注目を集めたユーチューバー親子の対決。畳とノボリで日本のカルチャーであることをアピール(筆者撮影)

「モーターバレー」とは、イタリアのエミリア・ロマーニャ地方の自動車産業エリアを称す。

そう、マセラティやフェラーリの本拠となるモデナや、ランボルギーニやドゥカティのボローニャ、そしてダラーラのあるパルマなどが主体となるスポーツカー文化発祥の地だ。


ローマ広場に集結したスーパーカーが壇上にあがる(写真:Cavallino Modena)

当地はもともと海外からの旅行者も多いが、ブランド認知だけでなく、観光資源の開拓という意味で、年々インターナショナルなものとなってきている。各メーカーが、週末もファクトリーをオープンして工場見学を歓迎しているのも、特徴的だ。

そんな地で行われる自動車イベントが、「モーターバレーフェスト」である。開催時には、当地の自動車メーカーのほか、モデナサーキット、そして当地の自動車ミュージアムも特別な企画を行うから、多くのエントラントが当地を訪れる。


カヴァリーノ・クラシック・モデナに集結したフェラーリたち(写真:Cavallino Modena)

さらに、各メーカーのトップが、ブランドの方向性をメディアに向けて発信することでも注目される。ランボルギーニのステファン・ヴィンケルマンや、マセラティのダヴィデ・グラッソのコメントも、大きな注目を集めた。

また、新しい人材登用においてもこのイベントは積極的で、新しい才能をアピールする機会でもある。実に欲張りなイベントなのだ。

このように、当地のメーカーにとって重要な意味を持つイベントであるが、一方でライバルたちが一団となって“Made in Modena”をアピールするというある種のおおらかさがあるのも、またこのイベントの特徴である。


士官学校を開放しての各ブランド展示(筆者撮影)

このおおらかさは、なんといってもイタリア独特の郷土愛に由来するもの。ビジネスで侃々諤々とやりあっても、夜は街で和気あいあいとグラスを傾けるという彼らのマインドは、少しうらやましい。

小都市モデナにさまざまな展示

街中に回廊が設けられるモーターバレーフェストは、外部車両の侵入も禁止となることもあいまって、ぶらぶら歩きに適した小都市モデナの特性を上手く活用しているといえる。

いくつもある歴史的広場にはさまざまな展示が行われ、メーカーの最新ラインナップだけでなく、当地のワークショップやレストアラーなどが、ここぞとばかりにその存在をアピールする。

今回、中心部のピアッツァ・グランデは、マセラティの電動化に向けてのショールームとなり、そこには上海で発表されたばかりの「グレカーレ フォルゴーレ」やフォーミュラEマシンなどが並んだ。


ピアッツァ・グランデに並ぶマセラティの電動モデル(筆者撮影)

となりの“9月20日広場”では、それと対比する形でマセラティ最後(と思われる)V8ハイパフォーマンスガソリンエンジンを搭載した「ギブリ」「クアトロポルテ」「レヴァンテ」の特別モデルが並ぶなど、まさに街中が素敵なショールームとなっていた。


最終V8モデルとなるであろうフォーリセリエ・シリーズ(筆者撮影)

また、モーターバレーフェストの一環として、いくつもの人気イベントが周辺で同時開催される。

「カヴァリーノ・クラシック・モデナ」と称すクラシックフェラーリのイベント(コンクールデレガンスとツーリング)は、ミシュラン3つ星シェフ、マッシモ・ボットゥーラのヴィラ(レストラン、ホテル)をベースに開催され、世界各国からマニアが集まった。


ヴィラでゲストを迎えるマッシモ・ボットゥーラ シェフ(筆者撮影)

おなじみのローカル・コンクールデレガンス、「コンコルソ・デレガンツァ・トロフェオ・サルバローラ・テルメ」も、近郊のリゾートスパをベースとして開催。こちらも大いに盛り上がりを見せた。

いずれの一団も、パレードランのコースとしてモデナ市街の中心部にあるエミリア街道やピアッツァ・グランデなどを通過するため、街道にはファンが溢れる。ローマ広場では各車両が整列しての展示も行われ、一般ギャラリーの満足度も高い。


エミリア街道のパレードラン(写真:Cavallino Modena)

こういったスーパーカーやクラシックカーのパレードだけでなく、イタリア各地からオーナーズクラブも集結し、街中が大きな賑わいとなる。

日本とモデナの文化交流を企画

さて、例年筆者もこのイベントに参加しており、コンクールデレガンスの審査員を務めたり、それぞれの催しの取材をしたりしているのだが、今年はちょっと違ったミッションがあった。

それは、モデナ市とこれまでも何回か開催した日本とモデナの文化交流企画が、このモーターバレーフェストの公式プログラムとなったからだ。

モーターバレーフェストに公式参加できるのは、基本的に当地をベースとする企業・団体だけだが、筆者を含む日本側の想いに賛同が得られ、例外を受け入れてくれたのだ。これはモデナ愛を公言する筆者にとっての、何よりのプレゼントであった。

