世界の格差を解消するためにはどうすればよいのでしょうか(写真:thicha/PIXTA)

経済的な繁栄は世界の一部にとどまり、今なお国家間に深刻な経済格差があります。先進国はこれまでさまざまな政策提言を行い、改革を実行するために世界銀行や国際通貨基金(IMF)などが多大な努力をしたにもかかわらず、期待していたほど成果は上がっていません。いったいなぜなのか、格差解消のためにはどうすればいいのか。ノーベル賞候補にも挙げられるブラウン大学のオデッド・ガロー教授が格差軽減に向けた指針を示します。

※本稿はガロー氏の著書『格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか』から一部抜粋・再構成したものです。

第二次世界大戦後、太平洋上のタンナという小さな島に軍用飛行場に似た施設がいくつか造られた。飛行機があり、滑走路があり、監視塔があり、司令部や食堂もあった。だが、それらはどれ1つとして本物ではなかった。

飛行機は、中をくりぬいた木の幹で作られていたし、滑走路は離着陸に使うには長さが足りず、葦で造られた監視塔には木彫りの監視装置が置かれ、光を放っているのは松明だけだった。これらのまがいものの飛行場には一機の飛行機も着陸したことがなかったが、島民のなかには、ここで航空管制官のふりをする者もいれば、銃の代わりに木の枝を担いで行進のまねごとをする者もいた。

戦争は、タンナ島をはじめ、太平洋に浮かぶメラネシアの島々の先住民に深い印象を残した。人々は戦争の間、日本やアメリカの工業力を目の当たりにした。島の上空では日本軍やアメリカ軍の飛行機が高速で飛び交い、まわりの海では軍艦同士が大砲を撃ちあい、島には兵隊によって基地が造られた。

なかでも長年忘れがたい強烈な印象を与えたのは、異邦人たちがもたらした豊富な積み荷だった。缶詰の食品の箱があり、医療品の箱や、衣類の箱や、島民がそれまでほとんど見たことのないさまざまな品を詰めた箱があった。

終戦後に島民たちが再現

戦争が終わり、兵隊が帰郷すると、これらの恵みの源泉が枯渇した。そこで、近代的な製造工程など知る由もない島民たちはこの富の起源を突きとめようとして、富に付随していたものや習慣の一部を再現した。

それは、兵隊たちがもち込んだもの、つまり島民が物質的な富や精神的な富、平等や政治的自律と受けとめたものが島に戻り、再び島に恩恵を与えるのを願ってのことだった(祖先や神が豊富な文明の利器を船や飛行機でもたらすという、メラネシアに広がるいわゆる「カーゴ・カルト(積み荷信仰)」の一変種)。

貧しい国々を発展させるための西側諸国の政策提言は、タンナ島の人々が行った「復活の儀式」と大差がないことがあまりに多い。

その中身は、先進国の経済の繁栄に関連する制度を表面的にまねただけであり、彼らが富を生み出すのを可能にしている根本的な条件が正しく考慮されていない。しかも、そうした条件は貧しい国には存在しないかもしれないというのに。

とくに、発展途上国の貧困は主として不適切な経済や政治の施策の結果であり、したがって普遍的な一連の構造改革を実施すれば解消されるというのが、これまでずっと通念だった。

この思い込みは、根本的な誤解にもとづいていた。なぜなら、もっと根深い要因がそうした政策の有効性に与える重大な影響を無視しているからだ。効果的な方法をとるのであれば、そうした根源的な要因と取り組まなければならない。それらこそがいつもきまって成長の過程を妨げてきた原因であり、しばしば国ごとに大きく異なるというのが、その理由だ。

見当違いだった「ワシントン・コンセンサス」

こうした見当違いの取り組み方の有名な例が、「ワシントン・コンセンサス」だ。これは発展途上国のための政策提言であり、中心に据えられているのは貿易の自由化、国有企業の民営化、財産権の保護の充実、規制緩和、課税ベースの拡大〔課税対象を広範にすること。特に低所得者の負担増となる〕と限界税率の引き下げ〔課税対象額が1単位増したときに適用される税率を引き下げること。高所得者や高収益企業の減税となる〕だ。

このワシントン・コンセンサスに触発された改革を実行するために世界銀行や国際通貨基金(IMF)が1990年代に多大な努力をしたにもかかわらず、成功は限られ、期待していたほど成果を上げられなかった。

産業の民営化、貿易自由化、財産権保護などは、経済成長のための社会や文化の前提条件をすでに整えた国家にとっては成長につながる政策かもしれない。だが、これらの土台を欠いていたり、社会の結束が弱かったり、賄賂が横行していたりする環境では、そうした普遍的改革は実を結ばないことが多かった。

たとえどんなに効率的な改革であっても、貧しい国家を一夜で経済的に豊かな国に変えることはできない。なぜなら発展途上国と先進国の隔たりの多くは、何千年、何万年にわたる長い過程に根ざしているからだ。

遠い昔に生まれた制度や文化、地理、社会の特性は、それぞれの文明に独自の歴史の道筋をたどらせ、国同士の豊かさの格差を生んできた。経済の繁栄を助ける文化や制度を徐々に採用したり形成したりできることには議論の余地がない。

地理条件や多様性のさまざまな面から生じた障壁は減らすことが可能だろう。だが、各国が歴史の旅を続けるなかで現れた独自の特性を無視した介入は、格差を軽減しそうになく、逆に欲求不満や混乱や長引く停滞を引き起こす危険がある。

