「現代における理想のウィングバック」菅原由勢は五輪落選、負傷、W杯落選を”肥やし”にしてオランダで日本人トップとなった
5月28日の今季リーグ最終戦、PSVアイントホーフェン戦を1-2で敗れた結果、AZアルクマールの4位が確定した。右サイドバックを務めた菅原由勢は、浮かない表情でインタビューエリアに姿を表した。
「"彼"が2点、取ったんでね。完敗です......」
"彼"とはPSVの左ウイング、シャビ・シモンズのこと。
18歳でオランダにきた菅原由勢も22歳になった
4月21日に20歳になったばかりの天才肌を、22歳の日本代表が持てる力を出しきって守ろうとした。だが、後半20分とアディショナルタイム8分にゴールを許してしまった。このAZ戦の2ゴールでシモンズのゴール数は19となり、ギリシャ代表FWアナスタシオス・ドゥヴィカス(ユトレヒト/23歳)とともに得点王を分け合った。
「シモンズ選手はウインガーというより、中と関わってプレーする。テクニックもスピードもあるし、フットボーラーとしていい選手です。これを肥やしにして自分の成長につなげていかないといけません」
こうして菅原のオランダリーグ4年目が幕を閉じた。PSV戦こそほろ苦さが残ったものの、31試合出場3ゴール8アシストをあげるキャリアハイのシーズンを過ごした。
「ケガから始まったシーズンですごくタフでしたが、このシーズンを終えて僕も成長できた部分があるし、もっともっとやらないといけないと感じたこともある。本当に充実したシーズンになったことに変わりはないので、このシーズンを次につなげられるよう頑張りたい」
今からちょうど1年前、菅原は右のひざを負傷したままAZでプレーし続け、6月シリーズの日本代表を辞退して手術を受けることになった。その結果、今季の開幕2試合は出場できず、3節から徐々に出場時間を伸ばしていきながら、7節のアヤックス戦(2-1でAZの勝利)で今季初スタメン・フル出場を飾った。
それから2カ月、AZで好調をアピールし続けた菅原だったが、カタールW杯の日本代表メンバーから漏れた。また、2021年東京五輪メンバーから外れたことも大きな挫折だ。
【試合で鍛えた1対1の強さ】「五輪代表落選、負傷、ワールドカップ代表落選──。その過去とどう向き合い『あの時、落ちて正解だったね』と言えるようになるには、自分が正解にしていく未来しかない。『過去が自分を強くする』と信念を持ってやってきました。
もちろん、悔しい思いをしました。自分自身に情けない気持ちにもありました。だから『周りを見返してやろう』と、昨季も今季もプレーした。現時点で自分がここまでくることができたのは、過去と向き合って肥やしにしたからです」
「ここまでくることができた」と言った青年は、この日、AZで156試合目の公式戦出場となり、ハーフナー・マイク(フィテッセ、ADOデン・ハーグ)の155試合を抜いてオランダクラブ所属日本人選手としてトップに躍り出た。
ウイングシステムの国・オランダには、個性豊かな「11番(左ウイング)」が手ぐすねを引いて右SBに襲いかかってくる。そんな厄介なスピードスターやテクニシャンを止めるコツを、菅原は掴んだのだろうか?
