大規模金融緩和の維持を決めた日本銀行の植田総裁には、みんな優しい。だが、同じ中央銀行のトップでも、アメリカのパウエルFRB議長は記者から「吊るし上げ状態」。この差は何なのか(写真:ブルームバーグ)

アメリカのジェローム・パウエルFRB(連邦準備制度理事会)議長は、6月14日のFOMC(連邦公開市場委員会)後の記者会見で、記者たちに「吊るし上げ」にあった。

それはなぜか。今回FED(同国の中央銀行)が利上げを見送ったのは、ほぼすべての人の予想どおりだった。だが、今年末の金利見通しにおいて、さらに0.5%の利上げが示唆されており、これがほぼすべての人の予想に反するものであったからである。

久しぶりに総攻撃にさらされたパウエル議長


この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら

事前に「今回の利上げ休止は当然。あとは7月以降のFOMCでいつ利下げをするか」というシナリオを期待していた投資家たちは、パウエル議長を総攻撃した。その流れに乗って、記者たちも、パウエル議長のこれまでの発言の変遷の矛盾を突いて、ありとあらゆる攻撃的な質問を行った。

「ここ数回のFOMCではそれほど攻撃的でもなかったのに、なぜ今回はまた総攻撃をしたのか」というのが私の記者会見を見た感想であった。

彼らの表面上の不満は、FEDの見誤りであり、政策のチグハグさである。コロナショック後にFEDは大規模緩和を行ったところ、予想とは正反対にインフレが起き始めた。すると「インフレは一時的な供給混乱によるもの」と思われ、またパウエル議長もそう説明し続けた。

ところが、この「コストプッシュ型のインフレ」は収まらなかった。さらに2022年2月にはロシアによるウクライナ侵略が起こり、エネルギー価格が暴騰し、インフレは大加速。欧米はパニックとなった。

そこでFEDはようやく利上げを開始した。しかし、大幅に金融引き締めが遅れたため、FEDもパニックになって、利上げ幅が0.25%から0.5%、0.75%と一気に拡大し、「4回連続で0.75%の利上げ」という27年ぶりの急激な引き締めを行った。

インフレを見誤り、これほどの規模では不必要だった利上げを、しかも21世紀としてはありえない急激なペースで行ったことが、激しく批判されている。

日銀の植田総裁への非難はゼロでいいのか

一方、ECB(欧州中央銀行)も、アメリカに負けず劣らずインフレが欧州でも進行したので、急激な利上げを行ってきた。ようやくインフレは減速してきたが、それでもインフレ率は非常に高く、それでいて景気も弱いままだ。

これは「意外と依然として景気が良く、その分インフレが収まらないアメリカ」とは大きく異なる。「景気も悪化しそう、インフレは止まらずアメリカよりもひどい。インフレが収まった先の成長力はもちろん、アメリカよりもはるかに弱い」というのが今の欧州経済だ。ということで、散々なありさまになっているのだが、ECBのクリスティーヌ・ラガルド総裁にはそれほど批判がない。

さらに日本に至っては、植田和男総裁は4月9日の就任後、事実上何の動きもないが、今のところ誰も非難しない。

日本経済は順調。インフレは少し高めだが、欧米よりは断然マシであり、景気自体も悪くない。これだけ問題が少ないにもかかわらず、黒田東彦前総裁が10年間にわたって行った、緊急避難的な危機対応の異次元緩和を維持し続けている。そして「副作用がもっと大きくなるまでは、現状の緩和を続ける」構えを見せている。要は、まったく動く気配がないといってもよい。

経済がこれだけ長期にわたって平時を取り戻したのであれば、普通の金融緩和は継続しても、緊急避難的なトリッキーな手法は即時撤廃すべきだ。

すなわち、ETF(上場投資信託)の購入やYCC(イールドカーブコントロール、長短金利操作)といった、世界の中央銀行の歴史において前代未聞、まさに古今東西類を見ない非常事態政策を継続していることを放置している。しかし、それでも「誰も不作為の罪」だと攻撃しない。

私は、パウエル議長は気の毒だと思う。まず「インフレを見誤った」と攻撃されているが、それを言うなら、パウエル議長が2021年に引き締めをしなかったときに攻撃すべきだろう。

パウエル議長に怒りがぶちまけられる理由

あのときには、大多数が納得していた。むしろ、株式市場をはじめとして、投資家たちは「資産価格が下落しないよう、早まった引き締めに走らないように」と牽制していたはずだ。ロシアのウクライナ侵略後も、「これはただの一時的な供給ショック、一時的な資源価格の高騰だから」と、利上げに反対する向きもあった。

