「誰が作ったとしても『交響曲HIROSHIMA』が好きならそれでいいじゃないか」~佐村河内事件をスクープしたノンフィクション作家・神山典士氏インタビュー - BLOGOS編集部
※この記事は2014年12月26日にBLOGOSで公開されたものです
今年世間を大きく騒がせたニュースの一つに、「“全聾”の作曲家・佐村河内守氏によるゴーストライター騒動」がある。“全聾”“被爆二世”という物語を背負った作曲家の楽曲が別の人間によって作られたことが明らかになり、メディアは連日この騒動を大きく取り上げることとなった。佐村河内氏は自身の虚構を、どのように築いていったのか。物語ではなく楽曲を評価するとはどのようなことなのか。今回の騒動の発端となるスクープを「週刊文春」誌上で発表し、ルポタージュ作品「ペテン師と天才 -佐村河内事件の全貌-」を上梓したばかりのノンフィクション作家・神山典士(こうやま・のりお)氏に話を聞いた。【永田正行、大谷広太(編集部)】
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「聴覚障害」「被爆二世」「クラシック音楽」という3つの迷宮
―現代音楽、クラシック音楽の曲の優劣を素人が判断するのは困難だと思います。神山さんは佐村河内氏の『交響曲第1番』(HIROSHIMA)を最初に聴いたとき、率直にどのように感じたのでしょうか?神山典士氏(以下、神山):大阪のホールで大友さん(※大友直人氏。東京文化会館の初代音楽監督を務めた経験もある指揮者)の指揮で聞いたのが最初だったと記憶しています。
僕もクラシックには素人みたいなものですから、とにかく通常の交響曲より長いし、圧倒されました。あの曲に「スター・ウォーズ」の要素が入っているなんて、言われるまではわからないですよね(※新垣氏は、この曲に「スター・ウォーズ」や「ウルトラマン」の要素をちりばめたと話している)。純粋にすごいなと。
僕もその時は佐村河内氏を「守さん、守さん」と呼んでいたし、彼も「ノリオさん、ノリオさん」とメールをやり取りする仲でしたから、素直に「彼が作ったのか。すごいな」という風には思っていました。
―音楽学者・野口剛夫氏によって佐村河内氏の作曲を疑う記事が「新潮45」に掲載されたりもしていましたが、もし佐村河内氏の弟子で義手のバイオリニストとして注目を集めた「みっくん」の両親からの告発がなければ、ゴーストライターを使っていたことに今でも気づくことができなかったのでしょうか?
神山:それはその通りかもしれません。
これは後から取材をして、やり取りを見直して初めてわかることなのですが、当時中学一年生だった「みっくん」の果たした役割は大きいと思います。彼女が、まだ虚構が明らかになる前の全盛期の佐村河内氏から「こうしろ、ああしろ」と指示されたことに対して、「ノー」と言い続けた。音楽の師匠であり、NHKスペシャルにも出演しているような有名人からの要求に対して「いやだ、それは出来ない」と言い続けたわけです。
そして、理不尽な要求を続ける佐村河内氏に対して、最終的に「大人は嘘つきだ」というメールを送るのですが、それは2013年の秋のこと。そのメールが、この事件が明るみになるきっかけとなりました。13歳の女の子が、大人からの理不尽な要求に対して心を折らなかったということが、今回こうやって佐村河内氏の嘘がばれることになった最大のポイントだったと思います。
―「鬼武者」に関わったゲーム関係者や音楽業界関係者の中には、事実を知っている人達もいたように思います。ただ、「耳に障害がある」「被爆2世」といった問題は非常にセンシティブなので疑義を挟みづらい。確たる証拠があったとしても神山さん自身、告発することに怖さを感じたことはなかったのでしょうか?