「止め方は、今ひとつ正解を見つけ出せてない──というのが正直なところ。PSVのシモンズ選手、アヤックスの(ドゥシャン・)タディッチ選手と(ステーフェン・)ベルフワイン選手、フェイエノールトの(ウサマ・)イドリシ選手といった、強烈な特徴を持つ左ウインガーと試合のなかでやり合う以外、1対1は強くならないと思っています。
練習で1対1をやることも大事ですが、やはり試合のなかでの1対1はスピード感や状況が違います。試合ですからすべての1対1に勝たないといけません。それでも、トライして挑んでいかなければ掴めないものがある。
今、完璧である必要はない。次につながるような1対1を毎回、心がけています」
AZというオランダ屈指のクラブにおいて、菅原は欧州カップ戦出場試合数ランキングで4位(40試合)につけている。「4年もいますからね」と言う菅原だが、4年在籍したところで試合に出なければ、ランキング上位に入ることはできない。
「そうですね。チーム内の競争があるなかで、『絶対にピッチに立つんだ』という気持ちは一度も忘れたことがありません。その積み重ねです」
【ヨーロッパ基準を肌で体感】強豪チームと対戦したり、日本人選手のいるチームと戦ったり、5月にはカンファレンスリーグの準決勝の舞台でも戦った。
しかし、私が今もすぐに思い浮かべるのは、菅原にとってオランダでのルーキーイヤーのアントワープ戦。この試合はヨーロッパリーグのグループステージ進出をかけたプレーオフで、完全敵地のなか、敗戦濃厚だったAZが脅威の粘りで延長戦に持ち込んで競り勝った。
「俺もアントワープ戦が一番記憶に残っているかもしれない。どれだけヨーロッパリーグが価値のある大会か、正直、日本から来たときはわかっていなかった。AZがどれだけヨーロッパリーグ進出にかけているか、それがめちゃくちゃ伝わりました。
言葉では難しいですけども、見たら『コイツら、この試合にすべてをかけているな』というのがわかる。僕は運よくヨーロッパリーグに2回、カンファレンスリーグに2回、4シーズン連続でヨーロッパの大会に出ることができました。
つまり、欧州のカップ戦に出ることが、AZにとっても、自分にとっても"基準"になっている。だから、アントワープ戦はターニングポイントだったと言っても間違いないです」
ネーションズリーグが誕生したことで、日本代表がヨーロッパの国々と親善試合を組むことはかなり難しくなってしまった。欧州のクラブに所属する日本人選手たちが、欧州のみならず各大陸の選手たちと戦うことは、今後ますます大事になってくるのだろうか?
「どうなんですかね。それに関してはわかりません。3月に試合をしたウルグアイ、コロンビアはヨーロッパでバリバリやっている選手がいるわけなんで、中南米の国にも『ヨーロッパ基準』はある。6月のエルサルバドル、ペルーもいい対戦相手です。
もちろん、ヨーロッパの国と対戦して、自分たちのサッカーをやって勝っていかないといけないとは思いますが、それはネーションズリーグがあるので難しい。でも、たしかにヨーロッパでプレーすることは、ヨーロッパ基準を知るうえで大切なのかなと僕も思います」
【ユキは最高の右サイドバック】こうして今季のAZでの活動を終えた菅原だが、「まだ代表の試合があるので、シーズンオフのモードに入ってスイッチを切ってはいけない」と日本代表に備えている。プレーを見て、話を聞き、身体つきや表情の変化を観察して、この4年間で随分とたくましくなったなと感じ入る。
ならば、AZは菅原の成長をどう感じているのだろうか? ちょうど近くにパスカル・ヤンセン監督の姿が見えた。4年前、アシスタントコーチだったヤンセン監督は、オランダでの菅原をつぶさに見てきたひとりである。
「ユキはこんなに成長した」と言って、ヤンセン監督は右腕を高く掲げた。つまり右肩上がりの成長である。
「彼はテクニックとスピードがあり、いろいろなポジションをこなすことのできるモダンなサイドバック。ゴールやアシストを決めることもできます。私の目から見て、現代における理想のウイングバック。彼はMFでもプレーできる。ハードワークもする。そしてクレバー。
コミュニケーションの成長も顕著です。彼は日本語しかしゃべれなかったから、(移籍当初の)半年は日本人女性に通訳に入ってもらいました。守備のこととか理解するのに、あの半年はとても重要でした。
ユキは英語を勉強し続け、1対1でコミュニケーションをとることができるようになりました。また、結婚して娘さんが生まれて、人としても随分と成長しました。
いいチームを相手に大きなスタジアムで戦うことがありますが、そういう試合でもユキは好印象を残しました。彼はうちのチームで最高の右サイドバック。フィットしているかぎり、彼には試合に出続けてもらいます」
18歳から22歳にかけてAZスタイルのサッカーをマスターし、実戦で遺憾なく力を発揮するようになった。それが、菅原のオランダでの4年間だった。