「トレス海峡諸島民」の子どもたち(写真:筆者撮影)

オーストラリアの先住民の名前は? そう聞かれて「アボリジニ(Aborigines)」と答える方が多いかもしれない。ただしその呼び名に差別的なニュアンスがあるとされ、近年では「アボリジナル(Aboriginal)」と呼ばれる。

だが、この国にはアボリジナルとは別の先住民のグループがいることをご存じだろうか? 彼らの名は「トレス海峡諸島民」。現地では「トレスストレートアイランダー(Torres Strait Islanders)」と呼ばれている。

今回、世界100カ国以上の現地在住日本人ライターの集まり「海外書き人クラブ」は、他の4名のジャーナリストとともに海外メディア関係者として、彼らが住む島の1つ「マシッグ島(英語名:ヨーク島)」を初めて訪ね、1泊2日過ごした。

この目で見た彼らの暮らしぶりをお伝えしよう。

日本に最も近いオーストラリア

地理的に見ると、トレス海峡諸島は「日本から最も近いオーストラリア」である。

トレス海峡はオーストラリア大陸の北東端にあるヨーク岬と、パプアニューギニアとの間にある幅約150キロの海峡。その付近には多くの島が点在し、38の島に人が住んでいるとされる(トレス郡当局のサイトによる。ただ同サイトでも島の数が133とされていたり、「少なくとも274」 だったりと記述が異なる)。


トレス海峡諸島の略図。上部の青い部分がパプアニューギニア、下がオーストラリア大陸。血族集団ごとに色分けされている。マシッグ島はグリーン部分の右上にある(写真:筆者撮影)

日本からケアンズ国際空港に飛び、プロペラ機に乗り換えて約1時間半。ホーン島空港で小型飛行機に乗り換え、45分ほどでマシッグ島に到着する。長さ2.7キロ強、最も広いところで幅800メートル、サンゴの細かいかけらが砂となって堆積してできた小さな島だ。


小型飛行機から見たマシッグ島。ほぼ平らだ。中央上部から右下に向かって伸びるのが飛行場の滑走路。左の白い四角い部分は貯水槽。山がなく河川が存在しないため、水は貴重だ(写真:筆者撮影)

宿泊するコテージに着くと、歓迎のしるしとして女性ジャーナリストには花が贈られた。髪にかざるためで、昔からの風習だという。血族である彼らにとって、外部からの女性は大歓迎だったわけだ。

道の端に並べた石灰石が照明代わり

冒頭に記したように、今回は「先住民の島に海外メディアとして初上陸」である。1980年前後に「水曜スペシャル」(テレビ朝日系)で放送された「川口浩探検隊」シリーズに夢中だった世代は、特に、ハラハラドキドキする体験の連続だと思われるかもしれない。

だが、吹き矢が飛んでくることもなければ、洞窟で白骨が見つかることもない。島の人たちは我々と同じような文明的な生活を送っている。

それもここ30年くらい前からのことだという。ガイドの1人、フレイザー・ナイ氏によると、島に電気が通ったのは1990年頃で、「それまでは道の両側に石灰石を並べていたんだよ」。

「石灰石?」 

「そう、真っ白な石灰石は月明かりとか星明かりで反射するから。いわば照明代わりさ」

繰り返すが、わずか30数年前のことである。「それまではオーストラリア政府は我々の生活には見向きもしなかった」と、現在49歳だという彼はつぶやいた。

島内散策ツアーは、土地に自生する「ブッシュタッカー(ブッシュフード)」と「ブッシュメディシン」、つまりは野生の食べものと薬草の説明から始まる。「これはレモングラス。味付けに使う」。「エイに刺されたりしたときには、この実をつぶしてその汁を鎮静剤として飲む」……などなど。

島に生える植物への豊かな知識。それは30数年前までの電気すらなかった生活の「おかげ」では決してない。彼ら自身がそうした知識を大切に受け継いできたからだ。

自生する植物を利用する彼らの知識は、都会で先進的な暮らしをする人たちが今になって追い求めている「エコロジー」や、「サスティナビリティー」そのもののように見えた。


野草についてガイドたちが説明してくれる(写真:筆者撮影)

商店はスーパーマーケット1つ

次に我々は街へ向かった。

街といっても人口わずか283人の島。商店らしきものはスーパーマーケットが1つあるだけだ。スーパーと言っても日本の少し大きめのコンビニくらいの広さで、肉や野菜を含めた食料品や日用品は一通り揃ってはいるが、いくつかのブランドから選べるほど品揃えが豊富ではない。「村のよろずやさん」といったイメージだ。

酒や本、家電、家具など、店に置いていないものは、注文して週に一度来る定期船で届けてもらう。


スーパーマーケット。といっても、大きめのコンビニくらいのサイズ(写真:筆者撮影)

島には小学校が1校ある。児童数は93人。中学は本土(オーストラリア大陸)の寄宿舎のある学校に入る。高校や大学を卒業したあと、島にどれくらいの割合の子が帰ってくるのか。ガイドのフレイザー・ナイ氏はちょっと複雑な顔をしながら、「まあ半々といったところだね」。