神山:もちろん、そういう気持ちもありました。僕自身、「みっくん」のコンサートを佐村河内氏と一緒に鑑賞している際に、「『チーン』という鐘がなりますね」という彼の一言を聞いたことがあったんです。その時は、「あぁ聞こえてるんだな」という風に思いました。 しかし、まさかゴーストライターがいるなんてことは考えなかった。
今回の本の中で、「佐村河内は3つの迷宮によって自身の虚構を強固なものにした」というような表現をしているのですが、「聴覚障害」「被爆二世」「クラシック音楽」それぞれの評価が難しいという性質を彼はうまく利用していた節があるんです。「聴覚障害」という迷宮は怪しいなと思っても、別のところには「被爆2世」という迷宮もある。また、専門家であっても楽曲に疑義を呈すのが難しい、「クラシック音楽」という迷宮もあるわけです。
―それが関係者の中には、薄々気づいていたり、疑っている人間がいながらも、18年間明るみにならなかった理由なのでしょうか。
神山:そうだと思います。例えばクラシックの演奏家に聞くと、「この超絶技巧は耳が聞こえない人間には無理だろう。誰か他に曲を書いている人間がいるんじゃないか」と思っていた人もいるようです。
また、レコード会社の人間に対しては、僕の知る限りでは2人、「あれは怪しいよ」と進言した人間がいます。しかし、日本コロムビア(※佐村河内氏の楽曲のCDの販売などを手掛けた)としては、もうお金をかけてスタジオ録音もしてしまっているので、たった一人、二人の人間が疑義を呈しただけでは、すべてをひっくり返すのは難しかったのでしょうね。
今回の本の冒頭に、チェーホフの「嘘をついても人は信じる。ただし、権威を持って語ることだ」という言葉を引用しています。佐村河内という人間は、自覚的か無意識かはわからないものの、これが非常に上手なんですよ。
佐村河内氏は、人の心をつかむ術、情熱、言葉を持っている
―佐村河内氏は、「『鬼武者』の音楽を担当して、それをオーケストラで演奏させる」という条件をゲーム会社に要求し、実現させています。著書の中で神山さんがプロデューサーとしての佐村河内氏の力量を評価する記述も出てきます。「全聾」や「被爆2世」という物語を除いたプロデューサーとしての力量については、どのようにお考えですか?神山:彼は、小さな実績を長きにわたって積み上げながら、ブランドを築いてきています。すべてが順調だったわけでもなく、途中で挫折もありました。当初は「現代典礼」というタイトルだった代表曲「交響曲第一番(HIROSHIMA)」は、完成後数年間、CD化されることはありませんでした。しかし、こうした挫折がありながら、あそこまで上り詰めたわけですから、その執念たるや、これはもう僕も素晴らしいとしか言いようがないと思います。
例えば、「鬼武者」のサウンドドラックの解説書には、作家の五木寛之さんの推薦コメントと美術家の横尾忠則さんの絵が掲載されています。これは、ある方の証言なので正しいかどうかわからないのですが、このコメントや絵は五木さんと横尾さんの事務所に一人で飛び込みで行ってもらってきたそうです。これはなかなかできることじゃありません。もし、本当に飛び込みで行って、著名人からコメントや作品を引き出したとするならば、人の心をつかむ術、情熱、言葉を持っているということですよね。
ただ、佐村河内氏がやったことは順番が全部逆なんです。例えば「交響曲第一番(HIROSHIMA)」という曲が生まれた時、それがゴースト作品であろうと曲が評価されて、メディアに取り上げられたり、報道されたり、自伝が出されるという流れならば問題はありません。
ところが、先ほどもいったように、あの曲はずっと埋もれたまま1度も演奏されず、CDにもなっていなかった。にもかかわらず、2007年に講談社から「交響曲第一番」という自伝が先に出てしまうわけです。あの本は、曲がまだ一度も演奏されず、「HIROSHIMA」というタイトルもついていないにも関わらず、「私は全聾です」という描写から始まる。佐村河内氏自身が、 伝説の作り方を逆転させているわけです。だからこそ、佐村河内ブランドは爆発的に広まったとも言えるのですが…。
―一部では「あれだけの指示書があるんだから佐村河内氏の貢献は結構大きいんじゃないか」といった意見もあるようですが、音楽的にはなんの意味もないのでしょうか?
