あまりに山奥なので「四国のチベット」といわれる徳島県那賀町(なかちょう)の木頭(きとう)地区で、キックボクシングジムをオープンする計画が進んでいる。立役者は、IT企業の経営者と格闘技界のレジェンドだ。狙いはなにか。ジャーナリストの牧野洋さんがリポートする――。(第13回)

■『進撃の巨人』が連想されるキャンプ施設

ここは徳島県最奥にある「キャンプパーク木頭」。電子書籍国内最大手メディアドゥを率いる藤田恭嗣(やすし)(49歳)の肝いりで2018年にオープンしたグランピング施設だ。

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徳島県那賀町にあるグランピング施設「キャンプパーク木頭」 - 筆者提供

周囲は切り立つ山々で、目の前に清流が流れる。スタッフの一人が「ここにいると『進撃の巨人』を連想しませんか?」と話し掛けてきた。『進撃の巨人』とは、巨人と人類との戦いを描いた人気漫画のことだ。

確かに……。キャンプ場から上を見上げると、まるで無数の巨人ににらまれているような錯覚を覚える。それもそのはず、キャンプ場は西日本で2番目に高い剣山(つるぎさん)の南麓に位置しており、標高1000メートルを超える山々に囲まれているのだ。

2022年10月下旬、私はキャンプパーク木頭を訪れた。車で徳島空港から2時間半、高知空港から1時間半かかる。山道は狭く、対向車とのすれ違いも難しい箇所があちこちにある。まさに秘境である。

■この秘境にキックボクシングジム?

キャンプ場内では大勢のメディアドゥ社員が集まり、研修会に参加中だった。主催者は白いパーカーを着た社長の藤田。小柄ながら存在感がある。昼休憩中にインタビューに応じてキャンプパーク木頭の歴史を振り返り、最後に一つ提案してくれた。

「近くにキックボクシングジムがあるんです。まだ建設中ですけれども、帰りがけにぜひ立ち寄ってください」

にわかに信じられなかった。秘境にグランピング施設は分かるけれども、キックボクシングジムはあり得ない。聞き間違えたのか……。

「キックボクシングですか?」
「はい、そうです」

■元K-1王者の小比類巻選手がプロデュース

キックボクシングジムは今年7月に徳島県那賀町木頭地区――旧木頭村――でオープンする。正式名称は「小比類巻道場木頭支部」。そう、格闘技「K-1 WORLD MAX」で王者に3度輝いた小比類巻(こひるいまき)貴之がプロデュースするジムだ。

木頭の人口はいまや1000人を下回り、全体の6割が65歳以上の高齢者。過疎化と高齢化が同時進行する限界集落である。

大都会で若者向けにキックボクシングジムをオープンしても誰も驚かない。だが、超高齢化社会の縮図ともいえる山村が舞台となると話は別だ。誰もが「なぜ?」と不思議に思うだろう。

現地を訪ねたとき、キックボクシングジムが入る建物は足場で囲まれた状態にあり、建築資材はブルーシートで覆われていた。たまたま休日であったためか、作業員は1人も見当たらなかった。周囲には人影もなく閑散としていた。ここでシニア世代がキックボクシングに励む情景がどうにもイメージできなかった。

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今年7月のオープンに向け、建設中のキックボクシングジム - 筆者提供

■「限界集落にゲートボール」なら違和感ないが…

計画によれば、建物は木頭杉を使った2階建て。直線と曲線を組み合わせた斬新なデザインだ。1階は開放的なコミュニティースペース、2階はキックボクシング用のトレーニングスペース。コミュニティースペースにはいろりやカフェ、バーベキューエリアも用意されるという。

要するに、キックボクシングジムを中心とした複合施設が生まれるわけだ。静かな山奥に位置しているだけに、完成の暁には間違いなく人目を引くだろう。木頭再生プロジェクトの一つとして2020年、同じ木頭地区にオープンした「未来コンビニ」がそうであるように。

ただ、人目を引くからといって集客できるとは限らない。木頭はもちろんのこと那賀町全体でも本格的フィットネスジムは一つもない。複合施設は地元のお年寄りにとってどれだけ魅力的な存在になるのか、外部から若者を引き寄せる起爆剤にもなるのか、現段階では未知数だ。まずは社会実験的な位置付けになる。

現地の案内役を買って出てくれたのは、藤田と同じ高校に通っていた同郷の仁木(にき)基祐。地方創生のために藤田が設立した「木頭デザインホールディングス(KDH)」の執行役員を務めていた。

限界集落にゲートボールならともかく、キックボクシングはどういうことなのか。ニーズがあるのだろうか。仁木からは興味深い回答が得られた。

「お母さんに元気になってもらいという気持ちが出発点だったみたいですよ」

お母さんとは藤田の母親・示子(ときこ)のことだ。

■父親の死後に決めた三つの人生目標

第12回で書いたように、藤田にとってのロールモデルは1996年に永眠した父親・堅太郎である。基礎自治体の役人でありながら「起業家」として活躍。さらには、木頭の自然環境を守るためにすべてをささげ、最後には自分の命と引き換えにダム建設にストップをかけたのである。