しかし、FEDはやや手遅れではあったが、2021年と違って2022年は、そのような「投資家ポピュリズム」に屈せず、毅然として緊急事態対応の利上げを行った。1つ目のミスは犯したが、2つ目はしなかった。

そもそも、2021年から2022年のインフレをほぼ誰も予想していなかった。渡辺努・東京大学教授を除いては。しかし、今それが賞賛されているということは、ほかは全員「インフレは一時的、コロナでデフレになる」と言っていたのだ。

そして、現在の金利引き上げ、長期引き締め維持は、どう見ても必要なことであり、年内利下げを望む投資家たちはどうかしている。駄々っ子よりもひどい。

もちろん、パウエル議長はすばらしかったとは言えない。だが、平均的な市場関係者よりははるかに適切な判断をしており、毅然と行動している。だから、ほめることはできないが、攻撃する必要もないはずだ。

では、なぜ、投資家たち、とりわけアメリカの投資家たちはパウエル議長に怒っているのか。それは、金融引き締めをしているからである。

一方、日本では植田総裁はなぜ攻撃されないのか。引き締めていないからである。投資家に甘いハト派であれば、彼らは文句を言わないのである。ただ、それだけのことなのだ。

「ECBは引き締めているではないか」と言うかもしれない。だがインフレの度合いに比べれば、ハト派といえるぐらいの引き締めだ。何よりも、欧州は実体経済がそもそも脆弱すぎて、引き締めに耐えられない。だから、投資家たちも本来よりも甘い引き締めなので、文句を言わないのだ。

さらにいえば、ECBが引き締めようが何をしようが、世界的に見れば影響は限定的だからだ。もはや英国の中央銀行であるイングランド銀行が何をしようが、誰も関心がない。ECBはそこまでノーマークではないにしても、FEDがどう出るかが世界のリスク資産市場のすべてを決めるので、攻撃するエネルギーはFEDへ集中投下しているのである。

一方、日本では、カモを狙う一部のトレーダーは、関心があるふりをして、時折、日銀を攻撃する。だが、それは総会屋やアクティビスト(いわゆる「物言う株主」)のようなもので、日本の金融市場関係者、日銀、政府、そしてメディアや社会が気弱な精神構造をしているので、ここぞとばかりに攻め立てるという、「小学生のいじめっ子のレベル」なのである。

「今世紀4回目の緩和」はあるのか

しかし、本質的により深刻な問題を抱えているのは、いうまでもなく日銀の金融政策である。また、もはや押すにも引くにも動きにくく、ジリ貧の欧州経済なのである。

これが、21世紀の金融政策をめぐる本質である。投資家もエコノミストもメディアも、そしてなぜか経済学者たちも、中央銀行が甘い緩和三昧の金融政策を行っていれば、中央銀行は非難されず、セントラルバンカーたちはぬくぬくと仕事を続けられるのである。

その結果、バブルが大崩壊しても、そのときはすべての人々が中央銀行にすがるから、過去の緩和を攻撃している場合ではない。それどころか、さらなる異常な前代未聞の金融緩和を切望し、それを「英断する」(ただ甘く行動するだけなのだが)中央銀行は、「救世主」として市場と社会から絶賛されるのである。

問題は、今世紀に入って、すでにこれを3回繰り返しているが、もう1度やる余力が世界経済にあるかどうかである。いうまでもなく、私は「ない」と思っている。だが、「ある」と思っている投資家たちですら、うすうす懐疑的になってきている。ただ、今のところ、都合の悪いものは見ないようにしているだけである。

崩壊の日は近い。

と書いて、ここで終了しようと思っていたが、15日のECB理事会、16日の日銀、それぞれの金融政策決定会合を受けて、若干追加した。

ECBは前回に続いて0.25%の利上げを行い、今後も利上げを継続すると明言した。しかし、0.25利上げはすべての人が知っていたことで、かつ欧州のインフレの状況を見れば、まだ実質金利は大幅にマイナスなので、投資家たちは誰も文句を言わなかった。ユーロドル、ユーロ円ともにユーロ高となって上昇したが、混乱はどこにもなかった。

