東海大黄金世代・館澤亨次が同期の現役引退を前に「改めて陸上界は甘くない」
東海大黄金世代は今 第2回・館澤亨次(東海大学→DeNA)後編
東海大黄金世代――。2016年、この年の新入生には都大路1区の上位選手、關颯人、羽生拓矢、館澤亨次ら、全国区の選手が多く集まり、東海大は黄金期を迎えた。そして2019年、彼らが3年生になると悲願の箱根駅伝総合優勝を飾った。そんな黄金世代の大学時代の活躍、そして実業団に入ってからの競技生活を紐解いていく。第2回目は館澤亨次(DeNA)。
2023日本選手権男子1500m決勝に挑む館澤亨次 photo by Yohei Osada/AFLO SPORT
DeNAに入社した館澤亨次は、東海大4年時の故障が長引き、6月までリハビリをしながら調整を続けた。2020年7月に復帰レースに臨み、10月の日本選手権1500mで優勝した。大学時代から3度目の優勝となり、ここから一気に東京五輪まで駆け上がっていくように見えたのだが......。
「今、振り返ると東京五輪は厳しかったです。当時の自分の持ちタイム(3分40秒49)からして参加標準記録(3分33秒50)がけっこう高かったですし、狙っていた大会とかがコロナの影響で全部なくなってしまった。力がなかったのもありますが、僕にとって東京五輪は現実的じゃなかったのかなと思います」
館澤は、卒業後、1500mだけに競技を絞って活動していた。チームは、入社する前に駅伝からの撤退を決めており、ニューイヤー駅伝への挑戦はなくなったので、大学時代を含めて初めて1500mに専念できる環境になった。それだけに視線を世界に向け、五輪や世界陸上をターゲットにしていたが、日本男子の中距離は世界に遅れを取り、厳しい状況にあった。1964年東京五輪以来、男子は1500mに出場しておらず、今回のパリ五輪も参加標準記録(3分33秒50)が日本記録(3分35秒42)よりも速く設定されており、1500mにおける世界への挑戦は厚く、高い壁に阻まれている。
「最初の頃は、どうしたら世界の舞台に立てるのか、逆算して考えることがあまりできていなかったんです。それができるようになって、このままでは五輪や世陸に行くことができないというのがわかった時は、心が折れかけたこともありました。今は、まだ世界への道筋が明確に見えているわけではないのですが、まずはタイムを出していかないといけないなと思っています。レースで3分35秒切りを目指しコンスタントに結果を出しつづけ、世界ランキングの上位に位置できることが狙いです。コツコツやっていくしかないなって思っています」
【休みがないのが苦じゃなくなった】技術面と体力面の両輪でのレベルアップが必須だと理解したが、どうやって上げていけばいいのか、思考錯誤を繰り返すも明確な答えがなかなか見つからなかった。自信を持ってレベルアップできている実感がなかったのだ。転機になったのは、海外だった。国内では刺激となり得られるものがないかもしれないと思い、オーストラリアに行き長期合宿を行なった。
「オーストラリアに行って感じたことは、トレーニングでまだまだ自分を追い込めるし、進化できる要素があるんじゃないかということでした。まず、速く走るためにすべきことを100%やって、伸びるところまで伸びたあと、さらに1、2秒詰めるために必要なトレーニングをする。突き詰めていった先で、さらに突き詰めていく作業が必要だと思ったんです。僕はこれと決めたことに向けて突っ走るのが合っているんですけど、できることは何かを毎日、考えてやるようになりました。そうすることで自分に何が合って、何をしなきゃいけないのか、だいぶクリアになってきたんです」
トレーニングメニューや競技に対する意識など、いろんなことを吸収する場になったが、オーストラリア人選手のメンタルや陸上への距離感も参考になった。
「オーストラリアの1500mのレベルはえげつなく高いです。僕のタイムじゃ10番内にも入れないんじゃないかと思います。僕ら日本人は3分35秒を切ることを目標にしていますが、彼らは五輪で優勝をすることを考えているんですよ。それを現実的な目標として追い続けているメンタルの強さがすごいなって思いますね。あと、みんな、陸上が好きで、その距離感がいいんです。ポイント練習もジョグも緊張感を持ちながらやるのが日本のよさでもあると思うんですけど、彼らはジョグはおしゃべりしながら走って、すごく楽しんでいる。でも、ポイント練習になると、緊張感が生まれ、スッと練習に入っていく。その切り替えがうまいなぁって思いました。日本人って、僕も含めてですが、苦しめば苦しむほど強くなれると思いがちじゃないですか。ポイントで追い込む時、走り込む時のつらさは必要だけど、そのなかでも楽しむ感覚が大事だなと思いましたね」
