ロシアの原油をアジア市場に運ぶタンカー(写真・gettyimages)

4月中旬、IMFから立て続けに公表された世界経済見通し(WEO)や国際金融安定報告(GFSR)では今後、世界の経済・金融情勢を検討する上では地政学・地経学の考え方が重要になってくることが確認された。

政治的に距離の近い国に証券投資や直接投資、そして銀行融資などが厚めに配分され、そうではない国からは資本の巻き戻しが先行するという潮流が続いており、IMFはこうした状況が極まっていけば「世界がより貧しくなる」と憂いを示している。

実は同じ時期の4月12日、ECB(欧州中央銀行)も『A year of international trade diversion shaped by war, sanctions, and boycotts』と題した論説を発表し、IMF同様、地政学リスクの高まりが経済・金融情勢のあり方を各国にとって好ましくない方へ変容させていると論じている。これについて解説してみたい。

ロシアにライフラインを握られていた

2022年2月にロシアがウクライナに侵攻して以降、EU(欧州連合)やその友好国はロシアに対する機械類や輸送用機器などについて輸出制限に踏み切った。欧州の企業や家計はロシア企業との取引を縮小ないし凍結することに動き、現状ではEUおよびG7(主要7カ国)がロシア産石油の海上輸送を制限したり、取引価格に上限を設けたりするなどの踏み込んだ動きにも至っている。

これらの措置の結果、ロシアの対EUないし対世界との貿易関係は根本的な変化を迎えていることをECBは指摘する。

特にロシアがEUにとって重要な貿易パートナーであることは周知の事実であり、戦争前年の2021年に関して言えば、ユーロ圏が輸出する財の約3%がロシア向けであり、逆にユーロ圏が輸入する財の約5%がロシアからであった。

品目別に見れば、EUの原油輸入の25%、天然ガス輸入の40%、石炭輸入の50%をロシアが占めており、文字通り、ライフラインの過半を握られた状態にあった(そのハブとなっていたドイツには当時から批判があった)。

ユーロ圏とロシアの貿易取引は、輸出・輸入共に戦争開始を境に1年余りで半分になっている。こうした結果、双方の経済が脆弱性を抱えるようになったことは否めない。


しばしば耳目を引くロシアからEUへの天然ガス供給については、2023年2月までの間に戦前平均対比で90%以上が削減された状態にあり、EUはノルウェー、アルジェリア、アゼルバイジャンといった他国からの代替供給へシフトしている。

また、開戦後、EUが世界中から液化天然ガス(LNG)をかき集めており、2024年末までに2021年末対比で輸入能力が3割増強され、世界のLNG需要の1割を囲い込む見通しもある。

しかし、後述する通り、2023年中にエネルギー不足が解消するめどはたっていない。

なお、EUという大口顧客を失った分、ロシアの貿易取引も変わることになる。開戦直後、ロシアの輸入は対EUだけではなく対世界全体でも半減しているが、時が経つに連れ対ロシア制裁に加わっていない国々がロシアへの輸出を増やし、2023年初頭時点でロシアの対世界輸入は戦前の水準に戻っている。

ロシアはコスパの悪い財を買わざるをえない

ロシアの輸入の変化を最も特徴づけるのはやはり中国で、2023年1月時点でロシアの財輸入の半分が中国から来ている。しかし、ECBはロシアがサプライチェーンを再構築し、財輸入を回復させる一方、「回復した輸入の“質”が依然と同じものなのかどうかは不透明感がある」と指摘している。

というのも、ロシアはハイテク財輸入の多くを西欧に依存していた。言うまでもなく、それらの財は輸出が制限されているため、必然的に質の低い財への置き換えが進んでいるか、質が同じでもより高い財を買わされている恐れがある。

質の低い財や不必要にコストのかかる財で経済活動を強いられれば生産性は低下するので、ロシア経済の潜在成長率も押し下げられることになる。

片や、ロシアから世界への輸出も大きな変化を迎えているが、これも中国の存在が大きい。実はロシアの石油輸出は数量ベースでは戦後も増え続けている。これは輸出先をEUやG7から中国そしてトルコ、インド、中東アフリカなどに振り替えたことの結果だ。

「数量ベースでは」というのは、新しい顧客開拓のためにロシアは原油を廉価販売しているという実情があるためである。

具体的に、ロシアのウラル原油は2023年2月時点で1バレル平均48ドルの価格で取引されているが、これは世界の原油取引のベンチマークであるブレント原油の83ドルよりだいぶ低い。

また、天然ガスに関してはパイプラインの高額な補修が必要になるため代替販売が進んでおらず、なんとか中国向けに回したり、LNGを世界向けに放出したりして、減少分の相殺が図られている。

それでも2022年のロシアの天然ガス輸出は2021年対比で25%も低くなっており、EUを失った影響の大きさが見て取れる。

やはり地政学リスクは経済を脆弱にする

以上のような状況を踏まえれば、欧州企業による経済制裁や自主的なボイコットは両国貿易の在り方を劇的に変化させている。こうした事実には2面性がある。1つはロシアの視点、もう1つはユーロ圏の視点だ。

まずロシアから見れば、自国への制裁に賛成していない貿易相手国に依存せざるをえない状況が続くことを意味する。

上で見たように、その代表格が中国だ。しかし、特定国への貿易依存は当然、経済全体の脆弱性を増すことになる。例えば中国経済が弱体化すればそのままロシア経済も落ち込むことになる。

また、これまで資源の主な輸出先だったユーロ圏を代替する国・地域は本当の意味ではまだ見つかっていない。既述の通り、いくら数量ベースで取引を増やしても新規顧客を開拓するために価格ベースでは切り下げれば、国全体としては薄利多売を強いられているのも同じだ。

また、経済活動を営む上で必要となるハイテク財などの入手もままならないため、生産性の改善も見込めない。

もちろん、ダメージを被るのはユーロ圏も同じではある。2022年から2023年にかけてはたまたま暖冬に恵まれ助かったが、エネルギー調達という点に関し、ロシアから他の国・地域への代替はまだ完了していない。

EUはLNG調達を増やすことで脱ロシアを図ろうとしているが、LNG受け入れに必要な設備の準備には最短でも3年程度の単位で時間が必要になる(貯蔵タンクや気化装置を陸上建設するのに許認可含めて5年以上、より早い浮体式基地でも3年程度と言われる)。

2023年央に差し掛かってくれば2022年同様、今冬を念頭にしたエネルギー供給懸念が再び強まる可能性は高い。

「世界はより貧しくなる」

このようにEUとロシアの貿易を見るだけでも、地政学リスクの高まりを理由にして経済・金融面での制裁が相次ぐようになれば、必然的にグローバリゼーションの巻き戻し、いわばスローバリゼーションともいえる状況が強まり、「世界がより貧しくなる」方向へシフトしていくというIMFの読みは正しいように思えてくる。

ロシアのような資源大国を巻き込んだ世界経済の分断はエネルギーを中心とする供給制約を助長し、世界のインフレ圧力を押し上げる方に作用する。それが過去1年で世界が体感したことでもある。

今後、超長期的に見れば「景気が弱くなる→デフレ圧力が増す」という未来はありうる展開としても(実際、WEOの第2章ではそうしたテーマが議論されている)、より短い時間軸ではスタグフレーションの色合いを帯びながらの低成長を強いられる可能性が高いと考えられる。

地政学上の摩擦は経済合理性を考慮することなく持続するため、多くの国・地域が十分に貧しさを実感する状況に至らない限り、事態の収束へ動き始めることは期待しにくいのだろうか。

(唐鎌 大輔 : みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト)