文=松原孝臣 撮影=積紫乃

2024年3月22日、世界選手権男子SPの演技を終えた宇野昌磨(中央)、出水慎一(左)、ステファン・ランビエールコーチ 写真=共同通信社


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家族といるより長かった

 いつも、寄り添うようにそばにいた。

 大会の会場に入るとき、公式練習のとき、試合のとき。得点を待つ「キスアンドクライ」にも一緒に座った。

 出水慎一が宇野昌磨のトレーナーとして、そばにいるのは日常のひとこまのようだった。

「ここ何年かは家族といる時間より、昌磨と一緒の時間の方が長かったですね」

 と笑う。

 2017−2018シーズンからサポートを担い、数多くの大会にも帯同してきた宇野は、今年5月、競技から退くことを発表した。

「変わった感じはしないですね」

 と言うと、続ける。

「引退とはなったんですけれど、まだトレーナーの契約が終わったわけでもないので延長線上であって、いつもの感じとあまり私は変わっていないです。ただ毎週練習に行っていたのがなくなって、ちょっと不思議な感じはありますが。理想的に終われたので、ひと区切りついたんだな、という感じです」

 理想的に終われた--そこには、長く見守ってきたからこその、思いが込められていた。

 

どこにモチベーションを見出すか

「2022年の世界選手権で初めて優勝しました。そのあと、いわゆるライバルみたいな人たちがいなくなっていったとき、『寂しいな』と言っていたので、そこから心境に変化が起こるのかな、と感じていました。世界選手権が終わってひと息ついたときに、もう終えてしまうのかなとも思っていました。そこからはやっぱりフィギュアスケートに向き合う気持ちと引退するという気持ちを、比べるじゃないですけどずっと考えながらやっていたんじゃないか。モチベーションもいろいろ変化してくる中、ほんとうに2年間、けっこうきつかったと思いますね」

 翌シーズンの2023年世界選手権でも連覇を果たすと葛藤は深まっていった。

 1年競技生活を過ごせば、オリンピックが1年近づいてくる。宇野には2026年のミラノ・コルティナオリンピック優勝への期待もあった。

「たしかに、周りはオリンピックで金メダルを獲って……という話はしていました。ただ、彼にとってオリンピックで金を獲るということは目標ではないので、周りが言う話と彼の考えとの違いには苦しんだんじゃないかなと思います。周りから言われたから彼が苦しんだというか、彼自身がフィギュアスケートをやっていて、どこにモチベーションを見出すか、どう向き合うか、気持ちを整理する中で大変だったんじゃないかな」

 それでも2023−2024シーズン、競技生活の続行を決める。

 モチベーションとして見出した1つに表現力の追求があった。

「さいたまで優勝したシーズンまではジャンプをしっかりやっていく、自分が求めるジャンプをやっていくというスタンスがあって、今度はジャンプだけじゃなく表現や演技の部分も、と加わっていったと思います」

最後のシーズンは「ステファンのために」

 もう1つ、2023−2024シーズンの原動力となったものを出水は指摘する。

「最後のシーズンは『ステファンのために』といつも言っていました。ステファンに喜んでもらいたい。ステファンのために自分が求めるフィギュアスケートを悔いなくやりたいという気持ちでした。それがいちばん、フィギュアスケートを続ける理由になっていたのかなと思います」

 それでもシーズンは進み、やがて出水は引退の決断をしたことを宇野から聞くことになった。

「はっきり覚えていないですが、11月か12月の頃だったですね。NHK杯とグランプリファイナルの間だったんじゃないかと思います。『後でステファン(・ランビエルコーチ)にも言う』と話していましたね」

 その決断に意外な感はなかったという。宇野の葛藤を間近でずっと目にし、言葉でも聞いていたからこそだった。

「2022年からいろいろな心境変化があったんですけれど、途中途中、本人の心境を聞いていたので。この1年間でもタイミングとか自分がやりたいこととか、最後決断できないというのは、ずっと聞いていました」

 引退を決めれば、おのずと出場する試合の数は見えてくる。1つ1つ選手としての試合は減っていく。

「2018年の平昌オリンピックのときいつも言っていたのは、『今年は1つ試合が多いね。試合が1つ増えて忙しくなるね』といった感じの言葉です。私自身はオリンピックというところにいろいろな思いがあります。スポーツで言えば1つの最高の舞台になってくる。他の国の人たちも自分の選手生命やさまざまな背景を背負ってやっている。ただ、フィギュアスケートはタイムとかそういうものではなく練習が発揮できるかというところだったので、いつも通りにしたいという思いでそういう発言をしていたのもあります。だから引退を聞いたあとも、いつも通りで過ごしていました」

 

「笑顔で終わろう」

2024年3月23日、世界選手権、男子シングル、FSを終え、笑顔を浮かべる宇野 写真=共同通信社


 グランプリファイナルで銀メダル、全日本選手権で優勝し、いよいよ最後の大会、世界選手権を迎えようとしていた。

 大会へ向けての練習は、ハードという言葉におさまらないほどだった。

「すごかったですね。時間帯は夜中になるときも多かったんですけれど、133本、練習で跳ぶとかふつうでは考えられない本数をやっていました。時間は3時間くらいですね。45分間滑って15分休憩して45分滑って、という具合で3セットして130本くらい。ほとんどトリプルアクセルから4回転ジャンプです」

 平均的にはどれくらい跳ぶものなのか。

「多い選手でも、.絶対に100本はいかないですね。だいたい60本くらいじゃないですか。1セッション20本くらいで」

 しかも宇野は、同じジャンプを続けて跳んでいたという。

「例えば4回転フリップなら4回転フリップを連続で30本という具合です。同じジャンプを続けることで、ぼろが出てきたときになぜそうなったかを分析するためです」

 万全を期して臨んだ世界選手権では、ショートプログラムで1位に。ただフリーではジャンプのミスが出て、総合4位で大会を終えることになった。

 そのフリーは演技を終えた直後、氷上で笑顔を浮かべた。

「限界までやりきっているからというのとこの2年間、自分と向き合っている時間があって、さまざまな過程を経たからこそ後悔なく、ここ2年3年があって最終的に笑顔で終わるという形に行き着いたのかなと思います」

 宇野だけではなく、誰もが笑顔だった。

「どんな試合内容でも彼が全力で取り組んできたことなので、笑顔で終わろうと決めていました。ステファンもいろいろな思。いがあったりするんですけれど、自然と彼も『笑顔で終わろう』と。全員が暗黙で笑顔になっていたというところですね」

 競技生活を終えて、1つの区切りを迎えた。そして今、出水はともに歩んできた宇野昌磨はどのようなスケーターだったのかを語った。(後編に続く)

 

出水慎一(でみずしんいち)スポーツトレーナー。国際志学園 九州医療スポーツ専門学校所属。 専門学校を卒業後、フィットネスクラブに勤務。18歳からスポーツ現場や整骨院で修行を続け、その後、九州医療スポーツ専門学校で学び柔道整復師の資格を取得。スポーツトレーナーとして活動する中でフィギュアスケートにも深くかかわり、小塚崇彦、宮原知子、宇野昌磨、渡辺倫果のパーソナルトレーナー等を務める。2018年平昌、2022年北京オリンピックにも参加している。

筆者:松原 孝臣