滋賀「呼吸器事件」で再審無罪となった西山美香さん(中央、写真:共同通信)

「呼吸器事件」をご記憶だろうか。滋賀県の湖東記念病院で男性入院患者が死亡し、呼吸器のチューブを抜いて殺害したとして、看護助手だった女性が殺人罪で逮捕・起訴されて懲役12年の有罪判決を受け、その後、2020年3月に再審無罪となった事件である。

再審無罪に中日新聞の調査報道が大きな影響を与えたことは一般にはあまり知られていないが、一連の取材プロセスを明かした『冤罪をほどく“供述弱者”とは誰か』(風媒社)はこのほど、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞に選ばれた。著者の秦 融(はた・とおる)氏は「冤罪は組織が作る、冤罪を解くカギは個人にある」という。その意味とは――。

司法判断に疑義を唱える報道は容易ではない

冤罪被害者となった西山美香さん(逮捕当時24)の実家は、滋賀県彦根市にある。中日新聞の編集委員だった秦 融氏が、大津支局の角雄記記者を伴って西山さん宅を訪ねたのは、2016年12月だった。

秦氏は当時、大型記者コラム「ニュースを問う」の担当デスク。秦氏は事前に、美香さんが獄中から出した家族宛ての手紙を角氏から示され、いくつか読んでいた。手紙は全部で350通あまり。封書1通につき便箋4〜5枚、多いものは10枚もある。

その手紙も「私は殺ろしていない」と切々と訴える内容だった。「殺ろして」の「ろ」が字余りになっているのも美香さんの特徴で、その熱心さや整合性から秦氏は「確かに無実かもしれない」と考えるようになった。

ところが、事件では原審で3回(地裁・高裁・最高裁)も有罪判決が出ている。第1次再審請求審の3回、第2次再審請求審の1審も敗訴。つまり、計7回の裁判で有罪を宣告されていた。

本人がいくら無実を訴えているとはいえ、その司法判断に疑義を唱える報道は容易ではない。しかも満期出所まで1年を切っている。この段階で自分たちに何ができるのか。そんな迷いを抱えての訪問だった。


秦 融(はた・とおる)/1961年愛知県生まれ。筑波大を卒業後、中日新聞入社。社会部デスク、カイロ支局長を経て、2013年3月から編集委員。2021年12月退社。2009年、連載「農は国の本なり」で農業ジャーナリスト賞。編集を担った大型コラム「ニュースを問う」欄では、呼吸器事件を調査報道し、連載「西山美香さんの手紙」で2019年早稲田ジャーナリズム大賞・草の根民主主義部門、2020年日本医学ジャーナリスト協会賞大賞を受賞(写真:本人提供)

「自宅に足を運ぶと、美香さんの父・輝男さんが出迎えてくれました。顔にシワが深く刻まれていて……。娘の無実を信じて12年間戦ってきた苦悩が表れていると思いました。脳梗塞を患った母・令子さんは車椅子。2人とも70歳過ぎです。

輝男さんはこう言いました。私が中学しか出ていないからいいようにされてしまった、と。令子さんは、警察は市民の味方だと思っていたのに娘をめちゃくちゃにされた、と。切々と訴える夫妻は本当に善良な、日々の生活を懸命に送っている人たちでした」(秦氏、以下同)


フロントラインプレス作成

両親の話をじっくりと聞いた秦氏は冤罪だという確信をいっそう強めたが、確定判決が出た事件について、「冤罪だ」と新聞が報じるのは容易なことではない。

「紙面化のためには新証拠が必要でした。手紙の山だけでは足りません。捜査の問題点の検証、虚偽自白に至るメカニズムの解明……。美香さんは発達障害で、捜査員に迎合して自白した可能性が強いと取材で判断したのですが、その鑑定も必要でした。美香さんの障害をどこまで報道できるか。この点が一番大きかった」

事件報道における客観報道=捜査当局による認定

350通あまりの手紙が存在しているのなら、その内容をそのまま報道すればよいのではないかと考えがちだが、「報道のハードルはそんなに低くない」と秦氏は言い切る。

「報道には“客観報道”という柱があります。では、客観報道とは何か。実は、事件報道においては、客観報道とは捜査当局による認定を指していました。つまり、公的機関がある事案をどのように見ているか、それが客観性の証しだったわけです。

呼吸器事件でいうと、裁判所は7回も美香さんに対して有罪を言い渡していた。捜査機関と裁判所が、曲がりなりにも証拠に基づいて7回も判決を下しているわけです。無実を訴える手紙の束があったとしても、それらを無視して『無実を訴えている人がいる』と報道できるでしょうか」

秦氏をリーダーとする取材班は、新証拠を求めて調査報道に着手した。7回の判決はいずれも、自白の任意性と信用性を認めている。再審開始を勝ち取るには、そのポイントを突き崩すしかない。

取材班は、美香さんの幼少時や日常の言動、さらには本人が法廷で「刑事を好きになって(虚偽の)自白をした」と述べていることなどに着目し、美香さんには「発達障害」があることを明らかにしようとした。

「発達障害」の証明で行き詰まった取材

最初に大きな手がかりをくれたのは、美香さんの出身中学校の恩師たちだった。恩師らは「今なら(美香さんは)発達障害だと考える」と明言し、取材は進んでいく。

ただし、美香さんの発達障害を証明することは簡単ではなかった。美香さんの言動や行動履歴の資料を見た専門家からは「きちんと鑑定すれば、確実に発達の偏りが結果として出てくる」という指摘がいくつも出る一方で、「発達障害だけならウソはつかない。衝動的に殺してしまった可能性がある」との見解を示す専門家もいた。