そして、16日の正午前、日銀は大方の予想どおり、まったく動かなかった。完全な無風である。1ミリメートルの政策変更もなかった。

15時半からの記者会見で、植田総裁が何らかの今後の正常化の動きを示唆、または含みを持たせると期待した向きも一部にあったようだ。だが、これも完全なゼロ回答。それどころか、就任前の国会での聴取からは大幅に後退、毎回しゃべるたびにハト派というか、自信のなさそうな話しっぷりになっている。

学者的な雰囲気はむしろさらに強まったかのようだ。少なくとも「闘う男植田」は消えた。

危機は深まっている

しかし、投資家もメディアも優しい。ほとんど植田批判は聞かれない。金融政策の中身については、黒田前総裁の路線を完全に踏襲している。黒田総裁は強気の会見だったからか、途中から総攻撃を受けたが、植田氏は金融政策崩壊の危機は刻々と近づいているのに、誰も攻撃しない。

なぜか。株価が上がっているからである。円安が再びジワジワと進んでいるだけで、ヘッジファンドの攻撃という、目に見える危機がないからである。むしろ、ヘッジファンドから攻撃の標的にされていないのに円安が進んでいるということは、対抗措置も効かないことを意味しており、危機は深まっているのにだ。

中央銀行がバカなのではない。投資家が愚かであり、メディアも、その日の危機をあおるニュース以外には関心がないという「平和ボケ」だ。

今さら私が吼(ほ)えていても仕方がない。ある意味、これが黒田日銀のいちばんの罪である。最も派手に金融政策を躍らせたため、人々の感覚が麻痺してしまい、静かな危機に不感症になってしまったからである。これこそ私が「(インフレを意図的に起こす)リフレはヤバい」と言ってきたように、リフレがもたらした最大の罪なのである。

今後、危機がいよいよ崩壊となって実現したときのために、「正しい」金融政策を整理しておこう。これは私の意見ではなく、客観的な事実、誰も否定できない経済理論、市場の原理である。

「正しい」金融政策に向けた6つの指針

1:現在起きているインフレは、供給ショックがきっかけだった。それは収まったが、構造的な人手不足による賃金上昇圧力が顕在化し、中期的に継続する。

2:それに対しては、金融政策は直接的な効果がない。できることがあるとすれば、利上げしかない。金利上昇によって、不動産価格を下落させ、消費、投資需要を減少させ、主要因ではないものの要因の1つである需要の強さを減衰させるしかない。

3:インフレは継続すると定着してしまう。よって、短期的に大きなコストを支払っても、インフレの上昇継続を阻止する必要がある。結局、インフレは長期的な経済成長には大きなマイナスである。

4:「物価やGDPの名目的増加が重要だ」「経済指数は実質が中心だが、名目も現実世界では重要だ」という議論は、実質金利と名目金利にも当てはまる。それどころか、21世紀においては、名目金利は名目GDP増加率よりもはるかに重要だ。名目金利は明示的に銀行の融資姿勢、財務健全性に影響を与え、経済主体の投資行動に影響を直接的に与えるからだ。

したがって、高インフレ、高金利は経済成長にとって最悪のシナリオである。これは20世紀後半では誰もが知っていたことだ。だが、21世紀の最初の約20年間、流行を追う経済学者やエコノミストには忘れられていた。そして、彼らはようやくそれを思い出している。

5:「インフレ率は2%が理想だ」という理由はどこにもない。「ほかの国が2%だから、自分の国も2%にそろえたほうがよい」という理由は1つもない。それは各国それぞれの経済事情を反映して、むしろ、世界経済や各国経済の健全な成長のために、柔軟に調整されることが必要であり、インフレ率が各国で異なることこそ重要である。

変動為替レートの世界において為替を固定しようとするのが最も愚かであるのと同様に、各国の通貨、経済が相互依存の中で独立に動いている下で、インフレ率を各国でそろえようとするのは最も愚かしいことである。

6:YCCは、金融政策の歴史において例外中の例外の政策であり、緊急避難的に行われた歴史的事例が数例あるだけだ。しかも、それを長期に継続することはなく、実施した金融当局はいずれも、できる限り早くYCCから正常な金融政策に復帰することを目指していた。それでも、復帰のときには大きなダメージを金融市場に与え、当局が大きく反省したオーストラリアの事例(2021年11月にYCC目標撤廃)が教訓になる。

1〜6以外にも、もっと言うべき重要なこともあるが、私の意見が含まれてしまう可能性があるため、今回はここまでにしておく。

繰り返すが、上記のことは私の意見ではなく、誰も否定できない客観的事実である。

(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

競馬である。

前回の記事「『技術革新はすばらしい』と考えるのは大間違いだ」(5月26日配信)の競馬コーナーで書いたように、東京優駿(日本ダービー、28日)は私も大いに期待していた。レース直後、スキルヴィングが急性心不全で他界した。

