7月7日劇場公開の映画『SEE HEAR LOVE 見えなくても聞こえなくても愛してる』。監督は『私の頭の中の消しゴム』のイ・ジェハン氏、原作も韓国の漫画で、監督自身が脚本化した(©2023「SHL」partners

7月7日に劇場公開された映画『SEE HEAR LOVE 見えなくても聞こえなくても愛してる』(以下、『SEE HEAR LOVE』)は、美しいラブストーリーだ。突然視力を失った漫画家と、彼の漫画のファンで生まれつき聴力を失っていた女性。山下智久と新木優子という見目麗しい役者が演じるカップルが、ハンディキャップにもがきながら苦しくも清らかな愛を育くむ。日本映画にはなかなかない、少々現実離れした極端な設定の物語で、何の情報も得ずに見ると「韓流っぽいな」と思う人もいるかもしれない。

『私の頭の中の消しゴム』のイ・ジェハン監督

それもそのはず、まず監督は『私の頭の中の消しゴム』をヒットさせた韓国の監督、イ・ジェハン氏、原作も韓国の漫画で、監督自身が脚本化した。制作のコアスタッフも韓国のベテラン陣で、物語も絵作りも「韓流」と言っていい。日本と韓国の合作映画だが、「韓流映画」に主演の2人をはじめ日本人の役者たちが出演しているようなものだ。

今回の作り方になったのは、日本と韓国、それぞれでのヒットを狙う新しい戦略があったからだ。製作としてクレジットされ、この映画のビジネススキームを組み立てたTIMEのプロデューサー英田理志氏の話を紹介しながら、その戦略を解剖してみよう。

まずここで、韓国コンテンツ業界の状況を簡単に説明しよう。日本とは違って人口が少ない分、早くから国家戦略として海外展開に取り組んできた。その努力が実り、このところ世界市場へ向けて売れるコンテンツを展開している。そんなことがここ数年言われてきた。

もちろん、それは間違いではない。だが決して、世界市場でハリウッドと並ぶほどのポジションを獲得できたわけではない。主に配信プラットフォームで『イカゲーム』に代表されるヒット作を連発したおかげで、配信市場で続々作品を出し続けている。個々の作品の製作費も日本のドラマや映画よりずっとかけている。ただし、あくまでNetflixのような配信サービスでポジションを得たということだ。英田氏によると、「そこで活躍できる制作会社やクリエイターは限られており、むしろ格差も生じている」状態だそうだ。

日本との共同製作を希望する理由

さらに韓国国内の映画興行は冬の時代とも言われ、韓国作品のヒットが少なくなってしまった。ハリウッド発の世界的ヒット作品と、最近は『すずめの戸締り』や『THE FIRST SLAM DUNK』といった日本のアニメ作品がヒットしており、韓国映画はあまり見られずヒットもしていない。あくまで配信向けの作品が活況を呈しているだけで、そちらも企画が列を成している状態。「劇場公開用の映画は逆に簡単に作れなくなっています」と英田氏は解説する。

『SEE HEAR LOVE』を映画にしたいと考えたイ・ジェハン監督が、日本との共同製作を希望したのもそんな背景があったようだ。『私の頭の中の消しゴム』は日本でも大ヒットしており、この作品も日本に馴染むのではと考え打診してきたという。相談に応じたTIMEの英田氏は「海外共同製作映画は、どこの国向けに作るのかが不明になりがち。日本の役者に演じてもらい、まず日本市場で見てもらいたい」と考えた。そこで監督がまずオファーしてきたのが山下智久、そして新木優子だった。それ以外にも漫画家のアシスタント役に山本舞香、敵役にあたる若社長が高杉真宙、2人をひたすら見守るタクシー運転手が深水元基、ヒロインを助ける謎の女性が山口紗弥加と美男美女揃い。悲しくも美しいイ・ジェハン・ワールドを彩っている。

韓国語の脚本を日本語化する際は、かなりの時間を要したという。「言葉が随所で大事な物語。それを日本語にするとき、うまく翻訳しないと台無しになりかねなかった」と英田氏は振り返る。目と耳がそれぞれ不自由な2人だからこそ、言葉は物語の重要な鍵になっている。

現場は韓国人と日本人のスタッフが入り乱れた。当初は撮影や照明などのメインスタッフだけが韓国人で、他は日本人でとも考えたが結果的には半々になったという。

英田氏は「海外の監督さんに日本に単独で来てもらうと、監督らしさを出しにくくなる」と過去の経験からも感じていたそうだ。この映画は「物語だけでなく、映像の感覚、伝わる空気も含めて韓国っぽい作品になった。スタッフを連れてこないとここまではできなかった」と英田氏は捉えている。

