スマートウォッチが全盛の今、あえてアナログな高級時計を身につける男たちがいる。

世に言う、富裕層と呼ばれる高ステータスな男たちだ。

ときに権力を誇示するため、ときに資産性を見込んで、ときに芸術作品として、彼らは時計を愛でる。

ハイスペックな男にとって時計は、価値観や生き様を表す重要なアイテムなのだ。

この物語は、高級時計を持つ様々な男たちの人生譚である。

▶前回:「なんで俺が…?」慶應卒29歳商社マン。ハイスペなのに、女にモテない意外なワケ




Vol.3 飲食店経営者・幸雄(39歳)のセレブ過ぎる暮らし


「ねぇ、まだ奥さんに別居の話、してないの!?先週買ってくれた指輪は、婚約指輪じゃないの?」

東京タワーが一望できる麻布十番のペントハウスに、若い女性特有の金切り声が響く。

「落ち着けよ。指輪も銀座のGRAFFで、君が無理やり買わせたんじゃないか?」

「今年中には、別居するって約束して!」

幸雄の愛人である美里は、言いたいことだけを主張して、部屋から足早に出て行った。

ここは、幸雄が借りている別宅だ。名目上は仕事部屋となっているが、実のところは美里との逢瀬の場所となっていた。

美里との付き合いは、すでに1年になる。

はじめこそ可愛げがあったが、最近では幸雄をATMとしか考えていない彼女に、嫌気がさし始めていた。

幸雄は「ふぅ」と大きくため息をつき、カッシーナのベージュのソファに深く座った。

ガラステーブルの上には、幸雄が手掛けたオーガニックレストランの情報が掲載された雑誌が無造作に置いてある。

約10年前、幸雄は、まだ日本では珍しかったオーガニック食材をメインにした飲食店を展開し、大当たり。

その後、売却して得た資金を活用しながら次々に事業を展開し、莫大な富を築いた。

― 地位、金、女。俺は、男としてすべてを手に入れた。でも、満たされない…。

幸雄は、悩んでいた。


美里と言い合いになった数日後、幸雄は経営者仲間と船上パーティーを楽しんでいた。

幸雄は、誰が連れてきたかわからない美女たちを両脇に侍らせている。

「幸雄さんが着けてる時計、もしかしてリシャールですか?すご〜い!」

美女のひとりが、幸雄が着けている高級時計“リシャール・ミル”を目ざとく見つける。

この手の美女は、お金への嗅覚が鋭い。

船上で一番高価な時計、リシャール・ミルを着ける幸雄に狙いを定めて声をかけてきたのだろう。




リシャール・ミルの白いラバーバンドとスケルトンのフェイスは、幸雄の焼けた素肌によく映える。

「すごく高価なんでしょ?どうして大金を払ってまで高級時計を買うんですか?」

美女の言葉に驚きながらも、幸雄は答えた。

「たしか4,700万円くらいしたかな。なんで腕時計がそんな高いの?って思うでしょ。でもさ、リシャール・ミルオーナーにしかわからない世界があるんだよ」

現在は、店に行っても商品自体が購入できないほど希少なリシャール・ミル。

「本当に欲しいのか?買えるのか?」とプロの目線で見定められ、やっと購入希望者リストの最後に名前が載るのだ。

幸雄がリシャール・ミルRM038を購入をしたのは、約10年前。

若くして成功へと駆け上がっていた頃。事業売却に成功し、豊富な資金を手に入れた。

「何か自分を表現できるものが欲しい」と、リシャール・ミルオーナーの知人の紹介で銀座の店舗に足を踏み入れた。

そこには新素材を使用した、まさに“革新的”な超高級時計の数々。その中でひと際目立つ白いスケルトンの時計。

幸雄は、このRM038のプロゴルファーでも着けられる、超高級なのに超軽量という革新的な時計を自分の人生と重ねたのだった。

― 俺の人生、決してエリートでもないし、順風満帆でもないが、ここまでやってきた。まさに俺にぴったりの時計だ。

歴史がある時計ブランドこそ高級、という価値観に真っ向から抗い、時計業界に新風を吹かせた、シャール・ミルの革新的なコンセプトは幸雄にぴったりだった。

美女は「ふ〜ん」と、答えたきりで興味はないようだった。だが、幸雄は意に介さず自慢の時計を眺めてほほ笑んだ。




船上パーティーの後、幸雄は久々に妻と娘が待つ広尾の自宅へと帰ることにした。

高級な絨毯が敷き詰められた長い廊下を、幸雄は重い足取りで歩く。

そして、自宅の玄関扉の前に着くと、『よしっ!』と気合を入れて扉を開いた。

すると、すぐに妻の由香里が顔を出した。

「あら、珍しい。パパが帰ってきたわ。何週間ぶりかしら?」

由香里は幸雄とは目も合わさず、嫌味たっぷりのひと言を放つ。

幸雄は、彼女の華やかな容姿に惹かれて、猛アプローチをして結婚までこぎつけた。

だが、結婚してからは、そのときめきが薄れているのを幸雄は感じていた。

― 娘ができて、由香里は変わった。俺が憧れた女性ではなく、“母親”になってしまった。

幸雄は、それが自分勝手な考えであることは理解していた。

だが、現実を受け入れられずにいたこともあり、若い愛人をつくり、由香里からは距離を取るようになっていた。