これを受けて、藤田は人生目標として三つのことを決めた。一つ目は藤田家を復興すること、二つ目は木頭を再生すること、三つ目は母親を幸福にすること。キックボクシングと関係しているのは二つ目と三つ目、特に三つ目である。

ダム反対闘争の渦中に放り込まれた夫を支えていた示子。言うまでもなく彼女も反対闘争とは無縁ではいられなかった。ダム反対派と賛成派で村全体が二分されるなか、村立幼稚園園長を辞めた。子どもが大好きで、幼児教育を天職と思っていたにもかかわらず。

このダム騒動について描いた書籍『奇跡の村 木頭と柚子と命の物語』(KADOKAWA)によれば、きっかけは賛成派からの心無き批判だった。

「助役の家は夫婦で公務員じゃけん、この大不況でも金に困っとらんのや。せやからわしらの生活苦をのんきに眺めておれるんじゃ」

強まる一方の風当たりに立ち向かうためには早期退職するしかない、と示子は思った。夫が60歳で定年退職するまであと数年辛抱すれば、夫婦水入らず幸せな生活を送れるようになる……。

ところが、である。堅太郎は村のために定年延長し、志半ばで帰らぬ人となったのである。61歳だった。

■楽しそうにミット打ちをする母親の動画

藤田は言う。「大好きな仕事を諦めたうえ、最愛の伴侶まで失えば、誰でも大きな衝撃を受ける。だから僕は父親の代わりになって母親を支え、幸せにしてあげなければならないと思ったんです」

支えるとはどういうことなのか。藤田はシンプルに考えた。基本は二つ。一つは毎日母親に連絡を入れて「愛している」と伝えるということ、もう一つは毎月母親を呼び寄せて実際に会って話をするということ。これが20年以上続いた。

2020年に入って状況が一変した。新型コロナウイルスの感染拡大によって行動制限が課せられたためだ。母親は一人で家に閉じ込められる格好になり、活力を失って固形物も口に入れることができなくなった。やがて木頭の知り合いから「お母さん、最近元気ないけれども大丈夫?」という連絡が入るようになった。

そんななか、姉から一つの動画が送られてきた。動画の中では母親がミット打ちをしており、とても楽しそうに見えた。藤田は膝を打った。これだ!

当時、母親は徳島市内で2週間に1回のペースでスポーツマッサージを受けていた。トレーナーから「マッサージ前に血流を良くするために体を温めておきましょう」と言われ、ミット打ちを行っていたのである。

■出会いは経営者たちが拳を交える大会

藤田は健康のためにキックボクシングジムに通っている。個人指導に当たるトレーナーは格闘技界のレジェンド、小比類巻だ。

小比類巻は多くの経営者のトレーナーになり、経営者を対象にしたチャリティーイベント「エグゼクティブファイト武士道」もプロデュースしている。

「エグゼクティブファイト」はビジネスの第一線で活躍する経営者が拳を交える大会だ。「トレーニングだけでは物足りない。具体的な目標が欲しい」という要望に応える形で2020年にスタートした。

小比類巻と藤田の2人をつないだのも「エグゼクティブファイト」だった。応援のために大会会場に足を運んだ藤田は小比類巻に出会い、キックボクシングに魅せられた。その後、東京・恵比寿にある「小比類巻道場」の会員になった。

小比類巻はファイターとしての藤田をどう評価しているのか。

「経営者の方でもすごい人はいっぱいいます。その中でも藤田さんはずば抜けています。ミット打ちを続けていればだんだん疲れてきて、メンタルが落ちてくるものです。でも藤田さんは違います。目を開いてますます燃えるんですよ。仕事でも同じではないかと思っています」

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藤田社長、キャンプパーク木頭で - 筆者提供

■格闘技が苦手なのに見る見るうちに元気に

ミット打ちが楽しいならキックボクシングも楽しいはずだ、と藤田はにらんだ。母親が東京にやって来たタイミングで、小比類巻道場へ誘ってみた。

「母さん、これから小比類巻さんのジムに行く。一緒にどう?」
「行かない……絶対に行かない。私はお家におるから一人で行って」

母親は格闘技を苦手にしていた。大みそかに息子がテレビで格闘技の試合を見ていると、「そんなの見るのやめて!」と言うほどだった。

藤田は諦めなかった。

「見学だけでもいいから行こう」

結局、藤田親子は一緒に小比類巻道場へ向かった。

道場で親子を出迎えた小比類巻。息子の意図を感じ取ったのだろうか、当時82歳の母親を見て声を掛けた。

「せっかくいらしたのですから、ちょっとやってみませんか?」
「少しだけなら……」

小柄な母親はグローブを着け、身長180センチ以上のレジェンドを相手にトレーニングを始めた。最初は恐る恐る、徐々にテンポを上げていった。すると、見る見るうちに元気を取り戻した。