2番人気で、かつ将来を嘱望されていた良血馬が、ダービーという最高の舞台で死亡したことに、多くの競馬ファンが大きな衝撃を受けた。だが、競馬では、頻繁ではないが、このようなレース中、あるいは調教や放牧中の事故、ケガなどで死亡するリスクはつねにある。しかし今回は、舞台が舞台だけに大きな議論を呼んだ。

「人間の欲望としての競馬」をどう考えるべきか

とくに、死をいたみ、スキルヴィングのこれまでの健闘をたたえる多くのファンの言葉に、けんかを売るようなツイートが話題になった。代表的なものは「お前らの欲望のギャンブルのために、馬を利用しておいて、死を悼むのに美しい言葉を使いやがって」、といった類いの議論である。

こうしたツイートは猛反発を受けた。しかし、事実としては正しい。言い方が問題なだけで、人間の道楽のために動物が利用されている。それは動かしがたい事実である。

「ただのギャンブルではない」「サラブレッドの育成だ」というが、人間の好奇心のために、勝手に遺伝子の組み合わせを配合され、生物としての歴史すら操作されているから、「ただ残虐に殺す以上にひどい仕打ちだ」という見方もできる。

私自身も、このような事件が起きるたびに、競馬をやめようと思う。いたたまれなくなり、どうしていいかわからなくなる。

1つの考え方は「開き直りにすぎない」と批判を受けそうだが、開き直りなどではなく、やはり「これは生物として生きていくうえでの普通の現実の1つ」というものである。

人間は、食うために動物を殺す。植物を自然界とは異なる形で繁殖させる。自然を破壊することにより、人間は人口を増やしてきた。もちろん、それは食うためであり、それは生物の業である。必要悪である。

競馬は道楽であり、必要ない。無駄な虐殺、虐待だと。それも事実である。同時に、優秀な牡馬や牝馬を選び、残していく。戦争において、遺伝子を操作しようとした、民族に対する特殊な考え方をした人々が存在したことを想起させるかもしれない。

しかし、自然界においても、動物たちは強いオスだけがメスたちに選ばれる。優れた遺伝子を持った、いや環境に適合した遺伝子をそのときに持っている生物が、その時点では生き残る。それと本質的には同じことが起きているだけである。それをほかの種の生き物が当該の種の意向を踏まえずに行っていることは罪深いともいえるが、起きている現象でいえば、そういうことだ。

考えてみれば、繁殖のパートナーを選ぶためのルールを作っているのは人間だけかもしれない。とりわけ、一夫一妻制は自然界では極めて珍しい現象である。

それこそが人間社会の英知なのかもしれないが、英知なのか愚かな作為なのか、歴史が評価することになる。いや、増えすぎた人間を減らすために、自生的に生まれてきた優れたものなのか、人類が減少し、消滅することが自然界の歴史としては「正しい」ことなのか。それはわからない。ただ、そんなことをダービーの日に考えた。それだけのことである。

さて、18日は東京競馬場で3歳限定のダート重賞「ユニコーンステークス」が行われる(第11レース、距離1600メートル、G3)。 

認識向上のダート競馬、ユニコーンSの注目馬は?

日本でもようやく、ダート競馬の能力検定レースとしての有効性が認識されてきた。「ダート血統が種牡馬として人気が高まっている」と言われているが、そもそもダート血統というのは誤解だ。

むしろ「芝しか走れない馬」のほうが特殊であり、ダートで活躍した種牡馬は本当に優れた馬、ダートでも芝でも走る馬を出すことが、ようやく日本でも一般的に認識されるようになってきた。

私が何度も言ってきたように、ディープインパクトの父でもあるサンデーサイレンスも、ミスタープロスペクターも、レースではダートしか走ったことがないのである。

ということで、ユニコーンステークスの注目馬は、典型的なアメリカのダート血統のヘニーヒューズ産駒であるペリエール。しかし、ヘニーヒューズ産駒のアジアエクスプレスは芝のG1を勝っている(2013年の朝日フューチュリティステークス)。

もう1頭は、日本のダートで活躍し、種牡馬成績も安定してすばらしいホッコータルマエ産駒のブライアンセンス。大物が出てくることを期待したい。

(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(小幡 績 : 慶應義塾大学大学院教授)