ハードル2種目で五輪代表入りを狙う豊田兼 photo by YUTAKA/アフロスポーツ

 豊田兼は190cmを超える長身を活かした走りで400mハードルではすでにパリ五輪参加標準記録を突破済み。日本選手権で優勝を果たせば父の母国で行なわれるパリ五輪の日本代表に内定する。だが、慶應義塾大学4年生の豊田の挑戦は、そこだけにとどまらない。400mとは求められる適性が異なる110mハードルでも果敢に代表入りを狙う。

 6月27日、新潟・デンカビッグスワンスタジアムで行なわれるパリ五輪代表選考を兼ねた陸上・日本選手権。もし豊田が目標を達成すれば、日本陸上界史上初のハードル2種目でのオリンピック代表となり、さまざまな意味合いで、名前の"兼"を体現することになる。

【「ひと皮剥けたレース」で世界基準に】

 5月19日に国立競技場で行なわれたゴールデングランプリ(以下GGP)のレースに、豊田兼(慶大4年)の強さや特徴が表われていた。豊田は、男子400mハードル日本歴代5位の48秒36で優勝。48秒3台はオリンピックや世界陸上選手権で、決勝進出の可能性があるレベルである。

 豊田の強さは、48秒96で2位と敗れた前戦の静岡国際(5月3日)から、レースパターンを大きく変えられた点にあった。400mハードルは10台のハードルを越えていく種目だが、5台目(200m手前)の通過が静岡国際では21秒15(慶應義塾大学競走部短距離ブロックの高野大樹コーチが動画のコマ数から計測。以下同)だったのに対し、GGPは21秒64と約0.5秒も遅く入った。

「静岡では1〜2台を3.6秒台で入ったのですが、今日は3.7秒台に抑えました。本当にわずかな違いですが、前半で飛ばす展開に耐えられる脚がまだできていない、ということです」

 前半を抑えた成果が表われたのが8台目からフィニッシュまで。その間のタイムが14秒96だった静岡国際に対し、GGPは14秒16と0.8秒も速くなっていた。高野コーチは「2台目までで約0.2秒、違っていました。そこで余力が違いますし、終盤で約1秒の違いは勝敗への影響が雲泥の差です」と言う。

 レース中盤の競り合いへの対応、という点でも成長があった。当時の自己記録である48秒47を出した昨年10月の新潟のレースを含め、昨年までは豊田が自分のペースでレースを展開すれば、前半からリードする大会がほとんどだった。だが、GGPでは追う展開で自己記録を更新してみせた。

「5台目までひとつ外側の中国選手に離されたと思いますし、内側のケニア選手にもおそらく詰められたと思います。その状況でも周りに揺さぶられず、自分のレースができたことが終盤で上げられた要因だったと思います」(豊田)

 高野コーチも「前半は周りの速いペースに飲まれた部分もあり、3台目まで詰まってしまったものの、そこから自分のリズムを刻んで、両隣の外国勢が速く入っても気をとられなかった。ひと皮剥けたレースだったと思います」と称える。

 静岡国際が5レーンで4人の選手を前に見ての走りだったのに対し、GGPは8レーンで視界に入ったのは9レーンの選手だけ。自分の走りに集中しやすかった。今後の世界大会では内側のレーンに入り強豪選手を見ながら走ることもある。世界で戦うときにどんな展開ができるのか。この「次の課題」(高野コーチ)もイメージできるほど、GGPではステップをひとつ上がることができた。

【195cmの長身と走りに近い感覚のハードリング】


豊田兼は長身を活かしたハードリングが武器 photo by 森田直樹/アフロスポーツ

 豊田は195cmと世界的に見ても身長が高いこと、そして110mハードルとの2種目をこなすことが特徴だ。110mハードルでも13秒29の日本歴代6位の自己記録を持っている。

 インターバル(ハードルとハードルの間)の走りという点では、特に110mハードルでは長身選手が有利とは言えないが、400mハードルでは間違いなく有利である。

多くのトップ選手は、ハードル間の歩数は5台目までを13歩(奇数歩数なら利き脚で踏み切り続けられる)、7台目までを14歩(6台目を逆脚で踏み切り、7台目で利き脚に戻る)に増やし、10台目までを15歩とさらに増やす。

 それを豊田は8台目まで13歩で、残り2台を各15歩で走りきる。日本人では47秒93の日本歴代2位を持つ成迫健児が6台目まで13歩で行けていたが、8台目まで行く選手は聞いたことがない。歩幅の大きさを生かし歩数を少なくすれば、それだけ後半でのスタミナに反映される、という考え方でいえば、豊田のアドバンテージとも言える。

 ハードリング(ハードルを越える動作)においては、長身選手は重心の上下動が少ないため走る動作に近い。本人も感覚的にそれを感じ取っている。

「400mハードルは(スピード持久的な要素も大きく)練習しないと遅くなるんですが、110mハードルは練習していなくても感覚が体の中に残っているというか、力をプッシュする位置などが走りに近い。ハードルの踏み切りや、最後空中で脚を引き込む動作は、走りの中でやっている動きと共通しています」

