エアコンや洗濯機など日本の家電メーカーの製品(左)は自社クラウドへの接続が主。グーグルなどが推進する規格とつながる日は来るのか(写真:左上から反時計回りで三菱電機、パナソニック、グーグル)

音声認識人工知能(AI)が搭載されている「スマートスピーカー」では、声で指示することによりIoT家電の操作などができる。アメリカの大手IT企業のグーグル、アマゾン、アップルが発売している「グーグルネスト」「アマゾンエコー」「ホームポッド」などが代表的な商品だ。

三菱電機の製品を例にすると、インターネットに接続できるエアコンで「霧ヶ峰REMOTE」の機能に対応していれば、スマートスピーカーを通じて音声操作ができる。ただ、接続できるスマートスピーカーは現状、アマゾンとグーグルの製品に限られる。

スマートスピーカーに接続するには、それぞれで異なる規格に対応している必要があるからだ。この状態は家電や住宅設備をネットにつなげることで、家の中の暮らしを便利にする「スマートホーム化」を妨げており、各メーカーが事業を展開するうえで支障となっていた。

問題を解決しそうなのが、2022年10月に初代仕様がリリースされたスマートホームの規格「Matter(マター)」だ。

世界的企業が規格を策定

マターはアメリカの団体・CSA(Connectivity Standards Alliance)が作った。家電などIoT機器がマターに対応していれば、どのメーカーの製品であっても機器同士を接続できる。

規格策定にかかわる企業群に名を連ねるのは、アマゾン、アップル、グーグルだけではない。韓国のサムスングループ、中国のファーウェイ、ドイツの半導体ベンダーのインフィニオン、スウェーデンの家具量販店IKEAなど、錚々たる世界的企業が入っている。だが日本企業は1社もない。

「マターでは製品1台当たりのロイヤルティーが発生しない。自社規格の開発などで費用もかからないため、それらのコストが製品価格に転嫁されない点は消費者にもプラス。アメリカの国家安全保障局が極秘プロジェクトで採用する楕円曲線暗号を使用しており、セキュリティも非常に高い」

アリオンの中山英明社長は、利便性向上以外のメリットを挙げる。アリオンは品質保証テストなどを手がける会社で、台湾本社はIoT機器のマター対応を認証している。

アメリカの調査会社・IDCによると、今後スマートホームデバイスの市場は下の図のように一段の成長が見込まれる。ここでのスマートホームデバイスとは、スマートスピーカーやホームモニタリング用カメラなどの機器を指す。


日本企業もマターに熱いまなざしを送る。

パナソニックは、インドをはじめ新興国市場で展開する製品では積極的にマターに対応する方針だ。

「インドでのエアコンの普及率は10%と何でも売れる環境なので、インドに参入したい会社は多い。これまでコストを理由に参入しなかった企業でも、マターを利用すると参入障壁が低くなる。インドは英語圏なのでマターを主導するアメリカとの親和性も高い。急速に普及する可能性がある」

パナソニックインドの葛西悠葵ゼネラルマネージャーはそう話す。

海外売り上げ比率が9割に上る電子部品大手の村田製作所は、インフィニオンなどマターの規格策定を行う企業と協業、製品開発を進めてきた。スマホ部品で培った小型化の技術を生かし、2021年より順次、マターに対応した、Wi-Fiなどの通信を行うためのモジュール10製品を販売している。


村田製作所はIoT関連の展示会でマター対応品をアピール(写真:村田製作所)

「マターに商機を期待している。当社はCSAに参加する半導体ベンダーすべてと付き合いがあり、彼らの戦略に乗ろうとすると、マターに対応しないといけない」。通信モジュール事業部で商品企画を担当する角川絵里子氏は力を込める。

拡大が期待されるマターにも課題はある。プライバシーにかかわる情報の扱いだ。たとえば遠隔で施錠できるスマートキーの利用状況から、在宅・外出の状況などが把握される可能性がある。ある家電メーカーの社員は次のような懸念を示す。

「アップルのiOSでスマートホームの機器登録をするとプライバシーポリシーは出てこないし、プライバシーポリシーにデータの取り扱いが書かれていない。当社の家電をマターに対応させることはできるが、どうプライバシーを取り扱うか消費者に提示できない」

アリオンの中山社長は「プライバシーについてマターを推進する各社間で温度差がある」と指摘。そのうえで個人的見解として、「(大手IT企業などの)プラットフォーマーはヨーロッパなどで訴訟問題を起こした経験も踏まえて、個人情報保護やプライバシーに力を入れて公正なことをするのではないかと思う」と述べる。

