F1で4年目を迎えている24歳の角田裕毅が、今シーズンはすばらしい走りを見せて大活躍している。

 角田は2018年にFIA F4日本選手権でチャンピオンに輝き、翌年以降はヨーロッパに拠点を置いてFIA F3→FIA F2とステップアップしていった。早々に海外を主戦場とした経緯もあり、角田と日本国内レースとのつながりはあまり表立ってこなかった印象がある。

 しかし、現在のスーパーフォーミュラやスーパーGTで戦っている顔ぶれを見ると、角田と接点のあるドライバーも少なくない。同じ時期にFIA F4を戦ったドライバーや、鈴鹿サーキットレーシングスクール(現ホンダレーシングスクール鈴鹿)で同期だった選手もいる。

 今回は彼らに「当時の角田裕毅」について語ってもらった。


10代の角田裕毅はどんなドライバーだったのか? photo by BOOZY

【大湯都史樹/おおゆ・としき/25歳】

 ホンダからトヨタに移籍し、今季はさらに国内レース界で注目を集めている大湯都史樹。カート時代の角田と一緒に走る機会はなかったものの、2016年にレーシングスクールで同期となり、ともに切磋琢磨してきた仲だ。

「以前から彼のことは知ってはいましたけど、ちゃんと話をしたのはスクールの時ですね。世代も若干違う(学年でふたつ違い)ので、カートで一緒になることはなかったんです。

 スクール時代は最初、僕と(笹原)右京くんが速くて、裕毅はその後どんどん速くなってきた感じでした。成長スピードが日に日に上がっているな、という印象でしたね。

 最初はトップにいる感じではありませんでした。だけど、センスはあるだろうなと思っていました。そのセンスどおり、裕毅はどんどん成長していって、(スクールの)最後のほうはかなり上位まで来ていました」


大湯都史樹と角田は2016年のスクールの同期 photo by Yoshida Shigenobu

 一方の大湯はスクールを主席で卒業。鳴物入りでFIA F4に参戦し、同じくステップアップしてきた角田と2017年はライバルとして戦った。当時を振り返ってもらうと、角田のメンタルの強さにはかなりの手強さを感じていたようだ。

「FIA F4時代、チームは違いましたけど、ほぼ一緒に活動している感じではありました。当時は裕毅だけではなく、みんなとバチバチやっていた印象です。スポーツランドSUGOの第1レースで裕毅と激しいバトルをした記憶があります。

 裕毅がメンタル的にやられている時は少なかった。予選で失敗ができないと不安がったりとか、レースを取りこぼしたりとか。それはすごいなと思います。昔からメンタルの強さ、勝負強さみたいなものはありましたね」

【笹原右京/ささはら・うきょう/28歳】

 今季のスーパーGT第3戦・鈴鹿でジュリアーノ・アレジとともにGT500初優勝を飾った笹原右京。彼も2016年に鈴鹿のスクールで、角田の同期として切磋琢磨してきた間柄だ。

「カート時代は同じクラスで走ることはなかったですが、(角田の)お父さんと二人三脚でやっているのは見たことがあるので、当時から存在は知っていました。

 その後、スクールで一緒になったので話をするようになりましたけど、当時の印象はめちゃくちゃ『やんちゃ坊主』でしたね(笑)。ただ、そういう人間性というか、彼が持っているキャラクターは、昔から憎めないところがありました。

 スクールに来た当初の彼は、今とは違う部分もありましたよ。でも、当時から何でも吸収しようという力は変わらず持っていたし、なによりすごく貪欲でした」


笹原右京と角田は2016年のスクールの同期 photo by Yoshida Shigenobu

 笹原は、この年のスクールを次席で卒業し、翌年のFIA F4日本選手権に参戦する。もちろん角田も、その時のライバルのひとりだった。

「FIA F4時代、僕や(大湯)都史樹、裕毅はレースの時だけでなく、テスト走行から『自分が一番速いタイムを出すんだ!』という意識で走っていました。お互いのデータも見られるので、相手のよいところは少しでも取り入れようとやっていましたね。

