「ちょっとゴタゴタしていたけど、どうなっても走るんじゃないかなと思っていました。それであとから失格があるのかな、くらいの気持ちでした」

 現在中国・杭州で開催されているアジア大会にて、女子100mハードルの決勝をこう振り返ったのは田中佑美(富士通)だ。


アジア大会の100mハードルで再スタートにも冷静に走りきった田中佑美

 最初のスタートでは優勝候補のウー・ヤニ(中国)が明らかなフライングを犯し、隣のレーンのショティ・ヤラジ(インド)もつられる形で飛び出してしまい、ともに失格を宣言された。

 しかし、ヤラジが審判に抗議をすると、フライング直後は自分の過失を認めるように観客にお詫びをする仕草をしていたウーも抗議に加わった。そしてしばらくすると、ふたりともスタートラインに着いてレースが再開。中国では絶大な人気があるウーを走らせるというあり得ない状況になった。

 そんな状況を田中は冒頭のように冷静に判断していた。それは、彼女自身、ジュニア時代に一度失格を言い渡されながらも抗議がとおって走ることはできたが、最終的には失格となった経験があった。

「そういう意味では、当時のことが頭をよぎりました」

 仕切り直しのレースは、競り合いから抜け出したリン・ユーウェイ(中国)が、自己新記録の12秒74で優勝し、ウーが12秒77で2着。3着にヤラジが12秒91で入り、田中は13秒04の4番目でゴールした。だが、結局ウーは失格になり、救済されたヤラジが2位で田中は3位と繰り上げで銅メダル獲得となった。

「ウーの失格はあるかもしれない」という状況で、「着順をしっかり取っておかなければいけない」という思いもあった。それでも、「やっぱり2回目のスタートは、1回目と比べると『同じです』とは言えない状態だった」と振り返る。

「レーン紹介の時の演出がすごく豪華だったので、気分が高まったというか、『よし、1本!』という気分だったのが途切れたというのはあります。ただ、レースに対する意気込みみたいなものは変わらないので、『この(状況の)なかで自分のメンタルをコントロールするのは大事だ』と集中していました」

 こう話すとおりメンタルコントロールをしっかりと行ない、2本目を冷静に走りきった。

「控え室に戻って荷物を受け取ってから、パソコンの画面に(結果が)映し出されるのをみんなで見に行きました。それで、(3位繰り上げの)公式結果が出た時には、みんなが喜んでくれました。世界選手権の時は、そもそも私がそこまで(メダル圏内)たどり着いていないというのはあったんですけど、一本走ってショックを受けて帰るだけでした。でも今回はファイナルまで残れて、レースが終わってから全選手と『お疲れ様』と言い合って、喜び合って。国内大会でもそういうことはあるけれど、スポーツが心をつなぐというのを感じました」

 今大会は、メダルを獲得しても、そこまでの重大さは感じなかったと言い、あくまでもここはパリ五輪へ向けての一歩と捉えて、「一緒に走ったみんなとパリへ向けて頑張っていきたい」と微笑む。

【「日本代表」の重みと捉え方】

 今年の4月に、女子ハードラー日本人4人目の12秒台突入者となった田中は、6月の日本選手権まで4試合連続で12秒台をマークし、自己記録を12秒89まで伸ばした。

 だが、初出場だった世界選手権では予選5組7位で敗退。「アップではいい動きができていたので12秒9は出るから、自分との戦いだと思っていた。でも後半にリズムアップして追いつけるタイミングで離されて。思いどおりにはまったく走らせてもらえなかった」と世界の舞台で打ちのめされた。

 このアジア大会を走ったことで、世界選手権はものすごく緊張していたということを客観的に振り返ることができたという。

「ジュニアの大会からいろいろ出させていただいて、今年もヨーロッパに行き、国際大会は慣れていたけど、日本代表(を背負うということに)は慣れていなかったんですよね」

 アジア大会の前は少し怖じ気づいていたという。注目されることが多くなるなかで、守りに入るようになり、試合前のワクワク感が減っていると感じていた。しかし、今大会の「決勝のフライングの前まではワクワクしていた」と振り返り、「そういう気持ちを絶対になくさないように、大事にしたい」と話した。

 記録に関しては、自身のアベレージが上がっているなかで、まず目指さなければいけないのが、今大会中国勢が出していた12秒7台。そのために重要なのは、筋力とスプリント力のベースだ。

「ただ、単純に体を大きくすればいいというわけではないので、そこは自分の特性や体質と向き合って強くなっていきたい」

 だが、この大会で中国勢のふたりから、もうひとつ感じるものがあった。

「声援が大きい分、彼女たちにとってプレッシャーになっていたと思う。ゴールしたあとは泣いていたし、それだけのプレッシャーを跳ね返して走れたのは彼女たちの強さだと思っています。

 私はまだ日本代表に慣れていないと言ったけど、やっぱり日本代表を勝手に背負っていたというか、国内の争いも熾烈だから『出るだけじゃなくて頑張らないと』という思いに少し負けてしまったところもあるかなと、今は思います。彼女たちのように、それを跳ね返す力を身につけたいと思うし、それができれば勝負強さも出てくると思います」

 ジュニアの頃は怖いもの知らずで「自分はどこまでもいける」と勝手に思い込む、根拠のない自信があった。そのことを今になって、改めて思い出していると笑う。

「やっぱりそういう自信ってアスリートとして大事な部分だから、社会人として丸まっちゃダメだなと思う。そういう尖ったアスリート性をまたキリキリと削っていきたいと思います」

 おっとりとした口調でこう話す田中は、銅メダルを手にした感想を聞かれると、「物理的に重かったですね。でも、3位になったらなったで、『どうせなら優勝したかった』という欲が出てくるのが、本当に人間ですね」とアスリートらしい一面を見せた。

 決勝の舞台でハプニングに巻き込まれながらも、冷静に走りきった彼女にとって、「日本代表」を背負って走るということや、この銅メダルは、次への欲を生み出すメダルになった。