「2000年前」から「一帯一路」を実現していた中国
中国は新たなプラットフォーマーとなり、21世紀の覇権国家になるだろうか(写真:まちゃー/PIXTA)
資源大国ロシアと結合し、アジアインフラ投資銀行により「一帯一路」を掌握し、大英帝国のつくった手数料資本主義につながる香港を制圧し、アメリカのつくった国際機関をおさえようとしている中国。新たなプラットフォーマーとなり、21世紀の覇権国家になるだろうか。「金融」「物流」「移民」「情報」をテーマに西洋経済史を論じてきた『手数料と物流の経済全史』の著者・玉木俊明氏は、どのように同書で示唆しているのだろうか。中央教育審議会「社会・地理歴史・公民ワーキンググループ」委員も務めた磯谷正行氏が読み解く。
文明の形成からイスラームの拡大まで
『手数料と物流の経済全史』は、これまでも「金融」「物流」「移民」「情報」など、モノの生産よりも流通や移動を重視してきた経済史家の玉木俊明氏が、「『物流』を支配し『手数料』を徴収するプラットフォーム」に着目し、「プラットフォーマーこそが経済覇権を握る」との視点から世界史を再構成したものである。
第1部「文明の形成からイスラームの拡大まで」では、オリエント文明からギリシア・ローマ文明、イスラーム文明までの帝国の興亡が描かれている。
オリエント文明では、官僚制度を整備し成文法によって統治する「ハンムラビ法典」とアケメネス朝の「王の道」などのインフラ整備が重視され、これらがオリエント世界のプラットフォームとなった、としている。オリエント文明に触発されてギリシア文明も育ち、後年その辺境にあったマケドニアのアレクサンドロス大王がペルシアを征服しインダス川まで遠征するが、これもオリエント文明というプラットフォームの中のギリシア人の移動に過ぎなかった、としているのは私たちの西欧中心史観をゆさぶるのに十分である。
ローマ帝国の発展に貢献したのは、オリエントに足場をおくフェニキア人で、彼らのつくった通商国家カルタゴは地中海を1つの商業圏にまとめ、アルファベットを改良してローマに伝えた。ローマは、これらフェニキア人の遺産を帝国経済のプラットフォームとして流用し、「ローマの平和」を築いたといえる。
オリエント文明とローマ文明の両文明を継承したのがイスラーム文明で、8世紀のアッバース朝の時代から15世紀に至るユーラシア世界のプラットフォームはイスラーム教であった。偶像崇拝の禁止を徹底し一体性の強い社会をつくったイスラーム教は、他方で異宗教に寛容で、税金を払えば異教徒でも自由に経済活動ができ、「コーランか、剣か、貢納か」、の3択が許された。イスラーム教をプラットフォームにして経済社会は発展したのである。
中国の台頭と挑戦するヨーロッパ
第2部「中国の台頭と挑戦するヨーロッパ」では、元代までの中国の経済発展と明代以降の物流停滞の歴史が描かれる一方で、中世後半から近代にかけてのヨーロッパの興隆と「ヨーロッパによる逆転の世界史」が扱われる。
中国では、2000年前の秦や漢の時代から、国家主導で「低い手数料」で物流に参加できる社会が実現した。秦の始皇帝による文字や度量衡、貨幣の統一や郡県制の施行など一連の政策や漢の武帝による均輸・平準といった財政政策は、「EUができるはるか以前に単一市場が誕生した」のである。そして、この中華帝国から「シルクロード」が西域へ伸び、「海の道」を利用してローマ皇帝(大秦王安敦)の使節が交易を求めて中国を訪問しているのは、2000年前の「一帯一路」とも言える。国家が経済に介入し、経済成長を促すプラットフォームは、隋の始めた官僚育成装置としての科挙制や南北物流を担う大運河の建設により強固なものとなり、東シナ海から西域、さらにイスラーム世界に連なる経済圏が構築された。
宋の経済発展を受け継いだモンゴル帝国(元)では、駅伝制や交鈔(紙幣)の発行など経済システムが一層整備され、イスラーム世界のネットワークと結合したユーラシア大陸を環流する経済プラットフォームが形成されたのである。
