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SF映画の金字塔『エイリアン』シリーズの第3作にして、いまや巨匠となったデヴィッド・フィンチャーの長編デビュー作『エイリアン3』(1992)。この映画は宇宙の刑務所で展開する物語だったが、フィンチャーの就任以前には、まったく別の設定が検討されていたという。

企画の当初、『エイリアン3』の監督を務める予定だったのは、のちに『ダイ・ハード2』(1990)や『クリフハンガー』(1993)を手がけるレニー・ハーリン。米では、“エイリアンが地球に出現する”という大胆なアイデアが計画されていたことが本人の口から語られている。なぜ、ハーリンの構想は実を結ばなかったのか?

「私が『エイリアン3』に関わっていたのは1989年。まだ『ジュラシック・パーク』などの前だったので、地球上にクリーチャーが出現するというアイデアを、スタジオは怖がり、実現できないと感じたのです」

実際にハーリンが企画開発に携わっていたのは1988年から1989年ごろ。SF作家の巨匠ウィリアム・ギブスンのほか、脚本家のエリック・レッドやデヴィッド・トゥーヒーとも脚本製作に取り組んだが、いずれも形にはならなかった。ハーリンによるアイデアは、そのうちのどこかの段階で提案されたものだったようだ。

「(地球にエイリアンが登場するのは)自然な展開だと思いました。『エイリアン』(1979)は宇宙のトラック運転手たちの話だし、『エイリアン2』(1986)は宇宙の海兵隊の話。次はどうしようか……と考えたときに、“エイリアンを地球のトウモロコシ畑に出現させよう”と思ったのです。私の頭のなかには、農家とトウモロコシ畑が月明かりに照らされるなかを彼らが通り抜けていくというポスターのイメージがありました。そんな映画は当時なかったから、きっと大ヒットしただろうと今でも思いますよ。けれどもスタジオ側は、なぜか“これは観客に受けないな”と考えたわけです」

その代わりに出てきたアイデアが、完成した『エイリアン3』につながる「エイリアンを監獄船に乗せる」というものだった。ハーリンはこれをとうとう受け入れられず、プロジェクトを降板するに至っている。

「昔の話ですし、誰のことも責めてはいません。とにかく私は『エイリアン3』に1年間関わり、丁寧に、礼儀をもって去りました。リドリー・スコットやのあと、自分が観客の期待に応えられない映画を、また(前2作と)同じ体験を与えられない映画を作ることに耐えられなかったからです」

ハーリンは、自身の『エイリアン3』について「共感できる映画にすることが大切でした」とも語っている。「登場人物は宇宙にいるかもしれないけれど、彼らは宇宙にいる私たち。だから感動するのです」と。

なお、ハーリンの降板後に起用されたフィンチャーも、『エイリアン3』の製作を「本当にひどかった。二度と同じ失敗は犯さないと誓いました」と振り返っている。「関わった2年間のあいだに(スタジオから)3度解雇されかけ、そのたび戦わなければいけなかったんです。私よりもあの映画を憎んでいる人はいませんよ。現在に至るまで、誰も」

ところで、ハーリンが計画していた“エイリアンが地球に出現する”というアイデアは、じつに35年を経て、いよいよテレビドラマ版「エイリアン(原題)」で。同作は今から70年後、近未来の地球が舞台で、クリエイターは「FARGO/ファーゴ」(2014-)のノア・ホーリーが担当。2025年以降の放送になるとみられている。

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