「明日の夜、飲み会があるのよ。ゆめちゃんとお留守番お願いしてもいいかしら?」

「そんな急に無理だよ」

「はぁ?父親なんだから、たまには、あなたもパパらしいことをして」




「いってくるね〜」

翌日の夕方。

着飾った由香里は、足取りも軽く家を出ていった。

由香里が去った玄関には、まだ彼女がつけたパフュームの香りが微かに残っている。

その香りを嗅ぎながら、『由香里、今でもこの香りが好きなんだな』と昔の記憶が蘇る。彼女のことを考えたのは、いつぶりだろう。

そんなことをぼんやり考えると、「パパ―!おなかすいた〜」という声が、家中に響く。

現実に引き戻された幸雄は、一通りの娘の世話を済ます。

すべてを済ませた幸雄が左腕につけた時計を確認すると、針は深夜0時を越えていた。


時計の針は深夜1時をとうに過ぎ、そろそろ2時になろうかとしている。

だが、由香里が帰ってくる気配は一向にない。

『今どこにいるの?もう2時だけど』

LINEを送るも既読スルーの状態がずっと続いている。

幸雄はモヤモヤした気持ちを抱えたまま一睡もできず、朝を迎えた。

『ガチャッ』

早朝5時。玄関扉が開く音が聞こえた。ベッドから跳ね起き、すぐに幸雄は玄関へと向かった。

「朝帰り?昨日は誰と、どこにいっていたんだ!」

「どこにいようが、関係ないでしょ。私、全部わかってるんだから!」

由香里が酔いながら放ったひと言に、幸雄はたじろく。

なぜなら、幸雄の脳裏に美里の顔が浮かんだからだ。

― まさか、美里との関係がバレてる?




観念した幸雄は、ゆっくりと語り始めた。

「実は、1年前から付き合っている女がいるんだ。でも、別れるつもりだ。遊びが過ぎた、すまない」

幸雄は、すべてを白状した。不思議とすっきりとした気分になっている自分に、幸雄は気づく。

すると、由香里がため息交じりに続けた。

「社会的に成功したし、多少の遊びは目をつぶるわ。だけどこの先、あなたはどんな男になりたいの?」

由香里は淡々と言い放ち、ベッドルームへ入る。

由香里は、すべてを知って見逃していた。

だが、由香里も限界を感じ、抑えきれない感情が爆発した結果、今日の朝帰りへと繋がった。

それに気づいたとき、幸雄は彼女の器の大きさに驚かされた。

と同時に、“成功者は贅沢三昧で女遊びが当り前”と考えていたステレオタイプの自分を、心底くだらない男だと恥じた。

翌日、由香里は娘を連れて出て行った。



由香里と娘がいないリビングは、シーンとしていた。

今まではうるさいと感じていた娘の泣き声さえ、聴きたくてたまらない。

― あぁ、由香里はいつもこんな気持ちだったんだな。

幸雄は由香里と娘の笑った表情を思い浮かべながら、覚悟を決め、愛人の美里に一通のLINEを送った。

『美里、こんな別れ方ごめん。足りるかわからないけど、家賃1年分振り込んでおくよ』

幸雄は家賃という名目で、いわゆる手切れ金を美里の口座に振込んだ。結婚適齢期に差し掛かった愛人に対しての男としてのせめてものマナーだ。

『着信11件』

美里からの電話は鳴りやまない。「本当にごめん、さらに1年分の家賃を振り込むよ」というメッセージを送ると、やっと電話が鳴りやんだ。

― けじめはついた。由香里、もう戻ってきてくれよ。

弱気になった幸雄は、ドキドキしながら由香里に電話をかける。

『プルルル プルルル…』

コール音が10回ほど鳴ったが、彼女は出ない。

― やっぱり、まだ怒ってるよな…。

幸雄が電話を切ろうとした時『はい』と由香里の声が電話口から聞こえてきた。たった2日しか経っていなのに、なんだか懐かしく聞こえる。

『由香里、もう戻ってきてほしい。傷つけてごめん』

これで妻が戻ってくれるとは思わなかったが、こんな言葉しか出てこなかった。

『……』




「気持ちがいいわね」

逗子の高台にあるレストランで海を眺めながら、由香里は笑顔でワインを楽しんでいる。

幸雄の必死の説得や夫婦カウンセリングの効果もあり、ふたりの関係は修復できていた。

幸雄は会食も控えて、家族と過ごす時間をふやしていた。

― 由香里は海が好きだから、海沿いに来ると笑顔が増すんだよな。

今までは男の欲望に忠実な生き方をしていた幸雄。

― これからは見栄や虚栄の世界よりも、“本当の幸せ”を手に入れよう。

そして、落ちていく夕日と家族を眺める幸雄の手には、男としての幸せを求めていた時に購入した、リシャール・ミル。

― この時計をつけていると、夫、父としての自信を感じられる。

家族の幸せを考えるようになった幸雄の腕で、革新的なリシャール・ミルが家族での新たな“時”を刻んでいた。

▶前回:「なんで俺が…?」慶應卒29歳商社マン。ハイスペなのに、女にモテない意外なワケ

▶1話目はこちら:「いかにもって感じ」高級時計を愛用する男に女性が痛烈な言葉を浴びせたワケ

▶NEXT:10月27日 木曜更新予定
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