しかし、中国は基本的に国家主導の経済であり、海外貿易ともいえる朝貢貿易体制は、国家の許可なしの船舶の海外渡航は禁じられていた(海禁政策)。そのため、明の鄭和による南海大遠征を最後に、その後の歴史展開の中でアジアとヨーロッパの海運力の差が生まれ、当時の世界最高水準の明の造船技術と航海術は錆び付き、アジア海域に参入してきたヨーロッパ諸国の後塵を拝することになるのである。
一方、「タタールの平和」の時代のヨーロッパ商業圏は、世界的にみると小さなものでしかなかった。しかし、ポルトガルは、アフリカ産の金を直接入手する努力の継続の中で偶然にもインドへの直接航路を発見し、このチャンスを生かしてポルトガルは、「アジア海域世界」へ武力を使いながら、積極的に参入していく。そして、これ以降、オランダ、イギリスと担い手は変わっていくが、ヨーロッパ側がアジア・ヨーロッパ間の物流を確保する機会が多くなり、ヨーロッパの覇権獲得の第一歩となっていくのである。ヨーロッパの船がアジア海域に参入したのに対し、中国の船が地中海の海域に進出したことは一度もなかったのである。
17世紀は「オランダの時代」といわれる。なぜ、この時代のアムステルダムが世界商業の覇権を握れたのか。それは、為替業務を行うアムステルダム振替銀行が設立されたが、都市の宗教的寛容性が確保され、カトリックやプロテスタントだけでなく、ユダヤ人やアルメニア人などのディアスポラが集まり、商業情報の流通や商人ネットワークの構築がなされたことがあげられる。
また、活版印刷術の普及により、商業手引書などが多数印刷・共有され、商業慣行の同質性が高まり、それが取引コストの低減やスタンダード化をもたらした。アムステルダムの宗教的寛容性が同質性のある国際商業のプラットフォームを作ったといえる。
イギリスは、17世紀の2度の政治革命を経て、保護貿易政策により自国の海運業を育て、長期の対外戦争に耐えうる財政制度を構築し、産業革命の成功により19世紀半ばには「世界の工場」となり、覇権国家になって以降自由貿易政策に転換したのである。
ヨーロッパの支配から新冷戦へ
第3部「ヨーロッパの支配から新冷戦へ」では、19世紀後半のイギリスの経済覇権、20世紀のアメリカの覇権と21世紀の中国の台頭について書かれている。
19世紀後半の「パクス・ブリタニカ」のイギリスは、工業力ではアメリカ、ドイツの後塵を拝することになるが、世界最大の海運国家で保険や電信の収入も多かった。国際決済の多くは、イギリス製の電信を用いて行われ、決済の1つひとつに多額の手数料(コミッション)収入が入り、イギリス以外の国の取引であっても、イギリス製の電信、船舶、さらには海上保険が用いられ、ロンドンの金融市場で決済された。世界の国々はイギリスのインフラを使うため、世界経済が成長し国際取引が増えることで、イギリスは「胴元」として「自動的に」収入を増加させることができたのである。
現在も、世界のタックスヘイブン(租税回避地)リストの35地域のうち22がイギリスに関係しているが、大英帝国時代の手数料資本主義が甦っているともいえる。
20世紀の2度の世界大戦を経て、世界経済の覇権は移動し「パクス・アメリカーナ」の時代となった。アメリカは、自国の経済力のみならず、自らがつくったIMFや世界銀行などの国際機関を後ろ盾として世界経済の覇権を握り、さらに世界に進出する多国籍企業も動員してプラットフォームを築きあげたのである。
21世紀に入って中国経済の躍進は著しい。ロシアやアフリカ諸国と結びついた「一帯一路」構想とそれを支えるアジアインフラ投資銀行により、アジアに人民元の「手数料」と「物流」のプラットフォームを作ろうとしている。また、制圧した香港を窓口にして、世界のタックスヘイブンの金融市場に介入したり、「一国主義」をとるアメリカに代わって国連機関を援助し自らの後ろ盾にしたりして、世界のプラットフォーマーを視野に入れている。中国は、世界史を再逆転し、21世紀の覇権国家になるだろうか。
本書は、物流を整備し経済ルールを設定したプラットフォーマーたる覇権国家を軸に世界経済史を再構成したものである。現代日本が、「テラ銭」を胴元に貢いでゲームに参加させてもらう側ではなく、「ゲームチェンジャー」になるにはどうすればいいのか。世界史にヒントはあり、本書はその一冊となりうるのである。
(磯谷 正行 : 愛知県立岡崎高等学校教諭、高大連携歴史教育研究会会長)