7年3カ月ぶりに全線運転再開した南阿蘇鉄道の式典列車=2023年7月15日(記者撮影)

7年ぶりの列車を祝う沿線

熊本地震で被災して運休となっていた南阿蘇鉄道(南鉄)・立野―中松間が7月15日に復旧し、7年3カ月ぶりに全線再開を果たした。

午前6時に始発列車が高森駅から立野駅に向けて出発した。その後も全国から集まった乗客で満員の列車が何本も立野―高森間を往復、途中の駅では地元住民が「おかえり南阿蘇鉄道」の横断幕や歓迎の小旗が出迎え、駅も沿線もお祝いムードに包まれた。11時からは高森駅近くで記念式典が行われた。

「次の世代への可能性を残したい」――。

式典であいさつに立った南鉄の草村大成社長が、鉄道再開の思いをこう述べた。


南阿蘇鉄道の全線再開を祝う記念式典=2023年7月15日(記者撮影)

南鉄は南阿蘇村、高森町など沿線自治体が出資する第三セクターの鉄道会社。JR豊肥本線の立野駅を起点として、熊本県の阿蘇カルデラの南側を走って高森駅に至る17.7kmの路線を運営する。もともとは国鉄高森線として開業したが、廃止方針となったことを受けて同社が継承した。

草村社長は高森町長も務めている。そして吉良清一副社長は南阿蘇村の村長。つまり南鉄は資本面、経営面で沿線自治体と一体化しているわけだ。

2016年4月14日、熊本地震が南鉄を直撃した。中松―高森間は被害が比較的軽微で3カ月後に運転再開したものの、立野―中松間は第一白川橋梁など重要インフラが被災。「廃線を考えるほど甚大な被害を受けた」と、草村社長が当時を振り返る。被災直前の同社の売上高は1億円程度にすぎない。これに対して、後に国が試算した復旧費用の総額は65〜70億円。とても負担できる金額ではなかった。

廃線も考えたというが、南鉄は地域の公共交通機関として通学や通院の乗客に不可欠な存在であり、今後の移住促進にも重要なツールである。そして何より、地域にとって観光は農業と並ぶ産業の2本柱である。雄大な阿蘇の山々を眺めながらゆっくりと走るトロッコ列車は阿蘇観光の象徴ともいえ、鉄道の廃止がもたらす観光への悪影響は避けたい。「鉄道での復旧しかない」。草村社長は即座に鉄道復旧に向け関係各所と協議を重ねた。


南阿蘇鉄道の全線運転再開日、駅では地元住民らが列車を出迎えた(記者撮影)

復旧は三陸鉄道を参考に

とくに参考にしたのが、東日本大震災による被災から復旧を果たした三陸鉄道(三鉄)の事例だったという。

震災前から経営が苦境に陥っていた三鉄は、2009年度から5年間の予定で国の鉄道事業再構築実施計画の適用を受けており、三鉄は鉄道用地を沿線自治体に譲渡し、自治体は鉄道用地を三鉄に無償で貸し付けるとともに三鉄の車両や鉄道設備の修繕・維持管理費用を補助するという「コスト面での上下分離」を行っていた。国も設備投資費用の一部を補助した。震災後はこの計画を5年間延長するとともに、復旧した鉄道施設も三鉄から自治体に移管し、自治体が三鉄に無償で貸し付けることにした。自治体や国による費用補助も継続した。

2019年にはJR山田線・宮古―釜石間がJR東日本から三鉄に移管されたが、鉄道インフラを自治体が保有する上下分離スキームがほぼ踏襲された。期間は10年間だ。

南鉄も三鉄にならい上下分離方式を取り入れ、鉄道施設・用地を沿線自治体が新たに設立した南阿蘇鉄道管理機構に譲渡し、同機構が南鉄に無償で貸し付けることになった。施設の維持管理費用や設備更新費用も同機構が負担する。