 スクール時代もFIA F4時代も、みんなで競い合っていました。今思うと、いいチームだった。ドライバーとして一番育つ環境が整っていたと思います」

 角田がF1に上がる前、笹原にアドバイスを求める場面があったという。

「裕毅がレッドブルの育成枠に入った時、彼はニュージーランドのフォーミュラカーシリーズに出たことがあるんです。その時、僕はアジアンF3に参戦していて、使っている車両も同じでした。僕は調子がよくて、その車両でいい成績を残せていたんです。

 一方、彼はニュージーランドのシリーズで苦戦していたのだと思います。ある日、裕毅から突然メッセージがきて『どうやったらあのクルマを速く走らせられるのか?』と聞かれた記憶はありますね」

 笹原もレッドブルの支援を受けるレッドブル・アスリートという立場。仕事の場面で角田を会う機会も少なくないという。角田の強さについて聞くと、こう答えた。

「一発の速さというよりは、コンスタントに走ってミスをしないイメージが強かったです。今は一発の速さが際立っている印象があるかもしれないですけど、当時はどちらかというとレースでの強さがあった感じ。

 あと、常に新しいものを吸収して、人のマネをするのが得意という印象でした。当時からマネをするのは得意だから、それを自分のオリジナリティのあるものに変えていくのが、裕毅はとても上手なのではないかと思いますね」

【小高一斗/こたか・かずと/25歳】

 近藤真彦監督が率いるKONDO RACINGからスーパーフォーミュラに参戦している小高一斗。今シーズンはスーパーGTのGT300クラスやスーパー耐久など、さまざまなレースで活躍している。角田とは「旧知の仲」と言えるひとりだ。

「正確には覚えていないですけど、小学1〜2年生くらいの頃には面識はありました。そもそもお互いに実家が近くて、向こうは(神奈川県)相模原市で僕は大和市だったので、会う機会も多かったです。基本的にカート以外の場面で会うことはなかったですけど、たまに一緒に自転車を漕ぎにいったりはしましたね。

 カートは裕毅が僕のひとつ下の世代になるので、レースで一緒になることはなかったですけど、現場で会うことは多かったです。家族同士の付き合いもあったので、家族ぐるみでご飯に行ったりすることが多かったから、そこで仲良くなりました」


小高一斗は幼少期から角田を知る人物 photo by Yoshida Shigenobu

 2018年にはFIA F4に参戦し、同じ土俵でバトルを展開。その当時のエピソードも苦笑いしながら教えてくれた。

「FIA F4で一緒に戦う形になって、裕毅にチャンピオンのタイトルがかかっている最終戦、彼から接近戦のバトルを仕掛けられた記憶があります。向こうは大事な一戦のはずなのに(バトルで)幅寄せされた時があって......(笑)。

 僕はチャンピオン争いからすでに脱落していたので、変に争うことはせずに引きましたけど。『もし、あそこで僕が引かなくて2台が接触し、裕毅がチャンピオンになれていなかったら......』と、あとになっていろいろ考えることはありますね(苦笑)」

 プライベートでも会う機会が多く、今年のF1日本GP後に東京・お台場で開催された角田が発起人のカートイベントにも、小高はサポート役として積極的に協力していた。古くから知る者として、角田の強みはどこなのか。

「裕毅はめちゃくちゃ真面目なので、やることはしっかりやる印象です。プライベートの時間もトレーニングは毎日やっていたり、そういうところは昔からがんばっていると思います。裕毅と比べると、僕はやれていないところもある(笑)。彼はすごくストイックですね。

 今でも連絡はとっているので、(F1でのレースが)よさそうな時は『調子いいね』と送ったりします。おかげで最近のF1は見ていて面白い」