理研は日本でトップクラスの研究所だが、ガバナンスに問題がある(記者撮影)

理化学研究所(理研)――。日本で唯一の自然科学の総合研究所で、国立の研究開発法人でもある。収入の大半は、運営費交付金や補助金といった国から支給されているものだ。

その理研が1月11日、4月に新しい研究室を発足させるとして、1名の研究員の公募を開始した。研究室の名前は「伊丹分子創造研究室(仮称)」で、研究室を主宰する主任研究員は名古屋大学教授の伊丹健一郎氏。つまり、理研が4月から伊丹氏を主任研究員として迎えることが対外的に明らかになったわけだ。

このことが一部の研究者らの間で波紋を呼んでいる。

不正論文の責任で研究費用の交付が停止中

分子をつなげて価値ある材料を作り出す合成化学の権威である伊丹氏だが、名大で自身が主宰していた研究チームが2019年6月にイギリスの科学誌『ネイチャー』上で発表した炭素素材グラフェンナノリボンに関する論文で、重大な不正が発覚している。

伊丹氏は責任を問われ、国の研究費用の配分を決める科学技術振興機構(JST)や日本学術振興会(JSPS)からはペナルティとして、研究費用の交付を2025年3月末まで止められている最中。にもかかわらず、主に国からの研究費用が資金源の理研が伊丹氏を採用することは、ペナルティを途中で無意味化させかねない。

しかも、理研は伊丹氏にかなりの好待遇を用意している模様だ。理研では主任研究員の場合、採用の初年度には立ち上げ費用と研究費用として、多ければ5000万円ほどの資金を出すという。理研関係者は「これでもかなり高い水準だが、伊丹氏にはそれよりもはるかに大きな額の研究費用を配賦する方針のようだ」と明かす。

そもそも論文の不正を巡っては、2022年3月、名大の調査委員会がデータの改ざんやねつ造を認定した。実際に不正に手を染めたのは伊丹氏が主宰する研究室に所属していた筆頭筆者の元大学院生で、論文の「コレスポンディングオーサー(責任著者)」として名を連ねていた伊丹氏と、名大准教授の伊藤英人氏の2人は、改ざんやねつ造への関与を否定している。

ただ、責任著者は筆頭筆者以上に論文の成果に対する名誉や評価を享受できる一方、研究チームのメンバーに適切な指導や助言を行うほか、論文の内容をしっかりと確認して責任を持つことが求められる。元大学院生によるデータの改ざんやねつ造は、責任著者に求められるチェックを伊丹氏らがしていれば、防げたものだったと見られている。

調査委の報告書では、伊丹氏らの責任について、「日ごろからの研究指導において再現実験の実施や、普段から処理前の生データと実験ノートに向き合って実験結果等を慎重に検討していれば、早期に本件の研究不正に気づけた可能性は高い」と指摘。そのうえで、伊丹氏らについて「懲戒処分の調査・審議をする」としていた。

名大は処分の有無をうやむやに

しかし、名大は、元大学院生については修士と博士の学位を取り消して発表したのに対し、伊丹氏らについては結局、何も処分を発表することはなかった。名大に問い合わせると、「処分をしたかどうかも含めてお答えできない」(広報担当者)という。

伊丹氏の研究室が2022年4月以降も続いているところをみると、出勤停止などの大きな処分はなかったことがうかがえる。ある研究者は「ひっそりと口頭注意程度で済ませたのだろうが、だとすれば軽すぎる」と疑問を口にする。

とはいえ、伊丹氏がこれまで通りに研究を続けられているわけではない。上述の通り、伊丹氏は研究者にとって資金の大本であるJSTやJSPSからの研究費用の交付を止められているからだ。そうした中で、理研から多額の研究費用を受けられるオファーは願ってもない話だったのだろう。


理研は、伊丹健一郎氏が主宰する研究室の発足に向けて研究員を公募している(記者撮影)

では、理研はなぜ伊丹氏を採用するのか。

国立大学であれば教授会があり、一般的に人事などの重要事項はそこで審議する。不正論文に関わり、JSTやJSPSからペナルティを受けている最中の研究者の採用を諮れば、多数の反対が出る可能性が高い。そのため、少なくとも今のタイミングで伊丹氏を研究室の主宰者として受け入れることは国立大学では難しいだろう。

他方、理研にも一応、研究センターごとにセンター長・本部長や主任会の議長、副議長、複数の主任研究員らで構成する人事委員会というものが存在する。ただ、理研関係者は「委員会のメンバーの一人一人の権限は、教授会と違って同等ではない。センター内の権力者の意見で人事が決められることが多々ある」と話す。

結果として、権力者とコネがある研究者や、権力者の言うことを聞きそうな研究者が採用されることが起きやすいという。

STAP細胞事件の反省と矛盾

理研といえば、大騒動になったSTAP細胞事件を真っ先に思い浮かべる人が今でも多いはずだ。若手の女性研究者で論文の筆頭著者だった小保方晴子氏が研究結果をねつ造したと認定されたが、責任著者らの責任も重いとされた。その一人であり、小保方氏を指導する立場にあった副センター長(当時)の笹井芳樹氏が、自殺する事態にまで発展した。

理研がSTAP細胞事件を受けて2014年4月に発表した再発防止策では、「研究室主宰者の選考過程の点検と、採用、登用のあり方の改善」「若手研究者に対する指導体制の改善」「複数の研究者、研究グループ等にまたがる研究成果に関して責任著者が果たすべき役割の明確化」などが挙げられていた。

それからちょうど10年になる今春。名大の不正論文事件で研究室の主宰者、論文の責任著者としての役割を果たせなかった伊丹氏を、理研が研究室の主宰者として迎え入れることは、ガバナンス意識への重大な疑義を招きかねない。

理研に一連の問題点について見解を質すと、広報担当者は「一般論として、真に必要な人材を公正な書類選考及び面接選考により採用している。研究の健全性・公正性に対する姿勢についても審査を行っている」としつつ、「個別の人事採用に関しては回答を差し控える」とのことだった。

今回の人事は、理研の国際的な信用力をさらに傷つけてしまうのではないだろうか。

(奥田 貫 : 東洋経済 記者)