なぜ楽天・内星龍は山本由伸の「完コピ」投球フォームになったのか 契機は「野球ってしんどいなぁ…」の絶望感だった
垂直に佇むノーワインドアップから摺り足気味に左足を踏み込み、鋭いテイクバックから右腕を振り下ろす。ファンの誰もが既視感を抱くピッチングフォーム。
一軍デビューとなった4月9日のロッテ戦で3回をパーフェクトに抑えた楽天の内星龍のフォームは、オリックスの絶対エース、山本由伸と酷似していた。
高卒3年目の楽天・内星龍
それは、パ・リーグの公式YouTubeチャンネルをはじめとするSNSで、「完コピ」と取り上げられるほどだった。
内が照れくさそうに反響を話す。
「友だちとかからも『めっちゃ再生回数伸びてるよ』って言われました。ファンの方に知っていただけるのは本当にうれしいことですし、もっと結果を出さないとなって感じです」
内の「完コピ」は決して形だけではない。話題のデビューから2週間後にはプロ初勝利を挙げ、楽天の中継ぎとして12試合に登板し1勝1敗、防御率1.38(5月22日現在)。日を追うごとにベンチからの信頼を高めている。
【本格的な投手転向は高校1年秋】ドラフト6位。高卒3年目の21歳は、今まさにシンデレラストーリーの扉を開こうとしている。だが内からしてみれば、今の景色は初めから描けたものではなかった。
「まったく想像できなかったっすね。プロにはなりたいと思ってましたけど、その気持ちだけではなれないんだってわかっていたんで、『高卒から(プロに)入るのは無理かな』って」
内の心情も頷ける。そもそも、中学時代まではまともに投げてすらいなかった。所属していた北大阪ボーイズでは野手で、ピッチャーは練習試合でたまに投げる程度だった。この時にはすでに現在の190センチに迫るほどの長身となっていた内が、本格的にピッチャーを志したのは履正社の1年秋である。
全国でも屈指の強豪校に外野手として入り、それなりにバッティングを評価されながらもポジション転向の意志を告げると、当時の監督である岡田龍生(現・東洋大姫路高)や両親からも懐疑的な目を向けられたという。それでも決断したのは、「単純にピッチャーが好きだった」からだ。
「中学の時からやっていて楽しかったし、『やりたいな』ってずっと思っていて。現実に目を向けた時に厳しいっていうのは監督や両親からも言われましたけど、『それでもやりたい』って申し出ました」
高校からピッチャーに挑戦することは珍しいことではない。それよりも疑問があった。「なぜ、自分より10センチ以上も身長が低い山本を参考とするようになったのか?」ということだ。
本来ならば内と身長が近いダルビッシュ有や大谷翔平を目指すはずだし、実際にスタート地点はそうだった。肩甲骨や股関節の柔軟性を養うためのアプローチや、パフォーマンス向上を促す初動負荷トレーニングを行なっていたが、大きな成果をあげられなかった。それどころか、2年生の2019年に肩を故障してしまった。
【山本由伸を参考にした理由】好きで始めたピッチャーで挫折する。
「あぁ......野球ってしんどいなぁ」
絶望しかけた時期に出会った存在こそ、若手の有望株として台頭してきた山本だったのだ。
動画サイトに試合前練習で遠投する山本の映像があった。そのボールの軌道に、内は釘づけになった。
「投げ方っていうより球質にびっくりして。『軽く投げてあんなすごいの?』って。それから由伸さんのことをいろいろ調べまくって、トレーニングの動画とかを参考にしながら、見よう見まねでやってましたね」
その過程でたどり着いたのが、山本が師事するトレーナーが運営する接骨院だった。そこで内は、正しい体の使い方を学んだ。
技術的な指導は一切ない。重要だと説かれたのは、正しい姿勢と出力を高めるための呼吸だった。そこから体の仕組みを知り、「今の自分に合っている動作とは?」を探り、試行錯誤を繰り返していった。