■「すごく気持ちがよくなって、シャキッとなりました」

昨年暮れにメディアドゥの東京本社に現れた彼女に感想を聞く機会を得られた。

「キックボクシングに出会えたそうですね?」
「一時期体調を悪くしていたときに始めました。今ではやる気満々です」

確かに彼女は活力に満ち溢れていた。笑顔を絶やさないし、背筋をピンと伸ばしてはきはきと話をする。とても84歳とは思えなかった。

「最初は嫌だと言ったんですけれども、やってみたらものすごく気持ちが良くなって、シャキッとなりました」

今では東京に行くたびに小比類巻道場へ足を運び、汗を流しているという。

■キックボクシングは高齢者にこそお勧め

小比類巻によれば、キックボクシングは高齢者にこそお勧めのスポーツだ。例えば「クロス運動」。左手で相手の左手にミット打ち、次に右手で相手の右手にミット打ち、最後に右足で膝蹴りをする。常に頭を使って動かなければならず、認知症防止を期待できるという。

確かに、多くのフィットネスジムは「ボディコンバット」と呼ばれる格闘技系プログラムを取り入れている。そこにはテコンドーやムエタイ、空手などと共にキックボクシングも含まれており、高齢者が参加するケースも珍しくなくなっている。

ちなみに、レジェンドにとって82歳の会員を指導するのは初めてだった。「それまで会員の最高齢は65歳、実家の青森でたまにミット打ちをする僕の母親を含めれば74歳。藤田さんのお母さんは断トツで最高齢です」

母親が楽しそうに体を動かす姿を見て、藤田は小比類巻に提案した。「道場の木頭支部を立ち上げましょう。僕が全面支援しますから」

その後、とんとん拍子で話が進み、2022年4月には小比類巻道場木頭支部の上棟式が開催された。藤田が代表を務めるKDHグループが施設全体の運営を担い、小比類巻道場門下生の平川雅大が道場長兼トレーナーとして指導に当たる。

小比類巻自身もオンライン講習を行うほか、毎月1回は木頭支部に足を運んで自ら指導する考えだ。

■トップアスリートの存在が刺激になる

高齢者相手であるならば、元キックボクシング王者がわざわざ出てこなくてもいいのではないか? 小比類巻は次のように説明する。

「同じ空間にトップアスリートがいると、誰もが刺激を受けます。例えば恵比寿の小比類巻道場にはプロ選手もいれば初心者もいます。周りにトップアスリートがいれば、お年寄りも元気をもらえるのではないでしょうか。だから、木頭支部にもプロ選手が定期的に行って指導する体制にします」

藤田と二人三脚で地方創生にも力を貸したいという。

「フィジカルだけではなくてメンタルも含めて日本を元気にしたい。人口の3分の1が高齢者になる時代です。高齢者が元気にならないと日本全体も元気にならない。藤田さんのお母さんがあれだけ元気になったのだから、やれるはずです。まずは木頭からスタート。キックボクシングを上手にやるカッコいいお年寄りたちに子どもたちが憧れる――こんな世界をつくりたいですね」

画像提供=KITO DESIGN HOLDINGS
小比類巻道場木頭支部を支える3人。左から平川支部長、藤田社長、小比類巻さん - 画像提供=KITO DESIGN HOLDINGS

■「人生100年時代」に健康寿命を延ばすには

これは、第7回で紹介した瀬戸内海に浮かぶ大崎下島(おおさきしもじま)の限界集落を舞台にして進む「まめなプロジェクト」と似ていないか。同プロジェクトは高齢者を元気にすることで「介護のない社会」を目指している。

藤田は東京で活躍するIT起業家であると同時に、地元で地域密着型ベンチャーを立ち上げたルーラル(田舎)起業家でもある。古里の木頭を再生するためには経済を活性化させるとともに、「人生100年時代」を念頭に健康寿命を延ばす必要があると考えている。

「高齢者が元気であり続けるには何が必要でしょうか。いろんな選択肢があります」と藤田は言う。「地方の魅力が高まって昔のように三世代同居が普通になれば、おじいちゃん・おばあちゃんが元気になります。キックボクシングジムで運動の機会が増えれば、やはりおじいちゃん・おばあちゃんが元気になります。いろんな選択肢をパッケージ化して実験してみたい」

自分自身の老後もすでに視野に入れている。

「10年後に僕は60歳になります。そのタイミングで経済界から足を洗うと決めています。そこで一番重要なのは、10年後に94歳になる母親が健康でいてくれるということ。次に重要なのは、住んで楽しいと思えるような環境を木頭につくるということ。今から設計しないと絶対に間に合いません」

限界集落とキックボクシングジムの組み合わせは常識破りだ。ある意味で未来コンビニ以上に。国や自治体には決してまねできないプロジェクトといえよう。(文中敬称略)

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牧野 洋(まきの・よう)
ジャーナリスト兼翻訳家
1960年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール修了。1983年、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員や編集委員を歴任し、2007年に独立。早稲田大学大学院ジャーナリズムスクール非常勤講師。著書に『福岡はすごい』(イースト新書)、『官報複合体』(河出文庫)、訳書に『トラブルメーカーズ(TROUBLE MAKERS)』(レスリー・バーリン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『マインドハッキング』(クリストファー・ワイリー著、新潮社)などがある。
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(ジャーナリスト兼翻訳家 牧野 洋)