島にはどんな仕事があるのか聞いてみた。

「いちばん多いのは政府関係の職員。公共事業でこの30年で電気や水道など、さまざまな施設が作られるようになったし、学校の教職員もいる。次が漁業。でもそれだけでは足りないので、自分たちはこうやって観光業を大きくしようと思っている。それで雇用が増えれば、学校を卒業してから島に戻ってくる子たちが増えるからね」

島々に住むトレス海峡諸島民は約5000人。一方、本土に住む人たちはその数倍にのぼる。

「できれば、この島か周辺の島に高級リゾートホテルを作りたいと思うんだ。ただ……」

そこで彼は一度口をつぐんだ。「よそ者が島に入ってくるのを好まない人たちがいるのも事実だ。変革には時間がかかる」。

伝統的な料理作りのワクワク体験

街を後にし、野趣あふれる掘っ建て小屋があるビーチに移動。今度は彼らの伝統的な調理を見せてもらう。

根菜類と豚肉の塊をそれぞれヤシの葉に包み、地面に作った炉の中に入れ、上からヤシの葉や土でカバーしたあと、2時間ほどかけてじっくりと蒸し焼きにする。これはあとで我々の夕食になる。


蒸し焼き用の土中の窯。ちょっと「川口浩探検隊」っぽくなってきた(写真:筆者撮影)

ちょうどおやつの時間になり、島で獲れた(というか、そこらに生えている)ココナッツの果汁と果実が提供された。果汁は甘さのないスポーツドリンクかライチのジュース、果実も甘くないナシのような味がした。

「蒸し焼き」の仕込みを終えた彼らは、このあともう1つの夕飯のメインディッシュであるロブスターとタイガープロウン(クルマエビ)のバーベキューの準備を始めるという。女性陣とともに宿泊するコテージに帰ろうとすると、フレイザー・ナイ氏から声をかけられた。

「ブラザー。どこに行くんだ?」

すでにかなり親しくなっていた彼から、私は「ブラザー」と呼ばれるようになっていた。日本の「おい、兄弟」と同じような親しみを込めた表現だ。「バーベキューは男の仕事だろ?」。どうやら私とスイス人のジャーナリストは調理当番のようだ。

バーベキューはオーストラリアの国民食というか、国民的調理法と言いたくなるくらい人気だが、小型ガスボンベで鉄板などを熱するコンロがほとんど。だが、ここでは昔ながらの枯れ枝をくべるスタイルだ。とはいえ、雨も多く湿度が高いので、枝も枯れ切ってはおらず、火に入れると私たちも燻製になってしまうかと心配したくなるくらい煙が出る。


ビーチ沿いの掘っ建て小屋でバーベキューの準備(写真:筆者撮影)

電気のようにほんの数分で適温になるわけではなく、時間がかかる。我々とスタッフを合わせた全員分の食材を焼くので、途中で何度も枯れ枝をくべ直さなければならない。風向きが変わるたびに風上に逃げなければならないのだが、個人的にはこれぞバーベキューという気がする。

炎と煙と格闘することおよそ2時間。ようやく全員分のロブスターとタイガープロウン(クルマエビ)を焼き上げることができた。

後者はガーリックバターで味付けされていたが、前者は味付けなし。せっかくの高級食材だ。しょうゆとわさびがあったらむしろ刺身で食べたいと思ったが、塩を少々振っただけでもおいしかった。

食後には子どもたちも加わり、島の伝統的な歌を披露してくれた。

小さな島に迫りくる問題

翌朝はまたビーチの掘っ建て小屋に移動。参加者の何人かは島の女性から「ヤシの葉のかご作り」を習っていた。

道中の写真撮影で到着が遅れた私。ほかの参加者たちが悪戦苦闘しているのを見て、参加を早々に諦め、フレイザーに銛(もり)でのロブスター漁の仕方を実演してもらった。筆者もやってみたが、この長さの銛は意外に重く、狙った位置に突き刺すのはかなり難しい。

「そういえば、昔はこのビーチにも家があったんだけど、今は建てられない。なぜだと思う?」

唐突にフレイザーが聞いてきた。少し考えたら正解は見つかった。トレス海峡諸島もほかの島々と同様、地球温暖化によって海面上昇が始まっている。砂浜のそばでは嵐が来たとき、家の中に波が入ってしまうのだ。

海面の上昇により存在が脅かされる国としてはツバルが有名だが、サンゴの細かなかけらが砂となって積み重なってできたマシッグ島もほぼ平らな小さい島。海面が1メートル上がれば島の面積の何パーセントかは確実に消失してしまう。島の人たちにとって地球温暖化はさざ波のように目立ちはしないが、じわじわと確実に押し寄せる危機だ。


ビーチからののどかな風景。失われたくない光景だ(写真:筆者撮影)

トレス海峡諸島民の推定人口は約4万人。有名な先住民アボリジナルの20分の1ほどだ。オーストラリア全人口約2540万人中0.2%にしかならない。だから、まずはその存在を知ってもらうことが大事なのではないか。

だから最後にもう一度。オーストラリアにはアボリジナルとは別の、もう1つの先住民がいる。彼らの名を「トレス諸島海峡島民」という。

(柳沢 有紀夫 : 海外書き人クラブ主宰 オーストラリア在住国際比較文化ジャーナリスト)