ドイツ国内では親イスラエル派ばかりでなく、親パレスチナ派のデモも繰り返されている(2023年12月2日、ハンブルク、写真:Markus Scholz/Getty Images)

2023年10月7日のイスラム主義組織ハマスのイスラエルに対するテロ攻撃と、イスラエルによる対ハマス掃討作戦の激化以来、ドイツをはじめヨーロッパ各国で、反ユダヤ主義の高まりがみられる。

筆者は2023年11月、ドイツ・ベルリンのユダヤ人団体、イスラム教団体の代表者らに会い、彼らが抱いている不安や現状への批判を聞いた。

「街路がハマスによる虐殺を祝う人々であふれた」

ドイツの反ユダヤ主義の研究機関「RIAS」によると、テロ攻撃から11月9日までの間、994件の反ユダヤ主義の動機に基づく事件があった。1日当たりの件数で、前年の平均の約4倍となり、内訳は深刻な暴力が3件、暴力29件、器物損壊72件、反ユダヤ主義的発言など854件だった。

公共放送ARD(12月29日付電子版)が、連邦刑事庁の集計を基に報じるところでも、テロ攻撃から12月21日までの間、反ユダヤ主義の不法行為は1100件以上。前年1年間の同様の不法行為は2874件だったことを見れば、反ユダヤ主義が急速に拡大していることは明らかだ。


鉄柱で守られるユダヤ人中央評議会の本部建物(2023年5月28日、筆者撮影)

「ドイツ・ユダヤ人中央評議会」は、ベルリン・ミッテ(中央)区の大きなシナゴーグ(ユダヤ教教会)のすぐ近くにある。テロ攻撃に備え、入り口前の歩道には太い鉄製の柱がコの字型に設置され、24時間警察官が警備している。

この建物内で11月29日、ダニエル・ボトマン事務局長(1984年生まれ)と、ニルス・ランゲ報道官に会った。ボトマン氏は、ドイツの反ユダヤ主義の現状について、厳しい見方を示した。

「ドイツの反ユダヤ主義は、1945年(第2次世界大戦でのナチ・ドイツの敗北)で変わったわけではない。戦後ドイツでも反ユダヤ主義は常に存在した。ただ、今回のハマスによるテロに際し、ドイツ中の街路が虐殺を祝福する人であふれた。この形は新しい質を持つものだ」

テロが起きた直後の10月7日昼、イスラエルの捕虜となったパレスチナ人の支援活動をしている団体「サミドゥン」(Samidoun)が、イスラム系移民が集住するベルリン・ノイケルン地区で、テロを祝いお菓子を配った。

その後もパレスチナへの連帯と反イスラエルのデモがドイツ各地で行われ、17日夜から18日未明にかけては、ガザの病院爆発事件を受けて、ノイケルン地区やブランデンブルク門前で反イスラエルデモが暴動化し、シナゴーグに火炎瓶も投げつけられた。

警察はサミドゥンを活動停止処分、反イスラエルデモを不許可にし、反ユダヤ主義的なスローガンを取り締まる姿勢を強めた。


テロ研究者のラハフ氏(2023年11月20日、ベルリン、筆者撮影)

ベルリンの喫茶店で話を聞いたベルリン在住のイスラムテロを専門にするシンクタンク研究者エラン・ラハフ氏(38歳)も、反ユダヤ主義の質的な変化を指摘した。

ラハフ氏はイスラエル生まれで、テルアビブ大学で修士号を取った。ドイツ国籍も持っている。先祖にはナチ・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)の犠牲者もいる。

ラハフ氏は、「ドイツ各地のデモでは、パレスチナの旗だけではなく、ジハード(聖戦)の旗が掲げられた。数年前はこうした光景はなかった。今ではユダヤ人であれば殺す、あるいは殴ってやろう、と公然と発言されている」と危機感を訴える。

「ユダヤ人への憎しみは、西側への憎しみと密接」

イスラム教徒だけでなく、ドイツ人の間でもイスラエル批判が広がっている。特に大学の左派学生の間で蔓延する反ユダヤ主義は深刻だという。


ユダヤ人中央評議会のボトマン氏(2023年11月29日、ベルリン、筆者撮影)

ユダヤ人中央評議会のボトマン事務局長はこう話す。

「ベルリン芸術大学で2週間前、100人ほどの学生が手のひらを赤く塗り、反ユダヤ主義的な言葉を叫んだ。赤く塗った手は、2000年にイスラエル兵が殺害されたとき、殺害したパレスチナ人が血塗られた手を掲げた事件に由来する。彼らはハマスのテロリストのような恰好をして、ユダヤ人の学生を脅迫した」

