(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

モラハラ・DV加害者変容のための当事者団体「GADHA(ガドハ)」。変わりたい、と願う当事者たちが集まり、変容を学び、支え合うための場です。

この団体を2年前に立ち上げた中川瑛さんも、かつてはアルコールに依存し、妻に「ケアの欠如」という暴力をふるっていましたが、3年前の暮れに気付きを得てから、自ら加害者変容を経験します(前編)。

そんな中川さんが立ち上げたGADHAでは、いったいどんなことを行っているのか? モラハラやDV加害者たちは、本当に変わることができるのか? 詳しく聞かせてもらいました。

前編:「僕はモラハラ夫」…本人が遂に悟るに至った経緯

活動はすべてオンライン、男女比は3:1

――GADHAではどんな活動をしているんですか?

活動は3つあり、全てオンラインで行っています。1つはSlackを使った掲示板的なコミュニケーションで、これがすごく大きな役目を果たしていると思います。弱音を吐く場や、変容を報告する場、セルフケアの方法や、自分の加害について相談する場など、いろんなチャンネルがあります。登録者は今750名以上いて、このうちアクティブユーザーが2〜3割程度。これまでに2万件以上のメッセージのやりとりが行われています。


(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

活動の2つめが「オンライン当事者会」です。月に1、2度のペースでやっていて、これまで延べ37回開催しました(※2023年6月現在)。最初の頃は参加者が4人くらいでしたが、いまは多いときで約30人。平均で20人程度ですかね。顔出しは必須でなく、チャットで参加される方もいます。

3つめが「加害者変容プログラム」で、これだけ有料です。レクチャー、ディスカッション、ホームワークに取り組むもので、2時間×4回(2カ月)が1セット。これまでに延べ80人以上が参加しています。


(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

――参加者はどんな方が多いでしょう。女性もいますか?

女性が25%くらい、男性が75%くらいです。年齢層のボリュームゾーンは30〜40代ですが、下は10代から上は70代まで、幅広く参加されています。

参加者のタイプも多いですが、大きく分けると2種類です。ひとつは「ケアの放棄(欠如)」というタイプで、「話が全然通じない」「相手が寝込んでいても心配する素振りを見せない」「約束したことをすごく簡単に破ってしまう」といったもの。もうひとつは、いわゆる「モラハラDV」みたいなタイプです。経済的DVなどもあります。

――皆さん、どこでGADHAを知るんでしょうか。

最初の頃は、「パートナーに言われて来ました」という被害者経由の方が多かったですが、いまは「モラハラ」「加害者」などで検索するとGADHAが出てくるようになったので、別居や離婚に直面した人が自力でたどり着くケースが増えています。

「相互にケアし合う」ができれば内面的にも変われる

――皆さん、本当に変われるんでしょうか?

表面的な言動というレベルでは、絶対に「変われる」と思います。内面的なレベルでの変化という意味でも、僕は「変われる」と思いますが、若干時間がかかるのは間違いないと思います。先に現象の変化があってから、思考の枠組みの変化が起きるので。

たとえば仕事でも、部下に仕事を任せたことがない人は、部下に仕事を任せられないと思っていますよね。でも何かやむを得ない状況で部下に任せてうまくいったら、「あ、部下に任せられるんだ」と思う。そんなふうに言動が変わって、結果が自分にとって望ましかったとき、その望ましさを支えるような思考の枠組みを獲得すると思うんです。


(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

では、モラハラDVの加害者が内面的な意味で変わるのはどんな場面か。自分から「ケアを始める」という、ケアの主体性を発揮することだと思います。どんなにきれいごとに聞こえても、まずはそれをやってみる。それを何度か続けていくうちに相手からケアが返ってきて、「相互にケアし合える関係」になったとき、内面的にも変わると思います。

自分の存在が穏やかでくつろいだ感じになり、傷つきや恐怖が薄れ、弱さや不完全さとともに生きていっていいんだ、と思える。すると「この世界は信じるに足るんだ」と思えるようになるんですね。