神山:「あんなものがいくらあっても音楽なんて少しも出てこない」と新垣さんは証言しています。でも、読むだけで僕らは「なるほど」と納得してしまう部分があるんですよね。
例えば、僕とあなたが同じ指示書をもらって「はい、つくりましょう」となっても同じメロディは出てこないですよね。同じメロディが出てくるから楽譜として著作権が成立するわけです。ましてや、交響曲の楽譜は30段、240ページにも及ぶ分厚いものです。
これは聞いた話ですが、先日テレビに佐村河内氏が出演した際に、「ほら、こんなに指示書の束があるでしょ」と指示書がたくさんが映ったそうです。新垣さんが、僕らに見せてくれた以外のものがあったのかと思いましたが、どうやらそれはこの事件が発覚した後に新たに作って、「ほら新垣さん、こんなに君に指示をしてただろう」と送ってきたもののようなんです。
現在、佐村河内氏と新垣さんは、「ソナチネ」「ピアノソナタ」の2曲の著作権をめぐって裁判をしています。新垣さんは、この2曲の著作者人格権は自分のものだと主張していますが、佐村河内氏は共同著作権を主張している。そのアリバイ作りにどうも後から書き足したものを新垣さんに送ってきたらしいんですよね。「見たことないよ、こんなの」と彼は言っていました。
佐村河内氏は、番組の中で「これからは嘘をつきません」と話していたようですし、僕もそうなってほしいと思っていますが、まだ裁判やJASRACの権利関係で戦おうとしています。その裁判を優位に持っていきたいという思いがあるのかもしれないので、各メディアが彼を扱う時は非常に注意をしないと利用されてしまう可能性があるでしょう。
―新垣さんはどちらかというと、「できないことはないけれども、自分から何をやろう」という部分に欠けるという記述が著書の中にありましたが、この2人がもっと正しい出会い方をしていれば、クラシック音楽の世界に違う旋風を巻き起こすことが出来たと思いますか?
神山:今から“たられば”の話をしても仕方ないのですが、新垣さんの才能を最初に見出したのは佐村河内氏ですからね。いまでこそ、新垣さんも引く手あまたになっていますが、10年、15年前から高い能力をもっていたわけです。しかし、誰も新垣さんに作曲をお願いしようとは思わなかった。
何故かと言えば、本当に控えめな性格で自分から何かアピールするということがなかったからです。ただ、佐村河内氏はたまたま彼と出会い、才能に気づいて、どんどん仕事を発注した。「こいつだったら、こんな曲も書ける。こいつなら、この曲もいける。今度は74分のフルオーケストラだ」といったように、少しずつハードルをあげながら才能を引き出していったとも言えます。
先日、本物のクラシックの演奏家を両脇にして、真ん中に僕が座ってアンサンブル演奏をしてもらうという経験をしたのですが、これはすごく気持ちいいんですよね。天にも昇るような気持ちというか、全能感というか、こういう本質的な喜びが音楽にはあるんだなと改めて思いました。
佐村河内氏と出会うことがなければ、新垣さんは200人のオーケストラを前に指揮台に立つなんて経験をすることはなかったでしょう。佐村河内氏のおかげで、新垣さんは200名のフルオーケストラの前に立って、自分の作曲した楽曲を指揮するという経験をしたわけです。新垣さんは「音楽の徒」ですから、その喜びは何物にも代えがたいものがあったのではないでしょうか。素人でもうれしいのに、自分がつむいだメロディが、錚々たるメンバーによって演奏される。そういう喜びを佐村河内氏は新垣さんに与えながら、次々と仕事を発注していったんだと思います。
世間では、「お金でつられた」「弱みを握られた」あるいは「体の関係があったのか?」なんて言われていますが、新垣さんを動かしていたのは、とてもそんな下卑た理由じゃないと僕は思います。
-佐村河内氏と新垣さんの間で完結していれば、ここまで大きな問題にはならなかったかもしれません。そこに「被爆二世」や「全聾」「障害児との触れあい」といった過剰な物語をからめすぎたことによって破綻を迎えてしまったということなのでしょうか。
神山:18年間、嘘をつき通したわけですから、ある意味ペテン師としても精巧だった訳です。通常であれば、狭いクラシック業界の問題ですし、人が死んだわけでもなければ、ことに誰かを傷つけたわけでもないので、ここまで問題が大きくならずに済んだはずです。
しかし、彼は必要以上に物語をまとってしまい、その結果、障害児や被災地の子どもたちを巻き込むことになってしまった。そのことが新垣さんは許せなくて、最終的な破たんにつながっていくわけです。
また、「自分は全聾だ」と言った瞬間から、佐村河内氏は新垣さんに携帯電話を渡して、「電話は出来ないから、これからはメールでやりとりをしよう」と言いました。その結果、膨大なデータを証拠として残すことになってしまった。だから、今回の本の中でも、メールのやり取りを使って二人の関係を臨場感をもって再現できたんです。インタビューであれば、記憶も風化していますからあれほどリアルには書けません。これも佐村河内氏にしてみれば、皮肉な結果ですよね。