こうした現状から、ボトマン氏が強調するのは、イスラエルとハマス間の紛争が、両当事者の問題にとどまらないという視点だ。

「反ユダヤ主義は社会全体の問題だ。反ユダヤ主義者で民主主義者はいない。反ユダヤ主義との戦いの中で、民主主義の強靭性も養われた。この社会で自由民主主義の原則のもと平和的な共存を目指すなら、反ユダヤ主義を唱える人を抑え、そのイデオロギーと戦わねばならない」

「イスラム主義のデモで見られる、イスラエル、ユダヤ人への憎しみと、西側世界への憎しみは密接に結びついている。日本を含む西側諸国と、中東で唯一の民主主義国家イスラエルは、自由の価値を共有する。逆にイスラム主義者だけではなく、それと一緒に行動する人たちも反自由主義思想の側に立つ」

ラハフ氏も、「ハマスがジハードを叫ぶとき、対象はイスラエルにとどまらず、西側文明全体だ。ハマスによるイスラエル攻撃は、イスラムの名の下でのもっと大きな戦争の一部だ。これはEU(欧州連合)に対する目覚まし時計だ。イスラエルは最前線であり、テロと戦わなければ、次はベルリン、マドリードが狙われるかもしれない」

「ジハードはユダヤ人だけが対象なのではない。日本人、世界全体も対象にしている。ハマスの元指導者の一人は、『シャリア法(イスラム法)により世界は統治され、ユダヤ教徒、キリスト教徒がいない世界が生まれる。イスラエルは最初の一歩に過ぎない』と発言した。それがジハードの考え方だ」と話す。

ボトマン氏とラハフ氏に共通するのは、イスラエルが西側世界と同じ価値を共有し、ハマスなどの自由の価値を否定する勢力と戦わねばならないという考え方だ。イスラエルが西側世界に連帯、支援を訴える論拠ということもできるだろう。

イスラム・パレスチナ団体代表が語ったこと

ドイツ国内では、テロ攻撃発生直後、それを歓迎するデモも公然と行われた反面、テロを非難し、イスラエルへの連帯を訴える世論も強かった。

政治の主流は、ナチ・ドイツの歴史を教訓にイスラエルとの特別な関係を維持する姿勢を保っている。アンゲラ・メルケル前首相の「イスラエルの安全は、ドイツの国家理性(国家としての良識)」という、ドイツ国内では有名な言葉はその後もしばしば引用される。

しかし、イスラエル軍によるハマス掃討作戦が進むにつれて、ガザの民間人の犠牲者も増え、イスラエルへの批判が高まっている。もともとドイツの左派に強い反イスラエル、親パレスチナ世論も次第に力を得てきた。

ユダヤ人団体に話を聞いた同じ時期、「イスラム教徒中央評議会」のアイマン・マツエク議長(54歳)、「パレスチナ人中央評議会」のタイヤ―・ハッジョ議長(63歳)に話を聞いたが、両人はイスラエルだけでなく、ドイツ政府も批判の対象とした。

ユダヤ系も、イスラム教徒やアラブ系の組織も、どちらも原理主義者からドイツ社会との共存を目指す穏健派まで幅広い。私がベルリンで話を聞いたイスラム、アラブ系組織の両議長の見解は、比較的穏健の立場を代弁している。

イスラム教徒中央評議会は、イスラム教団体としては初めて、アウシュヴィッツを訪問し、国内外で他宗教との対話を行ってきた、という。


イスラム教徒中央評議会のマツエク氏(2023年11月30日、ベルリン、筆者撮影)

議長のマツエク氏は、ドイツ西部アーヘン生まれ。父はシリア人、母はドイツ人。カイロでアラビア語、イスラム学、アーヘンで政治学を学んだ。1984年に発足した中央評議会に、ほぼ最初から関わってきた。2011年から議長を務めている。

マツエク氏は、「ハマスは過激主義組織であり、パレスチナ解放をその過激主義の正当化に使っている。ハマスもイスラエルの過激主義者も和平プロセスには興味がない。イツハク・ラビン元イスラエル首相の暗殺(1995年)は極右ユダヤ人によるものだった」と双方の過激主義に対して距離を置く姿勢を示す。

「ハマスはパレスチナの代表者ではない」

パレスチナ人中央評議会は、常時活動しているのは100人で、社会、文化的活動が中心であり、政治的な団体ではない、と言う。


パレスチナ人中央評議会のハッジョ氏(2023年11月21日、ベルリン、筆者撮影)