(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

内面の変化が発生するためには、「関わる他者」が必要になる場面もあります。それを同じ「変わりたい」と願う加害者同士でやろう、というのがGADHAのコンセプトです。

――「ケアをし合う関係」を実践し、経験する場として、GADHAを立ち上げたんですね。

おっしゃる通りです。この実践にパートナーを巻き込もうとすると、難しくなってしまうんです。「もうあなたとは一切かかわりたくない」というパートナーにとっては「まだヨシヨシしてほしい(ケアを要求してくる)んですか?」と受け止められるのは自然なことです。


「ケアをする」は、あらゆる人間関係のなかで実践することができます。でも、安心して失敗できるのは加害者同士の場くらいですよね。一般の人間関係で失敗したとき、「今のは『ケアの欠如』なので、僕はあなたから離れます」なんてことは、誰も教えてくれない。でもGADHAなら、そういうことをみんなお互いわかっています。

もう一つ付け加えると、カウンセリングを受けるだけでは、加害はやめられないと僕は思います。なぜならカウンセリングの関係において、加害者は常に「ケアされる側」だから。「お互いにケアする」という練習をするには、傷つけ合い、学び合い、弱音を吐き合って励まし合えるような、当事者間の相互的な関係性が、僕は一番重要だと思っています。

「加害者は変われない」と言われてきた理由

――世間ではよく、「モラハラ夫(妻)は変われない」と言われますよね。

どうして「変わるなどあり得ない」と思われているかというと、一つには「変われたケースを知らないから」だと思うんですね。よく「母親になると人は変わる」「上司になると人は変わる」と言われるのは、そういう例をいっぱい見たから、その人はそう思うわけです。逆に「加害者は変われない」と言うのは、加害者が変わった事例を知らないから。

そもそも被害を受けた人からすれば「変われない」と思うのも当然なんです。信じていたのに約束を守ってもらえなかったり、変わると言ったのに変わってもらえなかったりする経験を何度も繰り返して、とても深く傷ついているので。

被害者の声って、最初は黙殺、矮小化されてしまいます。「DVって何? またカタカナ言葉使って」とか「そのくらいのことで」などと揶揄される。そういうものを乗り越えるためには、強い言葉で声を上げていく必要があって、これは本当にすごく大変なことだと思います。

それに「(加害者が)変われる」というと、妻や夫が「私がもっと努力しなければいけない」と思って、さらに苦しんでしまうことがあります。それで安易に「変われる」と口にできなかった、という面もあると思います。

――そういった背景から、加害者は「変われない」と言われてきたけれど、実は変われる例もあるわけですね。

はい、「加害者が変わるにはどうしたらいいか」という話が出てくるのは、だいぶ後のフェイズです。まず被害者が言葉を持たない状態で相談をするところから始まり、被害者支援の専門家がそれに名前を付ける。それによって潜在的な被害者がさらに声を上げられるようになり、被害者を自認する人が増え、「加害者」と名指しされる人が増える。

「加害者」は最初、「変われないモンスター」と糾弾されますが、糾弾だけでは加害者が次の被害者を増やすだけと知られ始め、少しずつ加害者変容の取り組みや具体例が出てくる。それが、いまなんだと思います。


(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

僕は、変わる人たちが増えてくると、ようやく「人は変われる」という認知になって、だからこそ加害者は加害者であることを認められるようになると思います。なぜなら、「加害者は変われない」と世間で言われているなかで、加害者であることを認められる人はごくわずかです。認めることに何のメリットもないから。

しかし、加害者は変われるという認知が社会にあり、そのための学習資源や共同体があるなら、それを認めるメリットがあります。そこで学ぶことで、パートナーシップや親子関係、職場の問題を改善できれば、本人にとっても生きやすくなるからです。

実際に変わった事例はいろいろあるんです。たとえば、児童相談所や警察が呼ばれるような虐待・DVをしていたところから劇的に変わった人もいるし、僕のようにパートナーとの関係が変わっていまは幸せに暮らせているような人もいます。離婚はしたものの、そこから子どもも含めて新しい家族の形を生きている人もいます。

GADHAは、加害者が主体となって「変われる」という事例を社会に発信していくことで、「加害者は変われない」というスティグマを剥がし、それによって自身を加害者と認められる人が増えていく、という好循環にたどり着くことを目指しています。

「自己憐憫」は加害者が非常に陥りやすい状況

――中川さんの著書『孤独になることば、人と生きることば』に、加害者が変容するときの苦しさについて書かれています。なぜ苦しいのでしょう?

