2024年1月16日、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムで特別演説を行うウクライナのゼレンスキー大統領(2024 Bloomberg Finance LP)

2023年末からロシアによる、ウクライナの主要都市へのミサイル攻撃が激しさを増している。毎日のようにロシアからミサイルが発射されている。それも、超音速からドローンまで多種多様である。

しかし、不思議なことに都市の住民の建物をことごとく破壊したという話はあまり聞かない。ロシアは住宅への直接攻撃を避けているのだ。

一方、ウクライナのドローン攻撃も2023年12月30日にあった。ウクライナの北の国境から30キロメートル先にある都市ベルゴロドへの攻撃だ。このドローンは軍事施設やインフレを狙ったものではなく、町の広場を狙ったものであった。市民の犠牲者も出た。

目立つロシア軍の冷静さ

しかし、ロシアはこれに対して、報復攻撃として住宅への攻撃はできるかぎり避けている。ひたすら軍事施設とインフラ攻撃を繰り返している。それはなぜか。

ここで理解しておかねばならないのは、ロシア軍の冷静さである。あたかも何年も前に計画された行動にしたがって沈着に行動しているようだ。ある意味、報復をするような感情の起伏があってもいい。しかし、それを持たない極めて冷徹な反応は、恐るべしというべきかもしれない。

これについてスイス陸軍の元大佐であるジャック・ボー(Jacques Baud)は『戦争と平和の狭間のウクライナ』(Ukraine entre Guerre et Paix, Max Milo, 2023)の中で、このロシア軍の冷静な行動について分析している。

ロシアは周到に作戦を立てて行動しているという。1つひとつの軍事行動が全体の行動と、そしてその後の戦略としっかりと結びついているというのだ。これをハイブリッド戦略というようだ。

例えば2022年の開戦当初、ロシア軍はキエフ(キーウ)の北、ハリコフ(ハルキウ)の近郊など、大きな軍事作戦を展開した。しかし、同年9月にはすべて撤退し、ドンバスからザポロージャ(ザポリージャ)とヘルソンのドニエプル川左岸地域に軍を引き、国境線を固めた。

この戦いをウクライナは勝利だと喧伝したのだが、ボーによるとそうではないという。

それはロシアの行動が最初から、ウクライナの東のロシア人地域を占領するという計画であったからである。キエフやハリコフ近郊への攻撃は、あくまでも陽動作戦であったというわけだ。

キエフは6万人以上の精鋭部隊で固められている。そのほかの都市も同じだ。こうした軍が東へ投入されると、当時のロシア軍の兵力15万人程度では目的が貫徹できない。だから、ウクライナ全土に攻撃をかけて、ウクライナ軍の東部への投入を避けたというものだ。

アフガン紛争での教訓

ロシアは、ソビエト時代のアフガニスタン攻撃で痛い目に遭っている。それは、アメリカが北爆や中東での戦争で繰り返したように、絨毯爆撃を行い、多くの市民を殺戮し、アフガン人の反感を買い、それ以降の戦線で相次ぐゲリラ攻撃で守勢にたたされ、敗北したという苦い経験だ。

こうした経験からロシアは、市民への直接攻撃は避け、攻撃目標は当面のみならず、背後にある銃後のインフラ設備にターゲットを絞っているという。インフラとは、軍事施設、飛行場、迎撃システム、レーダーなどの情報施設、橋や道路や鉄道などの兵站設備である。

確かにイスラエルのガザ攻撃を見ても(もちろんガザからのイスラエルの攻撃を見ても)、市民への攻撃は国際法違反というだけでなく、人々の憎悪をかきたて、復讐の連鎖を生み出す。破壊されることによる見かけの打撃は大きいが、こうした攻撃は末代までの怨念を生み出す。

インフラ攻撃は、ボクシングのボディブローに似ている。間接的ではあるが、次第次第に相手を消耗させ相手の動きがとまる。考え方によっては、残酷な攻撃だ。真綿でじわじわと締め付ける方法だ。

最終的に根をあげたところで勝利する作戦ともいえる。こうしたロシアの攻撃は、ゲラシモフ将軍の理論から来ているという。

通称「ゲラシモフ・ドクトリン」と呼ばれる作戦は、まさにこの消耗戦である。西側の軍隊はこれまで比較的軍事的に弱い地域と戦争をしてきたこと、また西側から見て殺戮もやむなしという人種的偏見をもっていた地域が対象だったこともあり、直接攻撃を展開してもいた。

それが可能だったのは、相手の抵抗が少なかったからである。しかし、近代的軍をもっていて、軍備においてさほど差がない国同士では、周到な作戦と、相手の兵力を削ぐという作戦をしないと、大量の死者を出すことになる。

ゲラシモフという名は、2023年10月にウクライナのゼレンスキー大統領と停戦交渉に入ったのではないかという噂や、最近の攻撃で戦死したのではないかとウクライナ筋の情報で噂されるロシア軍のナンバー2である。

作戦要綱「ゲラシモフ・ドクトリン」

ゲラシモフは、「ゲラシモフ・ドクトリン」という作戦要綱を2013年に発表している。これは2006年に『ミリタリー・レビュー』に翻訳されていて、ネットで誰でも読める。そこでこう述べている。

