不愉快な相手とでも付き合うことのメリットとは?(写真:kouta/PIXTA)

「ちょっと話しただけでも不愉快になる」ほど、気が合わない人は誰にでもいるもの。しかし、コンサルタント、大学教授として活躍した内田和成氏は、そういった人と「定期的に会う」ことを続けていたという。その理由とは(本記事は内田氏著『アウトプット思考』の内容を一部抜粋したものです)。

「テイクだけで済む関係」を大切に

一次情報を得るためには、いつでも話を聞ける、さまざまな立場の多くの人々から成るネットワークを持つことが、大きな強みになる。そうした関係の基本はやはり「ギブ&テイク」だ。自分も情報を出すし、相手からももらう。そうしたいい関係があれば、関係は長続きする。

「自分は誰かに提供できるような情報を持っていない」と考える人もいるかもしれない。こう考える人にアドバイスするとしたら、まずは「テイクだけで済む関係を大切にしよう」ということだ。

それは誰かといえば、昔からの友人に他ならない。

私も初めての業界のコンサルティングを担当する際、もちろん、書籍などで勉強もするのだが、一番役に立ったのは古くからの友人の情報だった。その業界に勤めている友人のところに行き、「俺はなんにも知らないんで教えてくれ」と素直に頼むのだ。友人のありがたみが一番身に沁みた瞬間であった。

社会人になった直後はまだ、そうした友人のありがたさがわからないかもしれない。だが、きっと年を追うごとにわかってくるはずだ。

40〜50代になってから急に同窓会など古くからの友人とのつきあいが活発化することがあるが、それもそうした理由からだろう。月並みな助言になってしまうが、友人は大事にしておくべきだ。

同じ会社の友人でもいいのだが、どうしても視点が似通ってしまいがちだ。まったく違った世界の人とのつきあいからは、いろいろな刺激が受けられる。

「あいつは一流商社に入ったから、コネを持っておくと便利だ」というような発想ではない。自分と異なる世界にいる人物だからこそ価値がある。そういう意味では、同じ業界の大手企業に入った友人よりも、全然違う業種の人や芸術系の道を歩んでいる人、主婦や主夫といった家庭に入った人、あるいは定職にもつかずフラフラしている友人からのほうがよほど刺激を受けられる、ということになるだろう。

私の周りにも、シェフや芸術家といったまったく違う世界の人と好んでつきあう人が多い。普段は得られない刺激が得られる、というのがその理由だが、確かにそうなのだろう。

人脈拡大に禁じ手はない

ちなみに、そういう意味で私に多くの「異質」を与えてくれたのは、学生たちとのつきあいである。30歳も40歳も年の離れた人たちとの会話は、何が流行っているのか、どういう価値観を持っているのか、どんなことを考えているのかなど、いろいろな発見に満ちている。

特に私が教えていたビジネススクールの授業は、教師が一方的に教えるのではなく、生徒も積極的に発言するインタラクティブなものである。特に課題を与えて考えさせるというケーススタディを重視しているが、そこで出てくる学生の意見やアイデアを聞いていると、私とはまったく異なった視点からの発想もあり、多くの気づきが得られる。

例えば、戦略を教えるクラスで日本の電機メーカーの戦略について語っているときに、韓国や台湾からの留学生が、韓国メーカーや台湾メーカーがいかにアグレッシブに人材を確保したり、鍛えているかを語ることがある。それにより、私を含めた日本人は、戦略以前にリスクを取らなくなっている日本企業について考えざるを得なくなる。

あるいは、楽天やソフトバンクなどの新興企業に勤める人間から、時間こそが競争優位の源泉であるから、できるだけ素早い意思決定をして、もし間違えたらやり直せばよいという意見が出る。それに対して、伝統的大企業の人間からは、リスクはどう回避するのか、あるいはどうやって上を説得するのかなどの質問が出る。意思決定のポイントが企業によって全く異なっていることに気づかされるのだ。

人脈を広げるのに、禁じ手があるわけではない。交流会などに積極的に出るのもいいだろう。私も若い頃、転勤で大阪にいたときにある勉強会にもぐり込んで勉強したことがある。より多くの異質と触れ合う機会を大事にしたい。

さらに、できれば異質な人だけでなく「自分とウマの合わないヤツ」、あるいはさらに進めて「嫌なヤツとつきあえ」ということも、ぜひ伝えておきたい。私はこのことを、ビジネススクール時代に学んだ。

大学生までは基本的に、気の合う人間とだけつきあえばいい世界だ。また、会社ではいろいろな人とつきあわねばならないとはいえ、基本的には共通認識を持った人の集まりである。こうした人間関係の中だけにいると、どうしても均質化、同質化してくるという傾向がある。

だが、ビジネススクールというところはいろいろな企業、そして国からさまざまな人間が集まる世界だ。当然、考え方が合わない人間もいれば、どうもウマが合わずに一緒にいるだけで居心地が悪いような人もいる。

そうした人たちとの会話は楽しいものではないのだが、一方で「こんな考え方をする人もいるのか」ということを知るのは、大きな発見であった。

そのため私はビジネススクール卒業後も、そうした異質な人たちとのつきあいは続けた。別に積極的に働きかけるわけではなく、同窓会に顔を出すとか、たまに食事をするとか、そのくらいのものである。

だが、それでもやはり会うことでいろいろな発見があるし、最初からそういうスタンスでいれば、その人の気に入らないところも逆に勉強の材料となる。

「嫌な上司」は異質を知るいい機会

さて、この考え方を応用してみていただきたい。もし、あなたが嫌で嫌で仕方がない上司の下で働いていたとする。だが、そこでグチをこぼすばかりでなく、「なんでこんなに嫌な考え方をするのか、ちょっと観察して理由を探ってみよう」と、異質を知るいい機会だと捉えてしまうのだ。


そうすれば気もラクになるだろうし、反面教師という言葉もあるように、それはきっとあなたにいろいろな情報と成長の機会を与えてくれるはずだ。

逆に言えば、仲のいい上司というのは考え方が同じ、ということでもある。それは悪いことではないが、あまりその関係にどっぷりとつかってしまうと、成長の機会が失われるかもしれないということは知っておきたい。

(内田 和成 : コンサルタント)