第四只見川橋梁も1950年代竣工の曲弦ワーレントラス橋だが第五只見川橋梁よりスパンが長いため上弦のアーチが深い(会津水沼ー会津中川間、写真:山井美希)

鉄道ジャーナル社の協力を得て、『鉄道ジャーナル』2023年9月号「えちごトキめきリゾート雪月花が只見線を特別運行したわけ」を再構成した記事を掲載します。

片道8万円のツアーが瞬時で満員

梅雨の中休みという言葉がぴったりの青空となった6月17日の上越妙高駅、朝8時15分過ぎ。直江津から回送されて到着した「雪月花」2両編成の赤い車体が、北陸新幹線の足元、えちごトキめき鉄道(トキ鉄)のホームに横付けされた。

「雪月花」は2023年6月17・18日、2日間限定の特別運行として上越妙高から直江津、長岡、小出経由で只見線に入り、会津若松までを片道ずつ、1往復した。只見線は2011年6月の豪雨で途中3か所の鉄橋が流失するなど存廃が論じられる被害を蒙り、その後6年の検討と協議により鉄道復旧を決定、4年の工事期間を経て昨2022年10月1日、11年ぶりに全線運転を再開した。それから8か月、これからの只見線の方向性を占う挑戦的列車として、「雪月花」の臨時運行が行われたのである。

運行区間は、上越妙高―直江津間の10.4kmだけがトキ鉄線で、直江津から会津若松まで241.6km(宮内―長岡間往復6.0kmを含む)はJR東日本の路線だ。トキ鉄が発案して日本旅行とJR東日本の協力を仰ぎ、“日旅”の主催旅行として同社が観光バス同様にトキ鉄から雪月花を貸し切り、団体ツアーとして只見線を走らせるもの。日旅はツアー客から旅行代金をいただき、トキ鉄にクルーの人件費と車両使用料を、JR東日本に区間分の運賃とグリーン料金、そして車内で供される飲食物の代金を各店に支払う構造だ。

普段でも雪月花の旅行代金は1人約2万5000円と安くないが、今回の額は8万円。それも上越妙高までの新幹線代や会津での宿泊がセットでもない、純粋に上越妙高から会津若松、あるいはその逆の片道を乗るだけである。だが、募集定員の上下36人ずつはあっと言う間に売り切れた。それだけ、「雪月花の只見線運行」という特別な価値が注目を集めたわけだ。北海道から駆け付けた参加者もいる。

ともあれ、橋上駅で受付を済ませたツアー客は逸る心そのままに改札からホームに下り、赤い車両の観察と撮影に余念がない。トキ鉄の鳥塚亮社長と談笑する人もいる。雪月花の常連らしい。端正な身なりのクルーに迎えられて乗車すると、隣に「観光急行」の前運用で妙高高原を往復する455系快速が到着し、9時00分の発車時刻を迎えた。


只見線随一の景観として今やインターナショナルな観光名所となった第一只見川橋梁 道の駅付近から遊歩道が延びている(会津桧原ー会津西方間、写真:山井美希)

空気を運ぶ路線がSNSで訪日客の人気観光地に

今回の「雪月花」の只見線運行は、只見線の3分の1は新潟県とは言え、新潟の第三セクター会社の列車が福島県へ出向いて走る異例の出来事であった。その端緒は、独特の論理で全国にローカル線の活用法を発信する鳥塚氏(当時はいすみ鉄道社長)への講演依頼だったと言う。

2012年当時、沿線市町や住民は、東日本大震災に追い討ちをかけた災害に「もう復活はないのか?」と諦めムードだった。道を模索しようにもJRや県の応答は芳しくなく、住民は愚痴や文句を言うばかりだったと言う。写真家の星賢孝氏もその中の1人だったが、鳥塚氏は「まずは自分でできることをやればよい」と持論を説いた。そこで、やがて「年間300日只見線を撮る男」の異名を冠される星氏は、四季折々の只見線の写真をSNSで発信した。すると、これがバズった。それも台湾や香港などで。只見線は日本人が目を向けないうちに海外で知られる人気観光地となり、やがて霧幻峡の渡船復活などにも連鎖し、大きな転機となった。

只見町で聞いた話を交えると、2011年3月、東日本大震災により福島県は「浜通り」が原発事故、「中通り」は震災自体の被害が大きかった。それに対して「会津」は震災被害が少なかったのに水害で打撃を受けてしまった。とりわけ原発事故は、海外のFUKUSHIMAに対するイメージを著しく下げてしまった。ところが、「空気を運ぶ…」と言われていた路線に大きな変化が起きていた。県知事はこれに着目、只見川流域の復興の中心に只見線復活を据えた。

