都心であえて「風呂なし物件」を選ぶ若者が増えているという。経営コンサルタントの鈴木貴博さんは「たしかにミニマリズムは世界的なトレンドになっている。しかし日本においては、ミニマリズムでしか生き残れない時代が始まったと捉えたほうがいいのではないか」という――。
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■「ミニマリズム」な生活は幸せか

2016年に制作されて話題になった『ミニマリズム:本当に大切なもの』(監督:マット・ダベラ)というドキュメンタリー映画があります。

ジョシュアとライアンというふたりの若者が最小限のものしか持たずに最大限に豊な暮らしをするミニマリストの生き方を提唱します。持ち物は小さなスーツケースに入る荷物だけ。それで一台の車に乗ってアメリカ中を回りながらさまざまな人たちと交流しミニマリズムの生き方についてその理想を語る映画です。

まだ私たちの世界はそれとは真逆で、現代社会は消費社会であり、日々たくさんの商品を買い、たくさんの私物を所有しながら生活しています。この映画を見た直後、私は思い立って1年間、自分が着ている服をすべて365日間記録してみることにしました。

その結果、私は一日平均10アイテムの服を着用していることがわかりました。外出着、ルームウエア、下着を合わせた数です。1年間で一度でも着た服は合計で193アイテム。その合計金額は63万円。さらにその1年で新たに買ったのに一度も着ていない服が57アイテム、合計で13万円分もありました。

■今の若い世代は生まれた時からものに囲まれてきた

私の生き方はミニマリズムの考え方から見れば膨大な無駄がありそうです。同じテーマで2014年に刊行されて話題になった『フランス人は10着しか服を持たない』(だいわ文庫)という本があります。本当に上質で10年以上もつ厳選された服だけを所有する暮らしなら、ワードローブがぎゅうぎゅうになることもなくシンプルで芳醇な生活ができるものだというのです。

私の場合、10着は無理にせよ1年間の延べ着用回数の8割を占めるのはお気に入りの64アイテムに絞られます。家着や下着を除いた外出着だけに限れば25アイテムです。内訳はカジュアルウエアが上下合計で10着、仕事着が8着、ベルトが4本、靴が3足。言い換えれば理論上はそれだけでも生活は何とかなるわけです。

わたしのような昭和世代は生まれた当時の日本が貧しかったことから、それでも物欲というか少しでも贅沢な物を買わないと心のスキマが埋まらないものなのですが、若いZ世代の場合は生まれたときから世界には手に入る物があふれていることから、ここまで無駄に物が欲しいとは思わないようです。

■「風呂なし物件」はミニマリズムから来たものなのか

ここからが本題なのですが、Z世代を中心にミニマリストを志向する若者が増えているというニュースがあります。先月、日経新聞に掲載されてネットでも少なからずの話題になったのが「風呂なし物件、若者捉える」(2022年12月17日掲載)という記事でした。「昭和の時代をほうふつさせる「風呂なし」賃貸物件が、令和の若者の間で再び脚光を浴びている」という書き出しの世相記事です。

写真=iStock.com/Actogram
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都心であるにもかかわらず賃料は4万〜6万円。トイレはあっても風呂はないという古い下宿向けの賃貸物件を社会人になってからも好んで借りる若者が増えているというのです。そして節約よりもシンプルな暮らしをしたいという理由からそれを選ぶというわけです。彼らの持ち物は本当に最小限であり、おかげで部屋は広く使えています。

そして近隣には銭湯が2軒あるから仕事帰りに銭湯で汗を流して帰宅すればそれでミニマリストとしての生活は成立するのだといいます。とはいえ東京都では銭湯の数は激減していますから、今はよくてもこれからはどうかと思うのですが、スポーツジムやサウナ、ネットカフェなどシャワーが借りられる場所は逆に増えており、これから先も困ることはないといいます。

ミニマリストのもうひとつのコツで、冷蔵庫を持たないというアイデアがあります。不便なようで毎日、その日に消費し終わるものだけを買って家に帰る。一つひとつの食材は一見割高に見えても、廃棄食材が出ない分だけむしろ割安になるようです。

■「若者の貧困化」を美化するなという批判

ただネット上で論争になったのが、このようなトレンドは若者の貧困化を美化しているだけではないのかという議論です。

そもそも30年続く不況とデフレで若者の収入は減ってしまっていて、それが昨年の値上げラッシュでますます苦しくなってきているという経済事情があります。それを豊かに克服したいと考えれば、若者はミニマリストを志向するのが一番いい。因果関係としては貧困化が先にあって、それを解決する方法としてミニマリズムが脚光を浴びているのではないかという批判です。

ここは議論が難しいところで、そのような因果関係は少なからずある一方で、もうひとつの世界的なトレンドである持続可能な社会を目指すうえでは、日本人全体がミニマリズム志向へと舵を切る必要があることは事実です。