議長のハッジョ氏の両親はパレスチナ出身で、本人はシリア・ダマスカスの難民キャンプで生まれた。パキスタンで船乗りとしての訓練を受けた後、船員として世界を回ったが、30年以上前にベルリンに来てからは、建物管理会社を経営してきた。ドイツ国籍を取得している。

ハッジョ氏も、「民間人を殺害するのはテロリズムだ。そこに争いはない。民間人と罪のない人間の殺害は起きてはならず、それを批判する」と認める。「ハマスはパレスチナの代表者ではない。我々はハマスのブローカーではない。とてもじゃないがハマスの支配下で生きたくはない」とも言う。

ただ、「われわれ(パレスチナ人)は占領下にある。占領者に対する戦いがテロリズムかどうかは疑問だ。パレスチナ人は自分の土地を防衛する権利がある」と述べて、ハマスの活動に抵抗運動としての側面もあるとの認識を示した。

イスラム教団体の2人が共通して批判するのは、欧米諸国の「二重基準」だ。

マツエク氏は、「ウクライナでもガザでも、罪のない民間人が犠牲になっているが、ロシアは侵略戦争を行い、イスラエルは防衛の権利の行使と、違う扱い方をされている。ドイツはイスラエルを支持しアラブ諸国からの信頼を失っている。ドイツは政治的信頼で大きな資産を持っており、もっと活用できるはずだ。中立の立場に立ち、紛争を終わらせることに努力すべきだ」

ハッジョ氏も「イスラエル・ネタニヤフ政権の閣僚の1人がガザに原爆を落とすと言った。オスロ合意(1993年)を無効にしたのは(ラビン元首相を暗殺した)ユダヤ人の極右だが、西側諸国はそうした事実を大きく取り上げない」と不満を口にした。

ロシアによる侵略と、イスラエルによるハマス掃討作戦を同一視する議論は、西側諸国にとっては受け入れられない。他方、イスラム教徒の間やアラブ世界では「欧米の二重基準」は頻繁に耳にする主張だ。

マツエク氏は、ドイツ社会の分断が拡大している現状を指摘する。

「民主主義に対する信頼の欠如、体制に対する不信が進み、ドイツ社会がバラバラになり漂流することが危険だ。危機が、極右、極左、イスラム過激派といった勢力を強めることを恐れる」

反イスラムの排外主義を正当化する動きも

戦後ドイツは、ナチ・ドイツによるホロコーストを最大の歴史的教訓としてきた。従って、反ユダヤ主義と見なされる歴史認識や活動に対しては、法的手段も動員して、徹底して芽を摘み、表面化させない努力を続けてきた。

しかし、ハマスのテロを機に街頭で公然と反ユダヤ主義のスローガンを叫ぶ人々が現れた以上、こうした強力なタブーは形骸化していくことも考えられる。

この筆者の疑問に対して、マツエク氏は「右派ポピュリズム政党の『ドイツのための選択肢』(AfD)などによる、反ユダヤ主義の罪を拒否するプロセスはすでに進んでいる。それにイスラム教徒からの(反ユダヤ主義に対する罪を軽減する)相対化の動きが加わっている」と、すでに変化が起きているとの見方を示した。

ナチ・ドイツのタブーが強い戦後ドイツ社会では、イスラエルの政策に対する批判は、そのまま反ユダヤ主義と見なされる傾向があった。それに対する疑念も強くなっている。

『シュピーゲル誌』は「イスラエルの政治指導者を批判すると、反ユダヤ主義との批判に晒されるが、政治合理的な批判であれば反ユダヤ主義的ではない」と指摘する。

ただ、イスラムテロを研究するラハフ氏は「イスラエルを批判する人すべてが反ユダヤ主義者ではないが、多くの批判者が反ユダヤ主義を動機としている」と、反ユダヤ主義を抑え込む規範が薄まることへの懸念を示す。

こうした反ユダヤ主義的な傾向が広まることへの警戒と同時に、マツエク氏は反イスラムの動向にも警戒する。

「興味深いことに(もともと反ユダヤ主義的傾向があった)右派が、『われわれはイスラエルの友人だ』と言い始め、イスラム教徒に対する排外主義を正当化しようとしている。少なからぬ人が、『反ユダヤ主義と戦う』と言って、反イスラム教、反パレスチナの排外主義を広めているようだ」

イスラエルとハマスの紛争をきっかけに生まれている社会意識の変化の行方が注目される。

(三好 範英 : ジャーナリスト)