確かに、1つひとつのカットやシーンが、日本なのに日本っぽくない。どこか架空の国の物語のように見える。それがこの「メロドラマ」を浮つかせず、一種のファンタジーとして心に響く物語に見せている。


視覚を失ってしまう漫画家、泉本真治を演じる山下智久(右)と生まれつき耳が聞こえない相田響を演じる新木優子。障害のある2人が手を通して通じ合う美しい場面(©2023「SHL」partners)

劇場公開前に先行配信という試み

さてこの『SEE HEAR LOVE』はすでに6月9日よりAmazonプライムビデオで先行配信されている。7月7日から劇場公開されたのはディレクターズカット版。さらに、韓国・香港・台湾・タイでも劇場公開される。

劇場公開の前に配信サービスで先行させるのは、コロナ禍以降ひとつの手法になった。先に一定の層に見てもらうことが劇場公開に向けた話題作りになる。主演陣のファンは配信で見たうえで、さらに劇場でも楽しみたいと思うだろう。

Amazonプライムビデオでの先行配信はわかるとして、日本でヒットが確定する前から海外展開を準備していたのは驚きだ。日本の大手映画会社やテレビ局が関与しているわけでもないのに、大胆な戦略に思える。これについて英田氏は「海外配給を同時並行でブッキングできた」と説明する。それを行ったのは、TIMEの親会社REMOWだ。

REMOWは「日本のコンテンツを世界へ届ける」を理念に2022年に事業を開始した会社で、海外の配給会社や配信会社との関係を急速に構築している。主に日本のコンテンツ企業と海外市場との橋渡しをしているが、さまざまな企画の中で主体的に製作も行う際には、子会社のTIMEが担当する。『SEE HEA LOVE』はTIMEが製作しREMOWが海外と結ぶ第一作となった。

今でこそ日本のアニメ映画は海外でも売れるようになってきたが、実写映画はなかなか海外では高く販売できない。それを『SEE HEAR LOVE』で実現できたのは「すごく意味が大きかった」と英田氏は言う。

そもそも日本の映画は製作委員会を組む段階で、日本国内でヒット、回収させることばかり考えてしまい、海外で売れるかどうかをほとんど考えない。日本でヒットした後で、じゃあ海外展開もしてみようと動いてもたいして売れず、販売のためにかけたコストを回収できないケースが多い。

TIMEの親会社REMOWは、日本作品の海外展開のための関係づくりをひそかに構築してきた。その関係があるうえで『SEE HEAR LOVE』の場合はイ・ジェハン監督作品つまり「韓流」映画だから海外展開が成立した。日本市場には日本のスター俳優が出ていることで送り出すことができたが、海外に向けては「韓流クリエイター」の作品に日本のトップスターが出ていることが強みになったのだ。

さらに今回、異例の取り組みだったのが、主演の2人、山下智久と新木優子が韓国、香港、台湾、タイの4カ国を巡りそれぞれで劇場での舞台挨拶、メディア向け会見を行ったことだ。6月22日から28日まで、7日間かけたツアーで各国を巡る例は、日本映画の海外興行ではあまりなかった。

REMOWと各国配給会社の協力関係があってのことであり、主演の2人もこの作品に力を入れていることの証とも言えるだろう。本当に海外展開を成功させるなら、こうした現地でのプロモーションは欠かせない。山下智久は韓国での挨拶で最後に「今日はこのために時間を作っていただき、ありがとうございました」と感謝を示したという。観客と直接会うことの意義と喜びを感じての言葉だろう。


6月22日、韓国ソウル市内の映画館MEGABOX COEXで行われた舞台挨拶に出席した山下智久と新木優子 (©2023「SHL」partners)

コンテンツ業界全体が注目すべき兆し

日本のコンテンツは海外になかなか出られなかった。映画興行で言うと中国に抜かれるまで、日本は長らく世界第2位の市場で、無理をして海外市場に打って出なくてもなんとかなってきた。ただし監督などクリエイターはじめ制作現場のプロたちの「やりがい搾取」のうえに成り立っていたとも言える。人口減少で国内市場が急速にしぼむと予想されるいま、そうも言っていられない。

だが大手映画会社やテレビ局は国内市場に自分たちを最適化してきたため、海外市場に向けた構造転換がなかなか進まないように見える。まったく別の流れが必要ではないかと私は考えていたが、『SEE HEAR LOVE』はまさに新しい潮流を生み出す一歩になりそうだ。

これまで映画界を仕切ってきた大きなプレイヤーでなくても、日頃の地道な関係づくりとマネタイズを組み立てる才覚があれば、世界を相手にできるのかもしれない。さらにその実績を積み重ねることで、コンスタントな海外展開の潮流が大きな流れになっていくのではないだろうか。『SEE HEAR LOVE』の海外展開には、コンテンツ業界全体が注目すべき兆しがあるのだと思う。

(境 治 : メディアコンサルタント)