「新しい資本主義」の現在地は?(写真:Sean Kilpatrick/Bloomberg)

岸田文雄首相は、「検討おじさん」と呼ばれることが多くなった。あれをやろう、これをやろうと検討しながら、なかなか実行に移さない。このことは、「新しい資本主義」ほど当てはまるものはないだろう。

具体的には、1)日本の企業と国民間にある所得配分を是正することによって消費者の購買力を高める、2)日本が高度成長期のように多くの起業家を生み出すことで生産性上昇を加速させる、というどちらの計画についても、数カ月にわたる検討の末、政府は中途半端な姿勢を示している。

関係者によれば、岸田首相らはこれらの目標に対して真摯に取り組んでいるという。だが、同首相はどんな問題でも抵抗勢力に出会うと、たいてい引き下がってしまう。 本稿では前者の再配分について現在どのような状況にあるのか検証する。

法人税の負担率は下がっている

・法人税

20年以上にわたって、日本政府は日本の所得配分の偏りに大きな役割を果たしてきた。法人に対する税金を1994年の最高税率52%から現在の30.6%まで引き下げる一方で、消費税を通じて国民には増税してきた。これが、消費者の需要、つまりGDPの成長が鈍い主な理由の1つである。

データを見てみよう。1995年から2022年まで、非金融企業の税引き前利益はGDPの6%から17%近くまで急増している。それは、賃金の緊縮と金利の引き下げが重なったためである。しかし、その所得に対する税金の支払いは、1995年のGDP比3%から2022年には3.8%になると推定され、ほんの少ししか増えていない。

結果、税引き後の利益はGDPの2.2%から14%近くまで爆発的に増加した。つまり、税引き前利益が対GDP比で3倍になったのに対し、税引き後利益は6倍近くになったのである(下図参照)。


(出所:財務省、OECD) (注:2022年は財務省とOECDの1〜9月の実績をもとにした筆者による予想数値)

政府と経団連は、減税は設備投資と賃金の両方を押し上げると主張したが、どちらの約束も実現しなかった。実際、企業はペーパー投資(財テク)で眠っている資金をかき集めているので、所得税が2倍になったとしても、企業は賃金と設備投資を増やすのに十分すぎるほどの資金を持ってはいる。

実質的に、企業が実体経済から得ている資金は、再投資している資金を上回っており、政府は不況を避けるために慢性的な赤字支出を続けざるを得ない状況になっている。

法人税増税阻止に躍起

過去の法人税減税の一部を撤回することは、新しい資本主義を実現する最も簡単な方法の1つである。昨年5月、自民党税制調査会の匿名の委員は時事通信の取材に対し、「(法人税の)大幅な引き上げはできないが、日本の現状に合った構造改革を行う必要がある」と述べている。

このプロセスを始めるきっかけとなったのは、岸田首相が今後5年間で防衛費をGDPの2%に倍増させることを決定したことだ。法人税は、2021年に企業が支払う17兆円に対して、約4兆円の増税となる。

自民党税調の有力者である宮沢洋一氏は岸田首相のいとこであり、防衛費引き上げの財源として他の歳出の削減を望んでいた。しかし、そうした削減が十分でなければ、法人だけでなく富裕層への増税も検討すると同氏は10月、ロイターに語っている。

自民党と各省庁の抵抗勢力は、すぐに企業を擁護するようになった。経済産業省のある幹部は、11月筆者に「法人税増税阻止は経産省の最優先課題だ」と語った。このときの私の取材目的は、経産省の新興企業促進への取り組みについて話すことだったので、このことは示唆に富んでいた。

結局、政府は最終決定を先延ばしにして、財政赤字の拡大路線に逆戻りした。まず、4兆円のうち法人税増税で賄うのは、わずか7000億円という案が出された。残りは歳出削減と、福島原発事故の復興対策として予定されていた税収のシフトによって賄われる。

しかし、自民党税調は、最終決定は12月まで待ち、2024年から2027年の間に実施されるだろうと述べた。安倍派の幹部が、2022年の増税について、岸田首相は有権者の是非を問わなかったと話した際、岸田首相は2025年の衆議院選挙後まで増税の決定はないだろうと語った。側近はこの発言を「撤回」しようとしたが、結局のところ、最終的に何が行われるかは誰にもわからないというのが実情だ。

