「お前ら日本人はすごいんだよ」元通訳が語るオシムさんが日本に遺したモノ…間瀬秀一監督インタビュー

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異色のキャリアを歩みながらJリーグ、ナショナルチームを率いた監督がいる。

現在東海社会人1部wyvern(ワイヴァン)で指揮を執る間瀬秀一監督、現役選手時代は数々の国を渡り歩いて豊富な経験を積んできた。

後にイヴィチャ・オシム監督の通訳としてジェフユナイテッド市原・千葉で初のタイトル獲得に貢献し、監督としてはブラウブリッツ秋田、愛媛FC、モンゴル代表を率いた。

Qolyは間瀬監督に独占インタビューを実施。これまで歩んできたキャリアを振り返る。第3弾は故オシム監督との会合、想いで深いエピソードを語った。

伝説的名将イヴィチャ・オシム氏との会合

――オシムさんの通訳は、どのような経緯で決まったのでしょうか。

オシムさんが住んでいるオーストリアのグラーツへ行って、オシムさん、オシムさんの奥さん、(GMの)祖母井秀隆さん、オシムさんの次男セリミル、当時のジェフの寮長北村さんと食事会をしました。

実は食事会が面接になっていて、みんなで食事したんです。僕はオシムさんと食事中一言も喋っていないんですよ。オシムさんの息子セリミルとずっと世間話していただけなんです。食事会が終わったらいきなり祖母井さんから「通訳をやってくれ」と言われました。

「オシムさんがお前で行くと言っている」という話だったんですよね。でも自分はなんで選ばれたか分からずに、3年半オシムさんの通訳をやりました。最後にオシムさんが日本代表(監督)に呼ばれて、もうジェフを辞めるというときにお別れ会がありました。

またオシムさんの家族と僕と祖母井さんとで夕食を取りました。そのとき初めてオシムさんが僕に「なんで俺がお前を選んだか分かるか?」と言ったんですよ。そしたら、みんなでランチを食べたときに僕がお手洗いに席を外した際、オシムさんが息子のセリミルに「お前はアイツをどう思う?」と聞いたらしいんですよ。そしたらセリミルは「言葉はそこまでうまくないけど、人間的には信用できるやつだから、こいつでいい」と言ったらしいです。

カードゲームで学んだ勝負の本質

――オシムさんと仕事をして3年半で一番思い出深かったエピソードを教えてください。

いろんなことがありました。いっぱいありましたけど、僕とオシムさんの思い出、エピソードは2人でトランプをしたことです。

トランプといっても2組のトランプを合体させてすごい量でやるゲームがあるんですよ。世界的にはラミー(rummy)というゲームだと思うんですけど。日本の麻雀に似ていてすごく頭を使うゲームで、世界大会もあるぐらいのゲームなんですよね。それをオシムさんはちょっと時間ができたり、アウェイ試合前日の宿泊先ホテルでコーチや僕も含めてやるんですよ。

自分でいうのもなんですけど、僕はオシムさんの1番近くにいたので、そのゲームが結構強くなりました。最後の方はもうオシムさんと1対1で勝負することが何回もありました。

試合前日のホテル、移動の飛行機、新幹線でよく1対1の勝負をさせていただいたんです。オシムさんはそのゲームを結構大事にしていました。(ゲームは)すごく人間性も出るし、戦略も出るし、そのゲームをやったら相手のことが分かるみたいな。

オシムさんとの記者会見や練習、ミーティングでいろいろと学んだと思うんですけど、多分勝負の本質みたいなものは、そのトランプの勝負で学んだと僕は思っています。

ラミーの様子(イメージ写真)

――心理戦や戦い方などゲームを通じてオシムさんから学んだということでしょうか。

それもあります。たまにですけど、僕が勝つときがありました。あれだけすごい名将のオシムさんとイーブンな立場で勝負ができることなんて(ゲームでしか)ないじゃないですか。だから僕にとっては本当に幸せな時間だったんですよね。

名将が残したレガシーとは

――その後オシムさんは日本代表監督に就任されました。当時聞いたとき、驚きはありましたか。

正直ありました。ジェフがどんどん強くなって、一番上手くいっているときにオシムさんが呼ばれて抜けたので。それは衝撃でしたよ。

――オシムさんが病気で日本代表監督を退任されました。オシムさんが日本に残したレガシー(伝統、遺産)をテーマで様々な媒体で多くの人が話されますが、間瀬監督が思うオシムさんのレガシーを教えてください。

ここまで言うのはちょっと申し訳ないですけど、事実なので言います。

(前任の)ジーコさんが代表監督を退任するとき、4年間(日本代表)監督をやられた最後に「日本人のフィジカルは弱い」と言ったんですよ。客観的に言わせてもらいますけど、そんなこと全員知っているし、分かっているじゃないですか。

オシムさんが代表監督になって就任会見で「日本のサッカーを日本化する」と言われたんですよ。つまり日本のサッカーをもっと日本人のサッカーにするというか。日本人特有のものにするというか。日本人らしいものにするというか。そういう発言をしたんですよ。

亡き師の教えを引き継ぐ

――日本のサッカーを日本化する。日本人にしかできないスタイルでしょうか。

みんなその言葉だけを取り上げるんですけど、僕はジーコ監督が率いた日本や、それまでの日本からオシムさんが代表を引き継いだときに、それと対比したことを言ったと僕は思っています。

つまり、いままでの日本はヨーロッパの真似、南米の真似をして日本人らしさを活かせてないんじゃないかと。でもオシムさんが日本のサッカーを日本化すると。そういうことを言ったと思うんですよ。

だからオシムさんが(日本代表で)途中までやろうとしたことや、オシムさんがジェフで指揮を執ったことを我々に伝えてくれたことで「お前ら日本人はすごいんだよ」、「お前ら日本人はできるんだよ」と、そういうことを伝えてくれたと思うんですよね。やっぱりそれなんじゃないですか。オシムさんが日本に残したものというのは。

――オシムさんが亡くなられて1年が経ちました。オシムさんから学んだことを今後のキャリアにどう生かしていきたいですか。

もちろんオシムさんと出会って、オシムさんに憧れて、自分はサッカー監督になった人間なので。

選手が成長するようなトレーニング、サッカーしかするつもりはないです。選手が成長して、選手が喜びを感じて、選手たちが躍動する姿を見て観客、サポーターが喜べるものを実行していくことが自分の仕事、使命だと思っています。

そういうことができたときに自分の人生が一番輝くと思っている。そういうことをやっていくことが、オシムさんの隣にいた人間としての使命だと思っています。

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次回は通訳業から指導者の道を歩んだ経緯、ブラウブリッツ秋田監督時代などを振り返った。