『三宅裕司のいかすバンド天国』

 FLYING KIDS、BEGIN、人間椅子ほか、数多くの人気バンドを生んだ『いかすバンド天国』(TBS系)。本格派からイロモノまで、平成の音楽シーンに伝説を残したアーティストたちの今を直撃だい!

■イカ天ブームは、なぜ、起きたのか?

 1980年代、日本の音楽界ではBOOWY、レベッカ、バービーボーイズ、米米CLUBなどが人気を博し、第二次バンドブームを牽引していた。毎週末、原宿の歩行者天国では、あまたのアマチュアバンドがライブをおこない、10代、20代の若者を中心に、熱狂的なファンが声援を送っていた。

 そんなバンドブームに乗り、1989年(平成元年)2月『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)がスタートした。毎週、アマチュアバンド10組が出演し、審査員の投票により「イカ天キング」が誕生。キングが5週勝ち抜くと「グランドイカ天キング」という称号が付与された。司会はお笑いと音楽に精通した三宅裕司と、元気キャラ全開のタレント・相原勇だった。

『イカ天』に出演したアーティストたちは、誰もが皆、ヒット曲を量産したわけではない。にもかかわらず、テレビ局の広告塔に抜擢され、大手企業のCMに出演したり、ラジオのレギュラー番組が始まったり……。一大ブームを巻き起こしたのだった。『イカ天』で審査委員長を務めた音楽評論家の萩原健太さんが述懐する。

「番組に登場する10組のバンドは、ブッキングマネージャーのジャクソン井口さんが選んでいました。さまざまなジャンルのバンド、キャラクターが揃ったのは、彼の功績によるところが大きかったと思います」(萩原さん、以下同)

■プロの世界にはいないバンドを評価した

 演奏テクニック重視ではなく、流行りの音でなくてもいい。個性を表現するための音楽であれば『イカ天』の舞台に立つことができた。

「番組側がテレビのショーとして成立させるために選んだ個性派のバンドがいました。たとえば『カブキロックス』『ブラボー』『スイマーズ』など。見せることで成立するバンドもエンタテインメントとして大事にしていましたね。僕らはイカ天でプロを作りたかったわけではないので、プロの世界にはいないバンドを評価した。そういう人たちを応援したかった」

 当時、日本の音楽界においてバンド系は8ビートロックが主流だったが『イカ天』ではあまり見かけなかった。

「『FLYING KIDS』『BEGIN』『たま』の3組は『イカ天』がなくてもいつか世に出てきたバンドだったと思います。番組では、なるほど、この手があったか! というような新しい切り口を求めていました。

 審査員には、伊藤銀次さん、吉田建さんといったトップミュージシャンに加えて、編集者のグーフィ森さんやオペラ歌手の中島啓江さんがいてくれたので、レコード会社主催のオーディションと違って、多面的な評価になったのだと思います。『イカ天』は、YouTubeがなかったころのYouTubeみたいなものでした」

※イカ天バンドの人気曲を新録したCD『イカ天オムニバスアルバム2023』が発売中

写真・木村哲夫、長谷川 新