実質賃金と生産高の連動性が低い日本

・賃金

賃金抑制、つまり消費者の購買力の弱さは、日本の経済成長を阻む主犯だ。これについて岸田首相は正しい発言をしているが、問題を改善するための行動はほとんど示していない。

健全な市場経済では、時間当たり実質賃金は時間当たり生産高の伸びと連動して伸びるはずである。この連動性はほとんどの豊かな国で崩れているが、最もひどい格差が生じているのが日本である。

1997年から2017年までの20年間で、平均的な労働者は1時間当たりのGDPを28%多く生産したが、1時間当たりの実質報酬(賃金+手当)は3%減少した。OECDによれば、ここ数年になってようやく人手不足から賃金の回復が見られるようになった(下図参照)。

しかし、厚生労働省の発表によると、景気減速により残業代やパートタイマーの労働時間が減少したため、1カ月あたりの実質賃金は減り続けている。政府は今年の労使交渉で大幅な賃上げを実現したい考えだが、欧米の景気減速を受け、日本企業は慎重な姿勢に転じそうだ。


(出所: OECD)

これまでのところ、岸田首相による最も実質的な動きは、全国平均時給が1000円に達するよう、最低賃金を毎年2〜3%ずつ引き上げるという2010年以来の東京都の方針を継続していることである。昨年年8月、政府は最低賃金を3.3%引き上げ、961円にした。これは、2022年に比較可能な記録が始まって以来、最大の引き上げ幅となる。

最低賃金の引き上げは、最低賃金以下の賃金だけでなく、最低賃金より10〜15%高い賃金も助けるので、これは大きなインパクトがある。2014年のIMFの調査では、正規・非正規の労働者約1600万人(非管理職全体の30%)が時給1068円未満となっている。

日本が1000円の目標を達成し、さらにそれを上回れば、労働者は大きな利益を得ることになる。岸田首相は、1、2年後に1000円達成した場合の対応について、今のところ何も言っていない。

2021年12月に岸田内閣は、3〜4%以上の賃上げをした企業に与えられる臨時減税の水準を2年間だけ引き上げた。しかし、こうした税制優遇措置の歴史を見ると、企業は一時的な税制優遇の見返りとして、恒久的な賃上げを認めないことがわかる。

岸田首相は、前任者と同様、賃上げを企業に要請する以上のことは何もしていない。しかし、企業は首相の要請に応じて賃上げをするわけではない。労働者の交渉力、労働市場の需給状況、あるいは規制によって、そうせざるを得なくなった場合にのみ、賃上げを行うのである。

岸田首相は自らの権力が及ぶ分野では行動を起こしているが、権力が及ばない分野では行動を起こしていない。日本の法律ではすでに、男女間、正規・非正規間の同一労働同一賃金が義務付けられている。

企業の実態調査に後ろ向きな省庁

しかし、政府のどの機関も、この法律違反を調査し、違反者を起訴することを義務づけられていない。厚生労働省の労働監督官は、企業との契約の問題だと考えており、自ら動いて調査をすることをしない。官邸筋によると、岸田首相がこの件に関して何らかの指示を出したというが、詳細は不明である。厚労省にメールで問い合わせたが、現時点で回答はなく、この件について何か具体的な行動を起こしたと思わせる形跡はない。

そのうえ、一連の判決では、企業が"合理的な差別"を行うことを認めている。その結果、企業側は正規と非正規社員間で仕事の内容を少し変えるだけで、組織的に不平等な賃金を支払うことから逃れることができるのだ。本当の意味での同一労働同一賃金に強制力を持たせるには、政府が「同一労働」に関するよりよい基準を作り、裁判所の雇用者寄りのバイアスを克服することが必要である。

岸田首相は昨年12月に、成長と分配の好循環を実現する方法について、今月中に専門家との議論を開始したいと述べた。しかし、衆議院選挙を控えた2021年10月に、このテーマについて閣僚と学者、企業ロビーや労働組合の代表など民間人15人からなるいわゆる「新しい資本主義実現会議」を立ち上げてから、すでに15カ月が経過している。

日本の問題は、岸田首相が「検討」すべきアイデアがないことではなく、首相に既得権益を踏みにじるようなことをする政治的意志がないことである。

(リチャード・カッツ : 東洋経済 特約記者(在ニューヨーク))