「ピッチャーを始めた頃っていうのは、ただ単にトレーニングをしていただけだった。だから、ケガをしちゃって投げられなくなって。ウエイトにしても『筋肉をつけすぎるのはよくない』って、勝手なイメージだけで否定するんじゃなくて、自分の体を理解したうえで取り入れるのなら突き詰めるべきだと思います。接骨院で教わるようになってから、そういう考え方ができるようになりましたね」
純粋な探求心が、内の潜在能力を覚醒させる。高校3年の春を迎える頃には、球速が130キロ台から146キロまで飛躍したのである。
内が3年生となった2020年と言えば、新型コロナウイルスの感染拡大により甲子園での全国大会をはじめとする公式戦が軒並み中止となるなど、アピールの場がほぼ失われた不遇の年でもあった。そんななか、プロを目指す高校生による練習会に参加した内のピッチングがスカウトの目に留まる。
ドラフト会議で内を6位で指名した、楽天の評価はこうだった。
「体格がよく、馬力がある。将来が楽しみな投手」
期待されたのはあくまで将来性であり、内のプロでのキャリアは最初から順調ではなかった。1年目は二軍で2試合の登板に終わり、昨年にいたっては中継ぎとして15試合に投げ防御率8.49と、見栄えのする成績とはほど遠かった。
【劇的な変貌を遂げた2つの要因】そんな内が今シーズン、劇的な変貌を遂げられているのには、ふたつの過程がある。
ひとつは、ピッチングフォームのアップデートだ。今年の内を象徴する左足を摺り足気味に踏み込むそれは、山本を真似たのではなく、接骨院のトレーナーとつくり上げてきたのだと、彼は説明する。
「別に由伸さんを意識したり、接骨院の先生から『摺り足にしなさい』と指導されたりしたわけではなくて。体重移動のなかで前への推進力を出すために一番効率がよくて、リリースの時にもボールに力が伝わりやすかったのが、あのフォームだったんです」
プロ入り後にそのトレーナーを介して知り合った山本からも、自身と似ているフォームに対する言及はないという。内も技術的なアドバイスを請うこともなく、接骨院で顔を合わせれば世間話がほとんどなのだと笑う。
「野球のことも話しますけど、興味深い話とかはないっす(笑)。面倒見のいいお兄ちゃんって感じで、仲よくさせてもらってるって感じです」
そうはいっても、同じ人間に師事し、図らずも「完コピ」と世間から言われるほどピッチャーとして大きな共通点を持つ内の地盤は、徐々に固まりつつあるのは事実だ。
内にとって足りないものがあるとすれば経験であり、そこから裏づけられる自信だった。それを得るきっかけとなる試合を、内ははっきりと覚えている。3月19日、バンテリンドームでの中日とのオープン戦だ。
3−2とリードしていた5回一死一、二塁のピンチで2番手としてマウンドに上がった内は、二死後、一、三塁となった場面で、ビシエドを150キロの内角ストレートたった1球でサードゴロに打ちとったのである。
「『あっ!』って思いました。『この感じ、野球に入っていけてるな』って。ビシエドさんを打ちとった時に、今までは自分と戦っていたというか『しっかり相手と対戦できてるな』って思えたんですよね。あそこから、自信を持って投げられるようになりました」
一軍での1試合が内の経験値を豊かにする。
プロ初登板、初勝利。パフォーマンスが良好だった試合後に届く、山本からの「ナイスピー!」という短いメッセージも、内にとっては自信へのささやかな養分となった。
そういえば、山本もプロでのキャリアは中継ぎからのスタートだった。
高卒2年目の18年に32ホールドを挙げブレイクすると、翌年から先発に転向し21年、22年にピッチャーの最高栄誉である沢村賞に輝くなど日本を代表する右腕となった。
気が早いと知りながらもそんなことを告げると、内の頬が少し緩んだ。
「野球人生を見据えれば最終的にやりたいのは先発です。だけど、今はめちゃくちゃ中継ぎに魅力を感じていて......。緊張感のある場面で投げさせてもらえているんで、今は任されたところで結果を出したいですね。『中継ぎがダメだから先発に』っていうのは嫌です」
力強い言葉が、今を捉える。
「山本由伸の完コピ」と呼ばれようと、内は地に足をつけて自分の形を磨き、実績をつくる。