加害者の多くは、自分を悪い人だとは思っていないんです。「よかれと思って、やるべきことをやっていただけなのに、あれが暴力だったんだ」とわかると、自分を説明する言葉やアイデンティティがガタガタと崩れていく。自分というものが曖昧になって、すごくしんどくて、鬱になる人も少なくありません。

ここでポイントになるキーワードが「自己憐憫」です。自己憐憫は、加害者が非常に陥りやすい状況です。「環境のせい」「親のせい」と人のせいにして、「自分はかわいそう」という思いに捉われる時期が、絶対にあるんです。だって、誰も加害者になりたくてなっているわけではないですから。


(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

でも、あなたが受けた被害はあなたのせいではないかもしれないけれど、あなたが人を傷つけてきてしまったことは事実で、あなた自身が動き始めることでしか、あなたのことは変えられない。だからGADHAでは、「自己憐憫ではケアに進まないですよ」という話をします。自己憐憫している間は、周りに「許してくれ」と言っているだけ。つまり「ケアの要求」をしているだけなので。

自己憐憫から「ケアする」に向かうエネルギーを作っていくためには、死ぬほど愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたりする場所が必要です。そのためにあるのが、GADHAなんです。

――自己憐憫に陥るのは、自身の被害経験に気付くからですよね。親や周囲から自分がされてきたことが被害だった、と気付くことも大事ですよね。

とても大事だと思います。加害者って自分の痛みをごまかしてきた人たちだから、他人の痛みもごまかしてしまう。「俺はこのぐらい耐えられたんだから、おまえも耐えろ。そうしないのはズルい、甘えだ」というふうに考えがちです。

だから「自分が弱くて不完全で、傷ついてきたから、自分のことも癒やしていいんだ」と気付くことが必要だと思います。そのなかで初めて「他者をケアする」ということを、実感を伴って、できるようになっていくんだと思います。


(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

自己憐憫から「幸福」に向かうために

――以前、刑務所にいる方から手紙をもらいました。その方は自分の被害経験を、便箋に何十枚も書いてくれましたが、そこで終わっている。何が足りないんでしょうか。


よくわかります。そこで必要なのは、「自分はこういう被害を受けてきたから、こうなった」という考えだけでは、自分の幸福とつながらないと気付くことだと思います。これは批判を受けるかもしれませんが、大前提として「加害者が幸福になっていい」と知ることも重要です。

では「幸福」とは何かというと、「自分の痛みや傷つきを認めて、他者とケアし合う相互性のなかに生きていくこと」だと思います。「自分と一緒に生きる他者の幸福なしには、自分の幸福はない」という観点をもったときに、加害をやめることができる。それがきっと、自己憐憫の世界から抜け出す方法だと思います。

自己憐憫モードから外れていくためには、「ケアする」をやってみるしかありません。自分が今までやったことがないことをやってみよう、ということです。全然信じられなくてもいいから、ちょっとやってみようと。自分がこれまでと何か違う行動をとれば、社会は違った顔を見せるかもしれません。

――あえてお尋ねしますが、「変われない人」も、なかにはいますよね。

そうですね、変わるのが難しい人がいることは間違いないと思います。助けを求めるのが苦手な人や、集団が苦手な人、「どうせみんな自分のことを裏切る」と思っている人など。まさにそうした人が、自他を傷つけてしまいやすい。そういう人にこそ届いてほしいものが、一番届きにくい。

もうひとつ別のレイヤーからお答えすると、「変われない人がいる」と考えることのメリットってなんだろう、と考えることもできると思います。論理って選べるんですよね。根拠を選ぶ根拠が唯一あるとしたら、それは「私はどんな世界を望むか」だと思います。願いや祈りのようなものです。


(画像:『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より)

よって僕は、人は変わることができると思います。変わることが難しい人がいることは間違いないけれど、「人は基本的に変わることができる」と信じられる社会になってほしいと僕は願っている。だから、人は変わることができると信じ、今後も活動していきます。

ただし、被害を受けた方々がそのように考えられないのは自然なことであり、そのことで非難されてはならないことは、いくら強調してもしすぎるということはありません。

この記事の前編:「僕はモラハラ夫」…本人が遂に悟るに至った経緯

(大塚 玲子 : ノンフィクションライター)