2024年のドル円レートがいくらになっているかはさておき、円安が進んでも当面の日銀の姿勢は変わらないかもしれない(写真:ブルームバーグ)

再び進んでいる円安に歯止めはかかるのだろうか。ドル円相場は3月24日には一時1ドル=130円を割り込んだものの、その後は円安ドル高基調となり、6月末には一時1ドル=145円台に達するまで円安が進んだ。直近では財務当局の為替介入の可能性が指摘されているが、ドル円で言えばこの2カ月ほどで約10%円安が進んだことになる。

日銀が「金融政策正常化」に向けて動く条件とは?

この間、ユーロドルでみると1ユーロ=1.08〜1.10ドルのレンジから大きくは変わっていないので、やはり「ドル高」というよりも「円安」の側面が強い。日本側の円安要因としては、日銀の植田和男総裁が政策修正に対して慎重な姿勢を保っていることが大きいだろう。

なぜ短期間のうちに、再び円安が進んだのだろうか。今春における春闘賃上げ率は約3.6%と1990年代前半以来の大幅な上昇となったが、筆者は、こうした大幅な賃上げが想定されることを理由に、日銀がこの夏場までにYCC(イールドカーブコントロール、長短金利操作)修正など、金融政策の正常化に向けて動きだす可能性が高いと考えていた。

だが、これまでの植田総裁をはじめとした日銀関係者の発言を踏まえると、足元2023年における企業による賃上げは、2022年までの食料品などの価格上昇に対する「所得補填の意味合いが大きい」と位置付けている可能性がある。

もし、来年の2024年まで同様の賃上げが続けば、それは賃上げを常態化させるという意味で「企業行動の変容」であり、これが日銀による「基調的な2%インフレ」の1つの条件になっているとみられる。

かつて、植田日銀総裁は大規模金融緩和政策に対して肯定的な見解を示していなかった。だが、アメリカのハーバード大学・ローレンス・サマーズ教授から評されたように「日本のベン・バーナンキ」(元FRB理事長、デフレを防ぐために2008年以降金融緩和を徹底)としての役回りに徹すると、腹を括っているのかもしれない。

今後、日銀の7月末の展望レポートで示される2023年度のCPIコア(生鮮食品を除いた消費者物価指数)の見通しは、2%台半ば前後に上方修正されるだろう。これは、4月以降のインフレ率の上振れでほぼ説明ができそうだ。

ポイントは来年2024年度のCPIコアの想定だ。現時点の予想は2%である。もし、これが「2%台前半に上方修正され、かつ下振れリスクが低い」と判断されれば、日銀は「基調的な2%インフレの実現可能性が高まった」と判断することになる。そうなれば、この7月末にYCC修正などの政策変更が行われうる。

日銀の政策変更の条件達成へのハードルは高い

このシナリオの可能性は、50%程度はありそうで、筆者にとって悩ましいのだが、現時点でメインシナリオにするほどの自信はない。というのも、2年連続で日本企業が明確に賃上げするためには、日本の経済が1%以上の経済成長が続き、需給ギャップ改善が続く必要がある。仮に経済成長が失速すれば、企業による賃上げも今年だけにとどまる。

日本経済の最大の下振れリスクは、米欧や中国など海外経済環境の悪化だろう。2000年以降、海外経済の失速をきっかけに、日本銀行による引き締め政策が頓挫、そのたびにデフレに逆戻りする経験を繰り返してきた。

もし、植田総裁が「今回の脱デフレ完遂の機会を逃さない」と考えるなら、2024年の海外経済リスクがもう少し見えてから政策修正を始めるのではないか。そうであれば、YCC修正を含めた政策判断は、7月27〜28日の次の日銀金融政策決定会合ではなく、秋口あるいは年末までずれ込む可能性が若干高いように思われる。

ところで、昨年もそうだったが、円安が進むとメディアで物価高と結びつけられて批判的に取り上げられ、最近もそうした記事が散見され始めた。「経済の長期停滞や競争力低下が続いているから、円安が起きている」などの論調もあるが、総じて的外れな見解だろう。2022年以降の適度な円安は、日本経済の経済正常化を促す追い風と筆者は位置付けている。

昨年以降、大きく円安が進んでいるが、最近の日本経済の安定成長が続いていることが示すように、これまでの円安は、日本経済全体を押し上げるプラスの効果があったと言えそうだ。

TOPIX(東証株価指数)をS&P500種指数で割った「日米相対株価」は、円安になると上昇するという連動が続いており、通貨安がもたらす企業業績改善が日本経済を成長させる効果が大きいことは明らかだ。さらに、今年は訪日外国人が戻り、インバウンド消費が復活しており、円安の恩恵が地方経済に広がりやすい状況になっている。

5月以降、日本株が、米欧株よりも上昇率で上回り、平成バブル崩壊後最高値となる33年ぶりの大幅高となったことには、さまざまな要因が挙げられる。実際には、金融緩和を続ける日本銀行の政策が、経済成長と企業業績の改善を後押ししたことが、最も大きい要因とみられる。

円安が止まるのは今年の秋口か

それでは最近の円安は、今後の日本銀行の政策に影響するだろうか。確かに、為替レートは、日銀の政策判断の1つの変数にはなる。ただ、日銀執行部は、過去の円高に対応して金融緩和を行った際、経済が不安定化した1980年代の教訓などから、短期的な通貨変動に金融政策が左右されないことが重要だと認識しているだろう。再度進んでいる円安をうけて、日銀が金融政策修正を前倒しする可能性は小さいと考える。

円安に対する対応としては、昨年同様、財政当局による為替介入が想定される。ただ、原油高などと円安が同時に起きていた2022年と異なり、2023年は原油価格が落ち着いている。また、最近の円安はアメリカの金利上昇に沿った動きとみられ、金融政策で説明できる適度な円安と解釈されるのではないか。

筆者は可能性が低いと考えているが、仮に今後1ドル=150円を超えて投機的に円安が進めば、急激な変動を抑制するために、その是非はともかく政治的な対応として為替介入が行われるかもしれない。ただし、為替介入だけではドル円の方向性は変えられず、スピードを和らげる効果しか期待できないだろう。

今後、FRBの利上げ打ち止めか日銀の緩和政策の修正かのいずれかがなければ円安基調は変わらないと予想される。「秋口にかけてFRBの利上げ期待が鎮静化することで円安ドル高が止まる」が筆者のメインシナリオである。

(本稿で示された内容や意見は筆者個人によるもので、所属する機関の見解を示すものではありません)

(村上 尚己 : エコノミスト)