そういう意識の変化の影響か、以前は休日を楽しみにしていたが、1日休むということがほとんどなくなった。「休みがないのが苦じゃなくなったんです」と館澤は言うが、現地でも日本でも毎日、気持ちよく1時間程度、ジョグをしている。
「楽しく走ることで精神的な疲労がたまらなくなりました」
伸び伸びした環境と強い選手にもまれ、館澤の競技力は伸びていき、今年2月には3分37秒13をマークし、自己ベストを更新した。パリ五輪の標準参加記録までは、まだ4秒あるが、最後まで諦めずに狙うという。
「初めて38秒台を出した時は、運がよかったみたいな感じで、もう1回出せと言われてもできないイメージだったんです。でも、37秒台を出した時は、まだいける、33秒に挑戦していけば超えられるんじゃないかというイメージがあったんです。結果的に、33秒を切るつもりでレースに臨んで結果を残していけばポイントが貯まっていき、ランキングで道が開けるかもしれないと考えています。パリ五輪が決まるまでのレースは、全部3分35秒を切るためにどうしたらいいのか、明確なイメージを持って挑戦していきたいと思います」
【改めて陸上は甘くない】パリ五輪の先には来年の東京世界陸上もある。そこまでは、1500mを軸に挑戦していくという。その先は何をイメージしているのだろうか。館澤のスピードやタフな走りを考えれば、マラソンでの活躍が期待できそうだが。
「いやー、マラソンのイメージはできていないですね(苦笑)。ただ、1500mも大学2年の時にいきなり始めて今まで続いているので、いつマラソンに目覚めるのかわからないですが、将来的に、やりたいのは駅伝です。もちろん今は1500mに集中していますが、僕は駅伝が好きですし、いつか挑戦したいなと思っています」
館澤が駅伝に戻れば、きっと沿道から大きな声援が飛ぶだろう。あの時代、箱根駅伝で初優勝し、黄金世代に特別な思い入れを持っているファンは多い。
「大学の頃は、たくさん応援してもらって、間違いなく愛されていたなぁと思いました(笑)。だって、普通の大学生が『ファンです』っていろんな人に言われることはないですからね。だからこそ応援してくださる人がいる限りは、応援される選手が先に諦めるのは、どうなんだろうって思います。いろいろ事情があるのかもしれないし、僕がみんなに『頑張れよ』って言えるほど頑張っているのかどうかはわかりません。でも、自分自身に対して頑張れとはいくらでも言えるので、僕は本当に限界を感じるまでは陸上に向き合ってやっていきたいと思っています」
館澤が少し残念そうな表情で、そう語るのは黄金世代の仲間や同世代の選手が引退をしているからだ。大学時代、ともに1500mに挑戦し、苦しさや楽しさを分かち合った木村理来も昨年、陸上界から去った。
「理来の引退は寂しかったですね。一緒にやってきた仲間だったので。理来に限らず、小松や郡司ら東海大の同期もそうですけど、僕ら世代の選手で辞めていく人が少なくない。その現状を見ていると、改めて陸上は甘くないなと思います。自分たちが注目されたのは、あくまで大学生のなかでの黄金世代で、日本の陸上界から見るとまだまだだったと思うんです。そこにいかに早く気づき、自分に向き合って謙虚さを持ってやっていけるかが大事だなと思っています。そこがスタート地点だと思うんですけど、そこに気がつけなかったり、気がついてもなかなか伸びていかない選手もいて。僕たちはまだ競技力が伸びる年齢なので、何かを諦めるのはまだ早い。もちろん、もう若くはないと思うけど、まだまだこれからの自分や黄金世代に期待してほしいと思います」
卒業後の数年を飛躍のためのモラトリアムと考えれば、これから先の館澤に期待が膨らむ。コツコツと記録を積み重ね、いつか必ず大爆発してくれるだろう。そういう選手であることは、箱根駅伝の6区で区間新を出した走りで、すでに証明済みだ。