三鉄の場合、2011年7月に大畠章宏国土交通大臣(当時)が現地視察に訪れ、「(復旧の)予算を付ける」と望月正彦社長(当時)に耳打ちしたことが復旧の道筋の始まりだった。南鉄も、「2016年6月に石井啓一国交大臣(当時)が視察に訪れ、現地を調査してもらったことが、復旧が事実上決まった瞬間だった」と草村社長は振り返る。

国の新制度適用の第1号

国の支援の枠組みも変わった。それまでは復旧費用の半分を国と沿線自治体が負担し、残り半分を鉄道事業者が負担する仕組みだったが、上下分離など一定の条件を満たせば、復旧費用を国と自治体が半分ずつ負担し、さらに自治体負担分については国が交付税措置することで実質的な負担は国97.5%、自治体2.5%となる仕組みが新設された。三鉄のケースでは特例として地元負担がほぼゼロだったが、今回は新制度であり、南鉄が適用第1号となった。


全国から集まった乗客で満員の列車が何本も立野―高森間を往復した(記者撮影)

南鉄の全線開業はこれにとどまらなかった。「もともとあった姿に戻すのではなく、創造的な復興によって地元の発展につなげたい」(蒲島郁夫知事)。地元では以前から南鉄のJR豊肥線肥後大津駅までの乗り入れを要望してきた。熊本から南鉄沿線に鉄道で向かう場合、肥後大津止まりの列車が多く、肥後大津と立野の2回にわたって列車に乗り換える必要がある。もし肥後大津から南阿蘇鉄道に直通できれば、沿線住民や観光客の利便性向上につながる。また、肥後大津は熊本空港にも近く、空港から直接阿蘇方面に向かう観光客にも便利だ。JR九州も快諾し、構想は一気に具体化した。

JR九州の古宮洋二社長は「阿蘇は九州の宝。阿蘇の“蘇”はよみがえるという漢字である。阿蘇を観光で蘇らせたい」と話す。乗り入れに必要な線路などの整備費用は自治体が負担し、豊肥本線乗り入れに備え、南鉄は新型車両も導入した。なお、別途、県が進めている熊本空港アクセス鉄道計画でも空港から肥後大津経由で熊本駅と結ぶ案が2022年12月に決まっている。


記念式典であいさつする南阿蘇鉄道の草村大成社長(左)とJR九州の古宮洋二社長(記者撮影)

記念式典には斉藤鉄夫国交大臣が出席したほか、岸田文雄首相もビデオメッセージを寄せるなど、政府サイドの力も入っていた。斉藤大臣は「創造的復興のリーディングケースである」とあいさつで述べた。南鉄が三鉄の事例を参考にして復旧を果たしたように、今後は南鉄の復旧スキームが今後のモデルケースになるのだろう。

次世代への可能性「負債」にならぬよう

式典終了後、参加者たちは式典列車に乗車するため高森駅に向かった。ところが、それまで時折晴れ間をのぞかせていた空がにわかに曇りだし、列車出発のわずか1分前に突然、どしゃぶりの雨が降り出した。

「出発進行」――。12時20分、豪雨の中を式典列車は予定どおり肥後大津に向けて出発した。幸いにしてその後15分ほどで雨は止んだが、もし長時間にわたって降り続けば、甚大な災害を引き起こす可能性もないとはいえない。熊本県では2020年7月の豪雨の影響でJR肥薩線が橋梁などの多くの設備が流失するなどの被害が発生し。復旧の道筋はまだ見えない。鉄道復旧に喜んでばかりいてはいけないという天からのメッセージのように思えた。

地震に加えて豪雨など自然災害のレベルが以前にもまして上がっている。国による復旧スキームは整備されたが、その適用を受けるためには、復旧後に鉄道の利用が促進されることがきちんと示される必要がある。「次の世代への可能性を残したい」と草村社長は述べたが、復旧後に鉄道利用者が増えず、鉄路が次の世代への負債になるようなことは絶対にあってはならない。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)