 400mの自己記録は45秒57(今年5月の関東インカレ)で、400mハードルの日本歴代10傑以内選手の中では苅部俊二と並び最速タイムを持つ。そのスピードをハードル種目にも直結させられる動きができる。そこがハードラー豊田の特徴と言える。

【史上初のハードル2種目五輪代表へ】

 豊田は400mハードルではパリ五輪参加標準記録の48秒70を突破済み。日本選手権(6月27〜30日。新潟開催)で優勝すればその場で代表に内定する。3位以内でも7月上旬に代表が決まる。

 しかし110mハードルは五輪参加標準記録の13秒27に0.02秒届いていない。世界陸連が定めたパリ五輪出場資格は、五輪参加標準記録を突破しているか、ポイント制の世界ランキング(1国上位3名対象)で男子110mハードルの出場選手枠40人に入っていること。豊田は110mハードルでの大きな大会出場が少ないため、Road to Paris 2024のポイントで出場資格を得ることは難しい。

 昨年の世界陸上入賞者の泉谷駿介(住友電工)の代表が内定しているので、豊田が110mハードルの代表入りをするためには、日本選手権では泉谷を除いた選手のなかで2位以内になることと、五輪参加標準記録突破が必要になる。

 ただ、日本選手権の競技日程は豊田にとっては走りやすくなった。400mハードルの予選と決勝が4日間の大会期間中、1日目に予選、2日目に決勝が行なわれる。確率が高い種目で先に代表を決め、精神的にラクな状態で3日目の110mハードル予選と準決勝、4日目の決勝と進めていくことができる。

 そしてハードル2種目で代表入りすれば、日本の五輪選手では史上初の快挙となる。400mハードルはスピード持久の要素が強く、ハードルの高さも低い。110mハードルとは求められる能力が違うため、世界的に見てもこの2種目で五輪&世界陸上に出場する選手は少ない。

 豊田は東京の桐朋高校3年時に110mハードルでシーズン高校5位(14秒09)、400mハードルで高校8位(52秒00)の記録を残していた。学生レベルなら両種目でインカレの得点源となったが、世界を狙うとなるとどちらも中途半端になる可能性もあった。

 当時を高野コーチが次のように話す。

「初めて見たのは高校1年の時で、110mハードルでした。体のサイズが大きい選手はなかなか速く動かないのですが、豊田は結構、動くタイプでした。手脚が長いのでコントロールが難しいのですが、うまくコントロールできていた。そうしたら400mハードルも走れたんです。スピード持久力もある選手でした。大学に入学してきたら400mも走ることができましたね。ストライドの大きさや走りのダイナミックな部分が注目されがちですが、そこは本人の身体的な特性で、パフォーマンスを向上させる要素は体をコントロールして速く動かせるところにある。だから110mハードルも速くなった」

 そして、ハードル2種目で代表になることの価値を、高野コーチが重要視し始めた。

「本人は1種目に絞りたいと言ったり、2種目やりたいって言ったりしていましたが、僕のほうが2種目に魅力を感じていました。前例がない選手になる、と」

 両種目をやっているうちに、豊田自身も2種目を行なうことに価値を見出し始めた。

「ふたつは似て非なるものですが、自分はひとつに絞りたくありません。試合と練習のスケジュールを組むことがかなり難しいのですが、400mハードルの1週間後に110mハードルがあるとケガのリスクも大きくなります。しかし110mハードルを練習していれば、400mハードルの練習をそれほどやっていなくても、乗り込んでいく動きは400mハードルでも出せましたし、ハードルを跳ぶことの怖さも感じません。2種目は部分的にはつながっていると思います」

 豊田の父親はフランス人で、日本で働いている。

「大学1年で競走部に入部した時点で、4年生になる年にパリ五輪があると知っていました。父親の母国で開催されるオリンピックは、自分にとって少し特別感があります。モチベーションになってきました」

"兼(けん)"という名前には、国をつないで活躍したい思いも込められているようだ。そして目下の"兼"はもちろん、110mハードルと400mハードルだ。

「日本選手権では両方狙いにいきます」

 6月下旬、歴史的な"兼"が実現するかもしれない。

【Profile】豊田 兼(とよた・けん)/2002年10月15日生まれ、東京都出身。桐朋高校(東京)→慶應義塾大学4年。高校時代から全国大会で活躍し、大学入学後は400mハードル、110mハードル、400mと複数種目で成長を遂げ、2023年8月のワールドユニバーシティゲームズでは110mハードルで優勝。2024年5月には400mハードルで日本歴代5位の48秒36をたたき出し、パリ五輪参加標準記録を突破した。セイコーグループ株式会社とサポート契約を締結し、「Team Seiko」の一員として活動している。