前傾45°ダウンドラフトキャブ5バルブはV4エンジンの片バンクだった

1977年、第22回東京モーターショーに1台の衝撃的なマシンが参考出品された。
ヤマハYZR1000(OW34)。DOHC水冷90°V型4気筒エンジンにフューエルインジェクションを装備し、最高出力135PS、最高速度275km/hのプロトタイプの耐久レーサーだった。1970年にXS-1を発売し、4ストロークエンジン開発をスタートしたヤマハは、世界GPで2ストロークGPマシンで優秀性をアピールしてきたように、4ストロークマシンによる耐久レース参戦を計画。

1000cc・並列4気筒・DOHC・4バルブのレーシングエンジン開発プロジェクトは、まったく新しい90°V型4気筒エンジンへと進化、まさにヤマハの念願だった頂点クラスで世界が認めるパフォーマンスマシンをV4エンジンのイメージで確立しようとしていたのだ。

世界GP500ccクラスにも4ストで7バルブV4エンジンが開発途上だったそのとき

2ストロークGPマシンを凌駕する4ストV4は、気筒あたり4バルブから吸気3バルブ排気2バルブの5バルブが生まれ、吸気4バルブ排気3バルブの高回転高出力エンジンの究極にまで開発が及んだそのとき、すべてをストップする事態となった。
クルマの対米市場で不可能といわれた排気ガス規制のマスキー法をクリアすべく、CVCCエンジン開発へエンジニアを総動員していたホンダが、世界GP復帰宣言、そしてスーパースポーツの刷新を次々と展開。
その切り札が何と同じV4だったのだ。沈黙を破ったホンダは、この新しいV型エンジン開発を世界GPマシン(NR500)から市販スポーツで250cc(VT250F)にまで猛烈な勢いで一気に展開を繰り広げた。
最大のライバル、ホンダが切り札とするV4エンジンに、ヤマハが追随するカタチに見えてしまうV4頂点作戦のストーリーは、常にオリジナリティを大切に独自のフィロソフィを貫いてきたヤマハとして許容できない。
しかし、そこで培われたエンジン技術を何とか活かせないものか……ということで、その流れを汲んだのが前傾45°ダウンドラフト吸気の5バルブで並列4気筒のジェネシス・エンジンだったのである。

既に空冷Vツインが実用化され、V4エンジンも続いたがスーパースポーツではなくアメリカンクルーザーやVマックスのマッチョバイク

XV750 Special 1980年

XV1000 1980年

XVZ1200 1982年

VMX1200 1985年

ヤマハは既にエンジンをV型へと転換してく流れがスタートしていて、初代4スト大型バイクだったXS-1をアメリカン・チョッパースタイルとしたSpecialシリーズが成功を収めていたので1980年に空冷VツインのXV750 Specialが投入された。
さらにアメリカン・ラグジュアリークルーザーのXVZ1200が1982年にデビュー、完成度の高いV4と好評だったが、旗艦となるはずだったV4スーパースポーツの穴が空いたままのラインナップには、V4マッチョバイクのVマックスや4気筒ターボなど様々なカテゴリーが居並ぶ時期となっていた。

XJ650T 1982年

FJ1300 1983年

そして登場したジェネシスFZ750、ヤマハがこだわった前傾45°の意味は伝わらず頂点で肩を並べるのは先の世代へと繰り越された

FZ750 1985年

そんな曖昧模糊としたビッグバイクの領域に、遂にスーパースポーツFZ750が投入となった。
セールスキャッチはジェネシス・エンジン。前傾45°の5バルブ並列4気筒は確かに見たことのないレイアウトで、真上からストレートに吸気するいかにも効率の良さそうな構成は新鮮ではあったが、それがどれだけの重みがあるテクノロジーかについては、ほとんどのファンがピンとこないまま。
まさかの世界GPを目指したV4直系のストーリーとは気づくはずもない。前傾45°は90°V4の片バンクで、真上からのストレート吸気もVバンクの狭間で開発されたダウンドラフトキャブのフィードバック……知る由もなく評価の押し上げに繋がらなかったのは当然だろう。
ホンダからは1982年に予想通りV4エンジンのVF750系が登場、それは現在のスーパーバイクに相当するT.T.F1世界選手権でのRVF系へと発展、市販レーサーRC30を生み、ヤマハもFZ系エンジンは市販レーサーOW01誕生へと結ばれ、XS-1以来の長い道のりを経てようやく念願の4ストでも、パフォーマンスが世界トップクラスと肩を並べる座に位置することとなったのだ。

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