「他人の生活についての秘密を遵守する」(守秘義務)といった、今日でも通用する医の倫理原則が列記されている。その一方、「流産させる道具を与えない」といった現在でも議論の続いている言葉もある。ヒポクラテスの誓いを字義通りに遵守することが「医の倫理」であるとは限らないが、いずれにしても医者は倫理的であることが求められ、よって差別主義者であってはならない……はずだ。

しかしながら、医者の言動を観察していると結構差別的な発言が目立つのに驚かされる。近年はSNSで差別的な発言を繰り返す医者が目立つようになった。たいていは匿名のアカウントを使っての差別発言である。

■匿名での投稿はプロに非ず

まず、患者差別が目立つ。患者の言動を揶揄(やゆ)したり、嘲笑ったりするものだ。

そもそも、患者とどのような対話が行われたのかをインターネットで公にしてはならないのが医師の守秘義務である。患者がこんなことを言ったとか、やったとかSNSで明らかにすること自体が、ルール違反だ。

残念ながら日本では医師会や各種学会などが定めるソーシャルメディア使用のガイドラインがない。私が調べた範囲では、日本医師会が、世界医師会(WMA)のソーシャルメディアに関する声明を紹介しているくらいである(※2)。

要するに、日本では医者のSNS使用のルールはなく、各自の良識に任せられているのだ。本来はきちんとしたガイドラインを設け、違反者の罰則規定なども定められているのが望ましい。米国医師会(AMA)やオーストラリア医師会(こちらも略称はAMA)はガイドラインを作っている。

特にオーストラリア医師会のガイドでは、医師は匿名でソーシャルメディアに投稿しないようアドバイスしている。2018年、英国のNHS(国民医療サービス)イングランドのプライマリ・ケア部門責任者が匿名でソーシャルメディアに投稿し、これがバレたために辞任に追い込まれた。海外では医者はプロフェッショナルな職業だと考えられており、自身の言動に責任を持つべきとの考え方から、「匿名」での投稿は推奨されないのだ(※3)。

■患者や顧客を嘲笑するコメントは許されない

残念ながら、日本では「自身の言動に責任を持てない」、プロとしてはいささか残念な医者が今日も匿名アカウントで患者や家族を中傷したり嘲笑したりするコメントを続けている。

例えば、美容師やネイルサロンのネイリストが、顧客の容姿やファッションセンスをソーシャルメディア上で嘲笑したりしたらどうだろう。それは職業倫理上、許されない行為だと考えるのが自然ではなかろうか。

医者の説明を患者が理解できないといって嘲笑する人もいるが、自分の専門分野においては自分のほうが詳しいのが当たり前だ。そのような専門知識を持っているからこそ、医者は仕事で食べていけるのだ。知識がない患者だからこそ、どんな相手であっても、その相手に一番伝わる言葉で上手に説明し、理解を促すのが医者の腕の見せ所だと私は思う。

専門知識を持たない患者に差別的な態度を取ったり、嘲笑する医者も、相手が有名人だったり、ものすごいお金持ちだったりすると態度を豹変(ひょうへん)させる人もいる。そういう有名人が仮に専門領域で無知だったとしても、その医者は懇切丁寧に説明する。

本当は、知識の多寡は本質ではないのだ。

それを知るだけでも、「分断」という人災は消えていく。

写真=iStock.com/timsa
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/timsa

※1 https://www.sciencedaily.com/releases/2021/08/210820111042.htm
※2 https://www.med.or.jp/jma/jma_infoactivity/jma_activity/2011wma/2011_02j.pdf
※3 Kind T. Professional Guidelines for Social Media Use: A Starting Point. AMA Journal of Ethics 2015; 17:441-447.
https://ama.com.au/sites/default/files/documents/2020%20AMA%20Social%20Media%20Guide%20FINAL_0.pdf

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岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学大学院医学研究科教授
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。
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(神戸大学大学院医学研究科教授 岩田 健太郎)