芸術作品に“物語”が付属するのはある種当然のこと
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神山:最初に言っておきたいのですが、もしあなたたち、あるいは僕自身がその大学教授の立場だったら簡単に騙されていたでしょうし、絶賛していたと思います。普通は、「番組でこの曲についてコメントしてくれ」「雑誌にコラム書いてくれ」と言われたら、「これは世間的に評価されているから取り上げるのだ」というバイアスが働きますからね。
また、物語と共に作品が存在するということは、音楽に限ったことではありません。例えば、ゴッホの絵画は彼の狂気に基づいて生まれた。ピカソの作品の裏には奔放な生活があった。一つの作品が生まれると、必ず人間はその周辺の物語、作った人はどういう生活、どういう家系から来る、どういう人間だったのかということを知りたがる。これは作品が芸術になるためには、ある意味で当然のプロセスだと思います。
その教授にしても、あの事件の後かなり苦しまれたとは思いますが、よくNHKスペシャルでの批評を聞いてみると、佐村河内氏のことは一言も誉めていません。「この曲はこういう構造で、この旋律が、古典的なクラシックの王道を踏んでいます」といった言い方はしていても、佐村河内氏自身については批評していないんです。なので、ここはやはり「音楽批評」と「人物批評」分けて考えないといけないと思います。
―神山さんは、新垣さんの最初の会見の時から“自分を含めたメディアも共犯者である”と繰り返し述べています。そうした視点が、いままでの一連の“佐村河内報道”にあったと思いますか?
神山:僕はフリーランスのちっぽけな存在ですから、自分で自分のことを律すればいいという立場です。しかし、大きな組織に属しているジャーナリストは、自分がどう考えていようが、組織がどういう動きをするかが前提にあるので、そこは非常に難しいですよね。
例えば、NHKスペシャルで佐村河内氏に利用される形になった石巻のまなみちゃんという少女がいますが、彼女の家にはNHKのお偉いさんがお詫びに来たそうです。しかし、担当ディレクターや佐村河内本人はいまだに来ていない。それでも組織としては、「謝罪はしました、これで水に流してください」ということになっているようです。
ですが、本来報道というのは、一人の人間、記者、ディレクター、ライターが一対一でやるものですから、間違ったことは自体は仕方ないにしても、その謝り方だけはしっかりしてほしいなと思います。まして、今回は子どもが巻き込まれていますから、「あのおじさん結局嘘つきだったね、でもうちには謝りに来ないね」というのは子供に対してまずいですよね。組織全体のことは、僕には手におえない質問ですが、そこはまずいと思います。
謝罪や訂正というのは本来弱い立場の人の視点でやるべきだと思います。NHKも「検証番組を流します」と言って、1~2か月後に放映しましたが、45分の番組のうち最後の7~8分だけでした。「こんなのでいいのかな」と思いましたよ。今回NHKが特にとても残念な報道をしたわけだから、もっとしっかり検証・謝罪してほしいですよね。
出版界にはゴーストライティングの“幸せな形”も存在する
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神山: 4月1日の朝日新聞に書かせてもらったのですが、僕自身もライターとして様々な著名人のゴーストライティングを行ってきました。新垣氏の告白を聞いたあと、「いや俺もゴーストライターじゃん」という思いは自分の中ではずっとわだかまりとしてあったんです。
ご指摘の通り、出版業界では一つのビジネスモデルになっているわけですから、別に悪いことだと思っているわけではありません。ただ、小説家、作家を名乗る人間の後ろにゴーストがいたら、これはまずいですよね。文章を専門としていないスポーツ選手、実業家、芸能人の裏にゴーストがいることは、暗黙の了解になっている部分もあるでしょう。
なので、今回のスピンアウト企画として、来年の3月をめどに「ゴーストライター文化論」という本を出そうと考えています。世の中的にも、「ゴーストライター」という言葉が改めて注目されているので、「出版界の現実はこうですよ」ということを伝えたいと思っています。
先程も指摘したように、新垣さんにしてみれば、たとえ人の名前で発表するにしても、作曲をすることで得られる音楽の喜びというのはあったわけです。僕らにしても、誰かの代作をやる時に、その人のことが本当に好きならば、すごく幸せな瞬間もありますから。
-その企画の中では、どんな事例が取り上げられているのですか?
