みんなが揃って食卓を囲む風景というのも、もう昭和のものになった(写真:IYO/PIXTA)

予約の取れない和食店として有名な「賛否両論」店主・笠原将弘さん。50歳の節目に、「和食」への想いを綴ったエッセイ『今さらだけど、「和食」をイチから考えてみた。』より一部抜粋し、3回に渡って掲載します。

第2回は、日本の家族の食卓について笠原さんが考えることです。

時代とともに食卓の風景は変わるもの

焼き鳥屋を営んでいた僕の父親は、基本的に和食派。体にいいからという理由で味噌汁も毎日欠かさず飲んでいた。白いごはんに味噌汁。そして、店の残り物のおかず。これが僕の幼い頃の我が家の食卓の原風景だ。

両親が店の切り盛りで忙しいから、僕は近所に住んでいた祖父母の家でごはんを食べることもよくあった。そのときも基本的には和食。

僕は一人っ子だったし、両親も店のことで手一杯だったから、家族が揃ってごはんを食べることはあまりなかった。だから、アニメの「サザエさん」の家みたいに、みんなが揃って「いただきます」をするという感覚がずっとわからなかった。

「サザエさん」を通して思うのは、みんなが揃って食卓を囲む風景というのも、もう昭和のものになったということだ。3世代が同居して、おじいちゃん、おばあちゃん、子どもと孫がいて……という家は、かなり少なくなっているのではないか。

これは、出汁の取り方にも通じることだと思うのだが、今の人たちは「理想の食卓」「理想の家庭」のイメージからも、自由になったほうがいいと思う。

たとえば、テレビで新築マンションのCMを見たりすると、微笑み合っておしゃべりをしながらごはんを食べている家族や、いつまでも仲睦まじい夫婦が登場したりするが、そういうのは多分に理想像だ。

サバ缶を缶のまま食べることも

今の笠原家の食卓だって、みんなわりと黙々とごはんを食べている。それでも、たまには「今日、友達がこんなこと言っててさ……」とか、「ちょっと聞いてくれる、仕事でこういうことやってるんだけど……」とか、「店に来たお客さんが面白いこと言ってね……」とか、たわいもない会話のキャッチボールがあったりする。

上の娘2人は社会人と大学生、末の息子は高校生だから、そもそも一緒に食べることがない。食事の時間帯がまったく噛み合わないからだ。店の仕事が終わって僕が帰宅する時間には、もうみんな寝ている。

たまに家族が揃っても、ぜんぜんきちんとしていない。サバ缶を缶のまま食べたり、面倒くさいときはコーンフレークをラーメンのどんぶりで食べたりということもある。

僕の場合、夕ごはんのときは先につまみを食べて、ごはんは締めで最後にしたいから、食べる順序も息子とは真逆だったりする。

ふだんの僕の夕ごはんと言えば、店で出した刺身の切れ端とか、形の悪い部分や、ちょっとお客さんには出せないものなどを持ち帰って、ささっと食べているという感じだ。それに納豆ごはんとかを合わせたり。ちょっと最近食べすぎだなと感じたときは、冷奴に何か垂らして、「ごちそうさん!」というときもある。

みんな忙しいし、食べる時間もばらばら。リアルな食卓は、多くの家庭がそんな感じなのではないかという気がする。

だからと言って、気持ちが離れているというわけではない。

我が家では、たまにみんなが揃う日がわかったら、そのときはスーパーに行って、ちょっといい食材を買い込んで、気合いを入れて作ったりしている。

家のごはんなのだから、そういう我が家の"家族のカタチ"みたいなものを、もっと慈しんでいいように思う。

「サザエさん」やテレビCMなどに惑わされることなく、ありのままの家族の食卓に自信を持っていいのではないか。そうなれば、ごはんを作る人の気がラクになるし、食べる人も気軽においしく味わえるはずだ。


(消しゴムはんこイラスト・とみこはん)

修業時代の師匠の教え─「人の役に立て」

僕は、関西の日本料理店で9年間修業をした。

下働きから始まった修業は大変厳しいものであったが、料理人としての心構えがこの修業によって身についたと言える。

技術はもちろんのこと、修業時代に学んだことはすべて今に生きていると思っている。

そのなかでも特に心に残っているのは、

「自分に余裕があったら人の役に立つことをしろ」

「なんにもやることがないなら仕事をしとけ」

という師匠の言葉だ。

「人間、暇だと余計なことをする」というのが、僕の師匠の口癖だった。

「もし、料理人としての仕事が途切れることがあっても、料理人じゃない仕事をしてでも働き続けろ」と。

やることがなくてフラフラしていると、なんとなく行ったパチンコ屋で散財する……、なんてこともあるかもしれない。

人間、仕事をしていれば何かの役には立つし、自分の腕も上がる。いいことづくめということだ。

料理人は人を幸せにする仕事

食べてくれる人を喜ばせるために、僕はずっと料理の技術を磨いていると思っている。


僕が初めて包丁を持ったのは小学5年生くらいのときだった。見様見真似で焼きそばとかチャーハンとか、自分が食べたいものを作っていた。

土曜日の昼は給食もないから、豚汁を作ったり。たまたま自分の部屋にオーブンがあったから、お菓子作りにもハマったりした。

親父が料理しているのを間近で見ていたので、「なんとなく、こうやったらできるんじゃないかな?」という感じでいろいろ作っていた記憶がある。

「ペヤングソースやきそば」の上に炒めたハムをのせたり、「どん兵衛」に野菜炒めをのせたり……。

市販品をどんどん自己流にカスタマイズして、グレードアップさせることに夢中になっていたことを思い出す。

今は市販品やレトルト食品もとても充実しているが、そういうものを自分好みにアレンジする方法はいくらでもある。おなかがすいたときに、市販品に頼るのはもちろんいいのだが、自分好みにアレンジできたら、それは、すごくクリエイティブなことだと思う。

(笠原 将弘 : 「賛否両論」店主)