「そこで取材は行き詰まりました。専門家のコメントは重要です。自分たちに都合のいいところだけを拝借して原稿にするようでは、ウソの供述で事件をでっち上げた警察と検事と変わりません」

もっとも、そうした専門家に用意した情報は、美香さんの成育・行動履歴のみ。虚偽自白と障害の関係についての見解を引き出すには、前提情報が不足していた。しかし、膨大な裁判資料を取材班と同じように読み込んでくれる専門家を探し出そうにも、すぐにあては見つからない。ピンチを救ったのは、絆と偶然だった。

「途方に暮れていたとき、私たちを救ってくれたのが新聞記者から精神科医に転身していた小出将則君でした。1984年に私と一緒に中日新聞に入社した同期です。7年後に退社し、信州大学医学部に進学。精神科の医師になっていました。実は、小出医師は発達障害の専門家であり、彼こそが美香さんの件で鑑定者として妥当な立場にいたのです」

小出医師は、手紙のやりとりや刑務所内での面会を通じて美香さんと接触を重ね、「発達障害のほかに軽度知的障害と愛着障害の可能性がある」と指摘。新証拠となる鑑定への道を切り開いていく。

湖東記念病院での事件は、入院男性の死亡が見つかった際、第一発見者の看護師が「呼吸器のチューブが外れていた」と警察に供述したことが発端だった。警察は自然死の疑いを考慮せず、看護師の供述が虚偽だったことがわかった後も「事件化」に向けて突き進んだ。ところが公判においても、呼吸器の「管の外れ」によるもの、とされた司法解剖鑑定書が検証された形跡がない。

「検察官や裁判官が鑑定書をちゃんと読めば、窒息死の原因として明記された『管の外れ』は他の証拠と矛盾に満ちたものであることは容易に発見できたはず。ところがそうはならなかった。原審から計7回の裁判で裁判官席に座った24人もの裁判官が、ただ漫然と見逃し続けました。

裁判官たちは、刑事が作文した『殺した』という自白調書だけを信じ、美香さんがいくら無実を訴えても、まともに証拠を読もうとしなかったわけです。検察の主張に従ってさえいればいいという日本の刑事裁判の悪しき風習と、自白偏重主義にあぐらをかく裁判官たちの嘆かわしい実態を目の当たりにしました」

小出医師による鑑定で軽度知的障害などが判明

美香さんについては、2017年4月に刑務所で小出医師による鑑定が行われ、軽度知的障害とADHD(注意欠如多動症)、愛着障害があることが判明した。そして同年12月には再審開始が決定され、2020年3月に大津地裁で再審による無罪判決が出た。

「ニュースを問う」という大型特集でのキャンペーンが始まったのは、鑑定結果が出た後の2017年5月。それ以降、この欄での連載は40回を数え、矛盾に満ちた捜査とそれを見過ごしてきた検察・裁判所に焦点を当てた報道を続けた。


秦氏の著書「冤罪をほどく “供述弱者”とは誰か」(風媒社)。2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞した(写真:フロントラインプレス)

取材班を率いた秦氏は一連の取材を通じ、日本の社会と報道に潜むいくつかの重要な問題と向き合った。1つは発達障害をめぐる社会のありようだ。

「発達障害の知識を共有できない社会が、どんな結果をもたらし、どんなふうに個人を苦しめているのか。その負の側面を示す好例でした。そうした人たちはいわば、本人も障害に気づかず、周囲にも気づかれにくい“グレーゾーン”と呼ばれる層にいます。そこに社会はきちんと向き合えていなかったわけです。

彼らが事件の被疑者として取り調べを受ける立場になってしまうと、迎合的になったり、虚偽を口にしたりしかねません。私たちはそれを“供述弱者”と名付けました。真実を自分の言葉でうまく伝えられない供述弱者は間違いなく存在する。

しかも密室で自白を強要する捜査は今も改まっていないため、障害のある人たちはひとたまりもありません。また、障害がなくても現在の捜査手法のもとでは、誰もが密室の中で供述弱者にされてしまうのです」

冤罪事件にマスコミが加担したことも否定できない

どうして冤罪事件が生まれるのか。

「冤罪事件は捜査機関がつくり出し、裁判所が認めてしまうことによる悲劇です。組織が冤罪をつくる。事件の見立てを組織で決めたら、絶対に曲げようとしない捜査手法や、高圧的な取り調べ。それが発端です。呼吸器事件に顕著なように、組織が誤った方向に進んでいても組織内にブレーキをかける人はいないし、制度もありません。

冤罪事件にマスコミが加担してきたことも否定できません。私たち報道機関も記事にするときは必ず『当局』の見解を得なければならなかった。捜査権限のない記者が真実に迫る場合は、捜査機関を情報源としてそこに食い込むしかなかったからです。

しかし、それに甘んじてしまい、事件を検証するシステムを日本の報道機関は作ることができなかった。判決が出たら、それまでだった。単に警察から聞いた話をそのまま報道する。ただ判決が出た内容をそのまま報道する。疑問を持たず、何も考えず報道した結果が、呼吸器事件のような冤罪の悲劇でした」

秦氏は2021年12月に中日新聞社を退社し、現在はフリージャーナリストとして活動を始めている。今後も冤罪をテーマに取材を続けるという。

「昔と比べて、今はツールが高度化し、情報は入手しやすくなっています。マスコミの衰退も目立ち、産業としての先行きも危ぶまれています。そんななかで、組織の壁を超えて共同で取材する枠組みがあったら、埋もれた事実を明らかにできる事柄がたくさんあるはずです。そして新たな報道機関も生まれるのではないかと期待しています」

取材:板垣聡旨/高田昌幸=いずれもフロントラインプレス(Frontline Press)所属

(Frontline Press)