独自規格が乱立する日本

プライバシーなど解消すべき課題はあるが、世界的には普及が進むとみられるマター。だが、日本企業であっても日本市場向けの製品ではマター対応への動きが鈍い。高価格帯の家電で人気が高いパナソニックも、冷蔵庫やエアコンでシェアが高い三菱電機も、日本市場では様子見の姿勢だ。

2022年11月時点でCSA参加企業の国籍は南北アメリカが30.9%、ヨーロッパ・中近東・アフリカが39%、中国が24.1%。それに対し、アジア太平洋・日本は6%にとどまる。日本企業が少ない背景には、ガラパゴス化ともいえる日本の状況がある。

日本では2010年代後半からIoT家電が増えていったが、広く使われているとは言い難い。三菱電機だと、クラウドにつながる製品のうち、実際につながっているのは約20%にとどまる。しかもこの数値はエアコンが大きく押し上げており、冷蔵庫をネットにつなげている人は10%にも満たない。

日本のIoT家電は、家電メーカー各社の独自規格で各社が持つクラウドにつながっている。だが多くの家庭は、冷蔵庫や洗濯機、エアコンとそれぞれ異なるメーカーの製品を使っているだろう。そうすると、IoT家電を操作するためのアプリもメーカーごとにダウンロードする必要がある。

「各社とも顧客を囲い込みたいという気持ちと、それでは(IoT機能の利用が)広がらないという思いが交錯している」。三菱電機のDXイノベーションセンターの朝日宣雄センター長はそう語る。

家電をネットにつなぐ仕組みには維持費用がかかる。この費用を賄うために広告事業に関心を持つ家電メーカー各社にとって、スマートスピーカーに自社顧客の情報を吸い上げられたくないというのが本音だ。

家電メーカーの規格同士では互換性がない一方で、実は日本の家電にもマターのようなスマートホームの「共通規格」がある。

2011年、家電などに搭載できる「エコーネットライト」という共通規格が誕生した。これは家庭内のHEMS(家庭で使うエネルギーの管理システム)機器に情報をまとめる、という発想で生まれた。2018年にはクラウドを介して家電の操作を行う、マターに近いタイプの規格も発表された。

2021年度末時点で、「エコーネットライト搭載」と認証を受けた機器の出荷台数は累計1.2億台を超える。しかし、ほぼすべてが電気のスマートメーターとエアコン。省エネ住宅として補助金をもらうために認証が必要だったのが理由で、ほかの家電には広がっていない。

独自規格とマターは補完関係になれる?

日本企業はマターとの折り合いがついておらず、まだ手探りだ。

三菱電機では、自社クラウドでエコーネットライトにも対応する準備を進めている。三菱電機ではないメーカーの製品で、エコーネットライトに対応する機器から発せられるいわば「エコーネットライト語」と「三菱電機語」を変換しあう機器を開発中だ。2024〜2025年の導入を目指す。


2023年2月、三菱電機は神奈川県にスマートホーム実現に向けた展示場を設置。スマートホーム化への意欲は高い(写真:三菱電機)

この変換器を使えば、三菱電機の家電も他社の家電も三菱電機のプラットフォーム上で操作できるようになる。朝日センター長は、「マター対応の機器がマジョリティになったら、『三菱電機語』や『エコーネットライト語』では話にならないので、『マター語』への準備もしている」と話す。

家電メーカーの独自規格はマターと共存していくとの見方もある。

たとえば、エアコンの電源のオンオフは、メーカーごとの差がないのでマターで対応できる。だがエアコンの故障時に、修理箇所や必要な部品を遠隔であらかじめ把握し、顧客の家に訪問する回数を減らす、といったメーカー独自の仕組みにはマターだと対応しにくい。

「マターとエコーネットライトは背反するものではなく、補完しあうものだ」(パナソニックの戦略本部CTROチームでIoTセキュリティやプライバシー技術を担当する山本雅哉エキスパート)。

日本の家電メーカーの存在感がまだ大きい日本の市場では、マターによって一気にシェアをひっくり返されることはないかもしれない。だがスマートホームの中心に位置するのは、マターの普及を推し進めるスマートスピーカーだ。

パナソニックの山本エキスパートは、「日本では高いシェアで製品を展開しているので、マターが日本市場に入ってこないなら変える必然性はなく、様子見をする」と話す。日本の家電メーカーは、様子見の姿勢を貫けるうちにマターに席巻されないよう準備する必要がありそうだ。

(遠山 綾乃 : 東洋経済 記者)