〈戦争のルールそのものが変わった。政治や戦略的目標を完遂する非軍事的手段の役割が増大し、多くの場合、その効果において武器の力の威力を、凌駕しているのである。適用される紛争の方法の焦点が、政治、経済、情報、人事、そのほかの非軍事的手段―人々の抗議のポテンシャルと歩調を合わせて適用される―を広く使うという方向へシフトしたのである〉(24ページ)。

まさにこれは、クラウゼヴィッツの『戦争論』の有名な定義、「戦争は政治の延長である」という言葉を体現したもので、とりわけ新しいものではない。しかも、こうした戦略がどこから生まれたかというと、1991年のアメリカの湾岸戦争からだというから、むしろ戦略のヒントはアメリカから来ているといえる。

情報技術の進展で、戦争の遂行は極めて間断のない決定を強いられる時代になっていて、そのためには前線での戦闘以上に、中央司令部での広範な戦略が重要になっているという。

だから前線の戦闘能力もさることながら、そこに至る中央の戦略の持つ意味が大きい。そして、戦争に勝利するには、非対称的に「敵の利点を徹底的に無力化」することだという。

まさにその無力化ということが、インフラ設備への徹底攻撃だということになる。そしてそれを遂行するために、AIを使った科学戦略があげられている。AI技術の導入という点で、ロボットによる戦争遂行や宇宙戦争という問題もゲラシモフはあげている。 

しかし、それ以上に重要なことは経済と外交であろう。ゲラシモフは軍人らしく、この問題にはほとんど触れていない。

ただ、軍事力だけではないハイブリッド戦争の遂行は、まさにこの経済と政治、とりわけ外交にかかっているともいえる。経済と政治、この点におけるロシアのこの2年間の行動は、これまでの戦争のときとかなり異なっている。

ロシア外交の奮闘ぶり

NATO(北大西洋条約機構)諸国の経済封鎖による圧力を避けるために、ロシアの外交活動には目覚ましいものがあった。ロシアのラブロフ外相が世界中あちこちと飛び回り、NATOに敵対的な国家を自らの陣営に引きずり込んだ。

なおかつ国際貿易をドルやユーロによらない決済制度に変えることで経済的制裁を回避し、友好国とりわけBRICS体制を強化することで「孤立したロシア」というイメージを払拭していった。

NATO諸国が得意とするところは軍事力だけではなく、その経済力と政治力にあったのだが、ロシアはその1つ経済制裁と経済封鎖を、友好国を拡大することで切り抜けている。また「国際的価値基準」という名の西側の政治を、「多様な価値観」という発想で切り抜けようとしている。

戦争がアジア・アフリカの反NATO勢力の支持を得ることで展開されれば、ウクライナ戦争は欧米対反欧米という対立の戦争となる。当然、ウクライナの局地的戦争という枠を越えてしまう。ゲラシモフ・ドクトリンの気になるところがそこにある。

戦争の当面の目的はウクライナにあるとしても、それはウクライナに勝利するためにNATO勢力と真っ向から対抗することを意味しているからだ。ゲラシモフ・ドクトリンがNATOにとって脅威である理由は、まさにここだ。

要するに、このドクトリンから言えることは、ウクライナ戦争は、ロシアにとってもまたNATOにとっても、もはや東欧の局地的戦争ではなくなっているということである。それがこの戦争を長引かせている原因でもある。

そしてこの戦争は、NATOと対抗する紛争地域への導火線となり、対立する両陣営が一触即発で第3次世界大戦まで至る不気味な可能性を秘めていることである。

ウクライナへの攻撃は、前線での戦争だけでなく、ウクライナ全土のインフラ設備の破壊であった。それはウクライナ経済を壊滅状態に今追い込んでいる。

NATOが苦しむブーメラン効果

またウクライナに武器や援助を与えたNATO諸国も、その結果自らが行った経済制裁や援助のブーメラン現象を受け、経済的に息切れを起こし景気の衰退が生まれている。それがNATO諸国の不安をいっそうかきたて、ロシアへの脅威を増幅させているともいえる。

そして、それがますます停戦を困難にさせ、戦争を迷走経路に導き、引くに引かれぬ戦いの場となっている。前出のジャック・ボーは、先の書物でウクライナとロシアのプロパガンダの違いを指摘している。

ウクライナは虚偽の情報を流し、ロシアは不利な情報を隠す。ともにプロパガンダだが、内容は異なる。もっぱらウクライナの情報に従っているNATO諸国は、この情報によってこの戦争に簡単に勝利できるものだと支援を強化したが、それが真実ではなかったことで、大混乱に陥っているというわけだ。

戦争中の日本のように、うその情報が出てくると、それを払拭するのは簡単ではない。ロシアの残虐性や非道性への非難が拡大するだけで、戦況や相手の意図がわからなくなる。

ロシアはロシアで、情報が入らないことで、相手の言い分が入ってこない。国民はいたずらに勝利に向かって愛国心を燃やすだけである。

要するに、停戦を生み出す理解がお互いに得られなくなっているのだ。戦争が終われば、両国民さらには世界が、この戦争の現実をしっかりと知ることになるだろう。だが、今のところプロパガンダに振り回され、敵意をむき出しにして、終わるところを知らない。

ウクライナに限っていえば、戦争の決着はすでについているといえる。後は、第3次世界大戦という愚かな戦争へ至らないための政治的決着をどうするかが残っているだけなのだ。

(的場 昭弘 : 哲学者、経済学者)