自動車文化が根付いたここモデナですら、若者のクルマ離れは問題となっている。そこで筆者たちが行っている「日本の古きスーパーカーブーム再評価プロジェクト」を、スーパーカーの本場であるモデナに“逆輸入”しようと考えたのだ。


JSSA(日本文具スポーツ協会)で制作するスーパーカー消しゴム(筆者撮影)

1970年代後半に爆発的に広まったスーパーカーブームは日本独特の現象であり、これが日本に自動車エンスージアストを多く生み出す原動力となった。だから、子ども時代にクルマの美しさや素晴らしさに触れておくことは重要だ。

そんな中で、簡単にクルマのデザインを知ったりスペックを研究したりするスーパーカーブームの立役者であった“スーパーカー消しゴム”こそ、自動車愛復活のための救世主ではないだろうかと考えた。

そうして設立したのが、スーパーカー消しゴム普及のための団体、JSSA(日本文具スポーツ協会)だ。各メーカーとライセンス契約を結ぶと同時に、消しゴム飛ばしに特化した「ブースターペン」を開発して、スーパーカー愛をアピールしている。


12気筒エンジンとトランスミッションを模したブースターペン(筆者撮影)

スーパーカー消しゴム相撲:La sfida delle gomma-supercar

今回は日本より5名のスタッフが訪伊し、現地の協力スタッフとともに、世界遺産のドゥオーモに面すピアッツァ・グランデに、スーパーカー消しゴムのスタンドを設けた。

そして、これまで開催した「スーパーカー消しゴム落とし大会」をワールドワイドで受けられるように進化させた「スーパーカー消しゴム相撲:La sfida delle gomma-supercar」を行った。


世界遺産ドゥオーモとギルランディーナの塔を背景に(筆者撮影)

もちろん、スーパーカー消しゴムという存在など、イタリアでは誰も知らない。だから、このイタリア語のネーミングひとつとっても、現地のジャーナリストと話し合い、ようやく決まったものである。これは、日本のニッチなサブカルチャー的なコンテンツをイタリアで盛り上げようという、“無謀な試み”なのだ。

「相撲」とネーミングしたのは、イタリアでも知られている日本文化への関心を意識したもの。ゲームのフィールドも、これまでの「教室の机」から「正方形の畳」へと変更した。この変更により、小さなスペースでも実施することができるようになったし、ギャラリーたちも近づいて見学することができるようになった。

ルールを理解してもらうためイタリア語のインストラクションビデオも製作して、準備に抜かりはない。なにせ、モデナ市主催のオフィシャルイベントへの参加だ。万全の準備で臨まなくてはならない。日本とモデナとの絆を深めるという、筆者にとっての重要なミッションもあるし……。

と、万事順調にことは進んだが、果たしてイタリア人たちがこのコマゴマしたゲームに関心を持ってくれるかどうか、甚だ不安であったのも事実だ。そこで、クルマ仲間の中でも小さな子どもがいる層に集中して、事前に情報を送り込むことにした。


当日、スーパーカー消しゴム相撲に講じる子ども(筆者撮影)

30年以上にもおよぶモデナ詣の中で出会った、オピニオンリーダーとなるようなキーパーソンにもひたすら案内を送り続けたところ、予想以上に反応がいい。

フィレンツェの親子ユーチューバーは「朝から行くからね」と涙の出るようなコメントをくれたし、ボローニャのスーパーカー仲間は、メンバー総出でツーリングを企画してくれるという。イタリア在住の日本人ファミリーたちからも、「大いに楽しみにしている」という頼もしいコメントが寄せられた。

昭和の日本のムーブメントが今、本場へ

そしてついに、2日間にわたるモーターバレーフェストの会期が始まった。最初は恐る恐るスタンドを眺めていたギャラリーたちだったが、1組の親子が歓声をあげながらゲームに熱中している姿を見て、まわりは黒山の人だかりとなった。

当地では子どもたちだけでの外出はあり得ないから、ファミリーで皆がふらふらと散歩する。そんな環境も、大いに追い風となった。理想としていた親子で楽しむ姿が各ゲーム卓で見られ、説明するスタッフもさらに熱が入る。


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スーパーカーブームという日本の重要なムーブメントをモデナの人々やメディアにアピールできたこと。そして「こんなおもしろいゲームをイタリアへ持って来てくれてありがとう」という少年のコトバに癒やされたこと。この2つを筆頭に、大きな意義のある参加であった(もちろんコストはすべて持ち出しだが)。

JSSAはローマ、トリノにおける年内の大会開催も予定しており、もちろん日本国内においても積極的に展開を行いたいと考えている。日本のムーブメントがイタリアに伝わり、再び日本でも過熱する。そんな現象が起きたら、なんとも素敵ではないか。

(越湖 信一 : PRコンサルタント、EKKO PROJECT代表)