神山:矢沢永吉氏の「成りあがり」という昔の本を取材しています。これは周知のことなのですが、この本は糸井重里氏が書いています。既に引退している担当編集者に当時のことを聞きました。
この本が企画された時、矢沢氏は28歳のノリノリの頃で、糸井氏も全国的には無名ですが業界では優秀だと評判でした。矢沢氏のファンだった担当編集がコンサートに通い詰めて、矢沢氏の言葉の魅力を伝えたいという思いから企画されたそうです。
いつもコンサート会場で見ている矢沢氏のファンはヤンキーばかりなので、「こいつらは本を読まないだろう」と考えた編集者は、短い文体で畳み掛けるように書ける奴は誰かと考えて糸井重里氏を指名しました。「糸井さん、これは文学じゃなくてコピーでいいから」と言って、矢沢氏に何回もインタビューをして作ったのが、「成りあがり」なんです。
これがもう売れに売れたのですが、印税方式ではなく買い切り契約だったため、糸井氏と表紙デザインを担当した浅葉克己氏という有名なデザイナーには当初の契約以上の金額は支払われないはずでした。しかし、あまりにも売れて申し訳ないからと担当編集が、「糸井さんも浅羽さんもこれから必ず成功する人だから、小学館としても買い切りは申し訳ないだろう」と社内で調整をして、改めて印税を発生させて二人に支払ったそうです。そんな編集者、今はいないでしょうね。
そういう幸せな成り立ちをするゴーストライティングの作品もあるわけですよ。矢沢永吉氏は、出来た本を最初読んだ時、「芥川賞とれるかな」と言ったらしいですよ(笑)。それぐらい三者三様に幸せになって、ちゃんと読者がつく作品もある。「成りあがり」の場合、「構成:糸井重里」というクレジットが入っているので、今回みたいな問題にはならなかったのですが。
-最後に、今回の事件から得られる教訓というのは、どういうものだとお考えですか?
神山:先程、物語を除いた音楽としてどうかという質問がありましたが、僕自身は、「佐村河内氏が作っていようが、新垣さんが作っていようが、『HIROSHIMA』という曲が好きなら好きでいいじゃない。『ソナチネ』が好きなら好きでいいじゃないか」と思うんです。
自分が選んだものの裏側にどんなことがあろうが、「僕は本当にこの音楽、この絵、この料理が好きなんだ」と。純粋に作品として好きなんだという覚悟というか、心構えが、必要なんじゃないかと思いますね。それはこの事件と出会わなくても必要だと思います。別に有名料理店で食べたから好きというのではなくて、その辺の定食屋で食べたものでも、美味しければいいじゃないかという自分の意志、世間に流されまいとする思いは、人間として一人一人が持つべきだと思います。
もう一つ、ジャーナリストとしては「すべてを疑え」ということが鉄則なのだと思います。記者会見などでも、大手メディアの記者が質問した後で、たった一人でまったく違う質問をするのは難しかったりしますよね。今までの流れと違うことをするのは、すごく変わり者に見えてしまうし、孤独になってしまう瞬間があります。でも、勇気を持って、それを恐れていてはいけないんだと、改めて今回思いました。
ジャーナリスト一人一人も、改めて孤独になる覚悟とがんばりが試されていると思います。
プロフィール
神山典士(こうやま・のりお)1960年、埼玉県入間市生まれ。1984年、信州大学人文学部心理学科卒業。1996年、「ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝」で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞し、デビュー。2014年、週刊文春(2月13日号)に発表した佐村河内守のゴーストライター新垣隆氏への独占インタビュー記事「全聾の作曲家はペテン師だった!」で第45回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞。こうやまのりお名義で児童書も執筆。・「熱血」ライター神山典士がゆく - 公式サイト
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