こうした動きの中で鳥塚氏は「只見線はローカル線の横綱。磨けば人が集まる」と、地域で行動する人々との公私にわたる付き合いを深めていった。ローカル線問題で各地に招かれる氏は、住民自体にまったく熱がない地も見ており、老若男女を交えて活動に熱心で、沿線市町ばかりか県を跨ぐ連携まで築いている当地は可能性があると言う。すでにトキ鉄に転籍していたので、只見線は新潟県の事業者としても関心事である。

JRとしては、ワーストレベルの不採算路線に巨額は投じられないとの経営判断になる。だが、福島・新潟両県や他の災害路線を抱えた地の国会議員も動いたことで議員立法により2018年の鉄道事業法改正に至り、黒字事業者でも一定要件を満たせば赤字路線の災害復旧に国の補助を入れることが可能となる。これらが総合された結果、只見線会津川口―只見間は上下分離方式での鉄道復旧が2017年6月に決定され、復旧費約81億円のうち3分の2の約54億円を国および福島県と会津17市町村で負担、再開後の線路維持管理は福島県の責で行うこととなった。この後、コロナ禍でインバウンドは壊滅するが、沿線の誰もが「奇跡の復活」と口にする今、再び多くの訪問者を見るほどになっている。


只見駅に繰り出した地元の人々 当日はスペシャルな 列車の運行を防災無線で伝えた自治体もあったと聞いた(写真:山井美希)

車両が足りないならば「雪月花を貸す!」

だが一方、運行再開に際しての福島県とJR東日本の取り決めは「被災前の状況に戻す」であった。すなわち、豪雨禍直前の1日3往復(被災区間)運行を再開することが目標であった。結果、「11年ぶりの復活」という前評判から、運行を再開した途端に超満員で5時間近く立ちっ放し、積み残しも出す大混乱を引き起こした。JR側にも事情はあり、只見線で通常運行する車両はキハE120形6両。現場判断でそれ以上の手配を付けるのは難しい状況だった。

しかし、東京の電車のような混雑で逆にイメージを下げかねない問題とされ、東北運輸局も出席する只見線利活用計画検討会議の中でJRや福島県は地元から詰め寄られる。JRは、紅葉時期と重なる全線再開に際し、定期3往復に加えて指定席連結の「只見線満喫号」か、オープンエアの観光車両「風っこ」を使うかのいずれかで臨時1往復を土休日に計画していた。所定1〜2両の定期列車は3両に増結した。だがそれでは足りず、会津川口折り返しの1往復を只見へ延長、小出〜只見間は別途の臨時列車を接続させた。只見延長列車は11月3日から土休日運転を始めたが、公式発表が前日の2日だったなど、車両や乗務員の算段に最後まで手間取った“てんやわんや”が感じられる。

そうした臨時シフトは2023年も採られているが、一方で一般列車3往復だけという根本的な姿勢にも疑問が投げ掛けられている。すなわち朝、午後、夜の3本では途中下車しての沿線観光は無理に等しい。それに、復旧に巨費を投じたのに沿線の恩恵となるサービス改善は一切なく、JRの負担のみ軽減されたというのでは納得できない、との声である。もっと有効活用しないと――と仕向ける声は国費の出どころたる国交省東北運輸局からも聞こえ、昨冬、同局が発案したモニターツアーも実行された。

こうした流れの中、復活を協議した段階から観光路線として「海の五能線、山の只見線」を目標にしてきた検討会議では“リゾート列車”も俎上に上る。JRはしかし、これも車両不足の事情を抱えて二の足を踏む状況だったため、会議メンバーの鳥塚氏がトキ鉄が持つ「雪月花」を貸すと提案した。新潟県の知事や運輸局の後押しもあったと言う。

歓喜の只見駅にはキーマンの姿

当初、トキ鉄社内でも、隣接路線でなくJRの組織上も新潟支社を越えた部分が中心となる只見線はハードルが高いと訝る声が多かった。ところが実際に東北本部に話を持参すると、JR東の執行役員である本部長が大いに賛同するところとなり、すぐに新潟支社にも話が繋がり、一気に実現へと向かった。今度はJRの組織力が功を奏した。


今回の雪月花只見線運行について、少し棘のある言い方をすれば、及び腰のJRは他社に“してやられた”わけである。これによってJRが発奮し、只見線に次なる観光列車を走らせたりすれば、狙いが的中することになる。こうした経緯から、だれもが今回の出来事に諸手を挙げた訳ではないとの想像もつく。ただ、乗務員にしても、通過してきた駅のJR社員にしても多くが溌溂として見えたし、只見駅にはキーマンと聞く東北本部長が駆け付け、鳥塚氏と達成感に満ちた顔で交歓する姿があった。

(鉄道ジャーナル編集部)