グローバル化と植民地化の非対称性が広げた格差

格差のおおもとを取り巻いているのが、グローバル化と植民地化の非対称の影響だ。グローバル化と植民地化は、西ヨーロッパの国々の工業化や発展のペースを速める一方、発展の遅れた国々が貧困の罠から逃れるのを遅らせた。世界の一部の地域では、既存の経済の不平等と政治の不平等を永続させるように作られた収奪的な植民地制度が持続したため、国家間の豊かさの格差をさらに広げることになった。

とはいえ、植民地時代の支配や搾取や非対称の貿易といったこれらの力は、植民地時代以前の不均等な発展にもとづいていた。政治と経済の制度にも、社会に浸透している文化規範にもすでに地域差があり、その差が発展の速さと、停滞から成長の時代への移行の時期を大きく左右した。

人類の歴史の重要な節目で制度改革が行われたり、異なる文化的特性が出現したりすると、それぞれの社会が別の成長の道を歩み始めることがあった。それでもランダムな出来事は、私たちの目には劇的で重大に映るかもしれないものの、人類の旅全体の中では束の間の、たいていは限られた役割しか果たしてこなかったし、過去数世紀のうちに国や地域間に経済の繁栄の差をもたらした主な要因だった可能性はきわめて低い。

初期の大文明がチグリスとユーフラテス、ナイル、揚子江、ガンジスといった大河周辺の肥沃な地帯で生まれたのは、けっして偶然ではない。歴史や制度や文化がランダムに発展しただけでは、水源から遠く離れた場所に古代の大都市が造られる引き金にはなりえなかっただろうし、雪と氷に覆われたシベリアの森の奥やサハラ砂漠の真ん中で革命的な農耕技術が発達することもありえなかったはずだ。

格差のおおもとでは、地理や遠い過去に根ざしたさらに深い要因が、世界の一部の地域では成長を促すような文化の特性や政治制度の出現をしばしば下支えし、別の地域では成長を阻むような文化の特性や政治制度の登場を後押しした。

中央アメリカなどでは、土地が大規模なプランテーションに適していたため、搾取や奴隷制度や不平等を特徴とする収奪的な政治制度が現れ、持続した。サハラ以南のアフリカをはじめとするその他の場所では、病気が蔓延しやすかったので農業や労働の生産性が上がらず、進んだ農業技術の導入や人口密度の低下、政治の中央集権化、長期的な繁栄が遅れた。

それにひきかえ、もっと幸運な地域では、恵まれた土壌や気候の特性のおかげで、発展につながるような文化の特性の出現が促され、協力や信頼、男女平等、強力な未来志向の考え方を重視する傾向が生まれた。

農業の技術で先行した強みを消した産業革命

1万2000年前の農業革命の黎明期に、生物がどれほど多様か、家畜化や栽培化ができる動植物がどれだけあったか、大陸がどういう方向に広がっていたかによって、狩猟採集型の部族から定住型の農業共同体への移行が早く起こった場所もあれば、遅れた場所もあった。

そして、ユーラシア大陸でも農業革命が早く起きた地域は、技術で先行することができ、その優位は産業革命が始まる前までずっと続いた。

しかし、ここが肝心なのだが、農業へ早く移行するのを助けた有益な力の数々は、産業革命以降は消えてなくなり、結局、今日の世界に見られる巨大な格差の形成にはわずかな影響しか及ぼしてこなかった。

農業への移行を早々に経験した社会は、現在非常に繁栄している国になるようには運命づけられていなかった。それは、農業へ特化したせいで、やがて都市化が妨げられ、技術面で先行した強みが帳消しになったからだ。

現在の繁栄の最も深い起源を突き詰めようとすると、すべてが始まった時点、つまり今から何万年も前に人類が初めてアフリカから足を踏み出したときに行き着く。

その出アフリカの道筋によって部分的に決まった各社会の多様性の度合いは、人類史全体にわたって経済の繁栄に長期的な影響をもたらしてきた。そして、技術革新を誘発する「交雑」と社会の結束の両面でスイートスポットをうまく捉えた人口集団が、最も大きな恩恵を受けた。

普遍的な繁栄のカギを握るもの

ここ数十年で、かつて貧しかった国々にも急速に発展が広がり、成長を促すような文化や制度の特性が世界各地で導入され、発展途上国の成長に貢献してきた。


現代の輸送や医療技術や情報技術のおかげで、地理条件が経済の発展に及ぼす悪影響が減ったし、技術の進歩に弾みがついたおかげで、多様性が繁栄にもたらす潜在的な利益もさらに大きくなった。

もしこうした流れを、多様な社会では人々の結束を強めるのを可能にする政策に、均質な社会では知的な「他家受粉」の恩恵を受けるのを可能にする政策に、それぞれ結びつけたなら、現代に存在する豊かさの格差に、まさにその根本から取り組み始めることができるだろう。

今日、タンナ島には本物の空港がある。小学校には、ほとんどの子どもが通える。島民は携帯電話をもち、ヤスール火山や伝統文化に引かれて島を訪れる観光客はあとを絶たず、それが地元の経済に不可欠の収入をもたらしている。島が属するヴァヌアツ共和国の1人当たりの所得はまだごくささやかだが、それでもこの20年で倍以上になった。

国家の運命には歴史が長い影を落としているとはいえ、その運命はけっして石に刻まれたように変えようがないわけではない。人類の旅を支配してきた巨大な歯車が今も回り続けている以上、未来志向や教育や技術革新を促し、男女平等や多元主義、差異の尊重を進めるような方策こそが、普遍的な繁栄のカギを握っているのだ。

(オデッド・ガロー : ブラウン大学経済学教授)