■「ミニマリズム」は消費を縮小させ、貧困が増大する

「大量の服を消費している経済評論家が何を言う!」と思うかもしれませんが、実は私も1年間、服の利用状況を記録し分析した後では、服はほとんど買わなくなりました。

少なくともこれからの10年間、今持っている服だけでほとんど暮らしていけますし、これから買うのは本当に気に入った服を10着だけでいいと思うようになりました。

むしろ因果関係を考えると今後問題になるのは、こういうことではないかと思います。

持続可能な社会を目指すうえで日本人はこれから先、老若男女問わずミニマリストを目指す人が増えたほうがいい。ただそのようなトレンドは本質的には消費の縮小を意味します。結果的に因果関係としてはそのことによって若者の貧困が増大するかもしれない。それで良いのかという話です。

若い人はご存じないと思いますが、1970年代の日本では地方から東京に上京した若者の多くが風呂なしの賃貸物件で暮らしていました。風呂だけでなくクーラーはもちろん暖房もまともにはない部屋で一人暮らしをするのが普通でした。

そこから日本が経済的に豊かになって、若者も快適なワンルームマンションに住めるようになったのが平成の時代。それがさらに巡ってふたたび令和の時代に木造のアパート暮らしが若者の標準に戻ってしまうのかどうか。その点がこれから先、社会問題としての論点になるのではないでしょうか。

■一人当たりGDPで劣った30年前のイタリア人の豊かさ

ちなみにそのような生活も必ずしも悪いとは言い切れません。30年ほど昔の議論で「イタリア人は貧しいのかそれとも幸せなのか」という議論がありました。イタリアは21世紀に入ってEUが発展するようになってから一人当たりGDPも3万5000ドルに増加しましたが、1990年当時は2万ドル前後と欧州の中でも比較的貧しい先進国でした。

ところが実際に当時イタリアに住んでいた日本人に言わせると、イタリア人は貧しくても日本人よりも人生が豊かだと言うのです。収入は少なくても休日は町に出て濃いコーヒーを味わい、ワインを飲みながら毎日イタリアンの食事を楽しみ、大勢でワイワイ騒ぎながら人生を語り、政治を語り、愛を語り、大声で歌い、そしてサッカーの試合を見てブラボーと叫ぶ。当時、GDPがはるかに高かった日本と比べてもイタリア人の生活の方が豊かではないかというのです。

その背景には2000年以上もの時間をかけて蓄積されてきたイタリアの社会インフラの豊かさがあったのだと思います。古いものではローマ時代からの石畳があり、築何百年の集合住宅にいまだに人が快適に住める。一人当たりGDPというフローの数字では貧しくとも、社会全体のストックを勘定にいれたらイタリアは豊かな国である。だから人々も豊かな気持ちで生活をしているのだというのが「イタリア人は幸せだ」という主張の論拠でした。

■日本も社会インフラは豊かになったが…

さて、そのようなイタリア人の一人当たりGDPが2万ドル前後だった時代はもう30年近い昔の話です。今ではIMF(国際通貨基金)が発表する世界の一人当たりGDPランキングで見ると日本が27位でイタリアは28位。イタリアはかなり裕福になり、私たち日本はかなり世界の中での地位を下げてきました。

写真=iStock.com/Vepar5
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一方でこの30年間で日本の社会インフラはかなり向上したことは事実です。少なくとも大都市であれば公共交通網は完成の域に達しましたし、スーパーやコンビニといった生活インフラはとても身近なところに存在しています。そこにスマートフォンという通信インフラが登場したことで地域間のインフラ格差も縮小しました。結果的に、コロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻、値上げラッシュという諸問題が表面化するまでは、多くの人にとって日本からは生活の不安はほとんどなくなりました。

インフラが資産となっている点は令和の日本は昭和よりも上なのですが、一方で一人当たりGDPというフローで見た場合の国民の豊かさに不安が頭をもたげる状況になっているわけです。

■コンビニやユニクロも「高くて手が出ない」

そこに昨年、値上げラッシュという新たな不安要素が加わりました。これまでコンビニとファストフードと百均とユニクロがあれば生活は成り立つと思っていた若者も、百均では満足できる商品は手に入らず、コンビニとユニクロは商品が高くて買えないという新しい現実に直面するようになったのです。

結果として若者が風呂なし物件を探さなければならなくなるというのが因果関係であれば、それはミニマリストがトレンドであるのではなく、ミニマリズムでしか生き残れない時代が始まったということになります。

つまりミニマリズムの志向から始まる豊かな人生なのか、ミニマリズムに追い込まれる貧しさの先の人生なのか、そのどちらが本当の社会トレンドなのかがこれからだんだんと明確になっていくことで、その是非が問われていくことになるのでしょう。2023年はどんな一年になるのでしょうか。

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鈴木 貴博(すずき・たかひろ)
経営コンサルタント
1962年生まれ、愛知県出身。東京大卒。ボストン コンサルティング グループなどを経て、2003年に百年コンサルティングを創業。著書に『日本経済 予言の書 2020年代、不安な未来の読み解き方』など。
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(経営コンサルタント 鈴木 貴博)