井本直歩子さん(右)が日体大の伊藤雅充教授が女性エリートコーチを育成する理由について伺った【写真:中戸川知世】

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連載第2回「競泳アトランタ五輪代表・井本直歩子×日体大・伊藤雅充教授」後編

 競泳の元五輪代表選手で引退後は国連児童基金(ユニセフ)の職員として長く活動している井本直歩子さんの「THE ANSWER」対談連載。スポーツ界の要人、選手、指導者、専門家らを迎え、「スポーツとジェンダー」をテーマとして、様々な視点で“これまで”と“これから”を語る。第2回のゲストはスポーツ庁委託事業「女性エリートコーチ育成プログラム」を率いる日体大の伊藤雅充教授。

 スポーツ界の発展に不可欠なジェンダー平等のための、パズルの大きなピースが女性エリートコーチ育成。昨年の東京五輪で、日本選手団のコーチ全体に占める女性コーチの割合は約20%。状況改善には依然高い壁が立ちはだかる。伊藤雅充教授に、現状の課題と展望について聞いた。全3回の後編は、これからの女性コーチ育成に必要なことについて。(構成=長島 恭子)

 ◇ ◇ ◇

井本「伊藤先生がやられている女性エリートコーチ育成プログラムは、2016年度から数えて、現在で3期目です。リオ五輪後から、東京五輪に向けて女性コーチ(コーチ=監督・コーチなどの指導陣を指す)の育成に力を入れてきたとのことですが、冒頭で言われた通り、まだ数値上では目覚ましい変化は表れていません」

伊藤「女性のコーチとしての能力は、間違いなく上がっていると思います。しかし、数が増えていないというのは、プログラム以外の外部要因が大きいのではないかと考えます」

井本「今まで話してきたジェンダー・バイアスの問題以外に、どんな要因があるでしょうか」

伊藤「育った女性コーチたちを受け入れる土壌がないことも、大きな問題ではないかと考えます。ですから、女性コーチの能力を伸ばすと同時に、彼女たちが活躍をする土壌作りが非常に重要です。

 そのためにまず、リーダーシップ・ポジションにいる、男性たちの意識改革が必要です。彼らが女性コーチを増やすことの重要性を理解した上で、無意識で男性を選んでしまっていないかなど、男女分け隔てなく能力のある人を選んでいくマインドを作っていかなくてはいけない。世界的にも、そこ(意思決定層のアンコンシャスバイアス)に対するアプローチが必要だと言われています」

井本「私のこれまでの経験で言うと、ジェンダー問題を議論する際、大抵のトップ層の男性は、否定はしなくとも消極的です。そして女性の方に勢いがありすぎると、相手の男性がどんどん逃げてしまう。トップ層の男性をどう取り込むかに頭を悩まされます」

伊藤「はい。男性の間でよく飛び出すのが、『女性がいると、うるさいんだよね』『話、まとまらないんだよね』という言葉です。まさに、東京五輪前に問題となった、女性蔑視発言そのものです。こういった言葉は、忖度の連続をやるのが男たちの会議だと露呈していると思います。結局はその場で議論しようとせず、リーダーシップを持っている誰か『強い男性』の意見が通ればいいという考え。そしてボスである男性側も、そういう扱いやすい人間を集めたがる、という状況です。

『女性がいると、まとまらない』などと言っている人を見ると、結局は自分の意見を通したい人なんだろうなぁと、僕は思います。いろんな角度から議論して良いものを作ろうとせず、自分たちの意見を通すことが目的なんだな、と。そうやって、有能感を得ている、他の人よりも上の立場に立ちたい、思い通りに動かしたいという人は、結構多いんじゃないかな」

井本「そうですね」

伊藤「例えば会議でも、リーダーが、上がってくる意見をまとめて良くする道を探すのではなく、自分の意見を言い、反対する人がいたら機嫌悪くなったりしてね。このように、リーダーシップを取っている人がプレーヤーになってしまい、みんなの意見を尊重し、成長を支援する立場に立っていない場合は問題です。

 そういう意思決定のやり方に慣れてしまっている人が多くいる限り、異なる考えを持った女性を受け入れる流れは、なかなか起こらないかもしれません。『他の人よりも優位な立場に立ちたい』という気持ち、男性優位のマインドセットが、女性を対等な立場と認めることを、邪魔している気がします」

女性エリートコーチ育成、競泳・平井伯昌氏も「絶対大切」と賛同

井本「そういった文化は、本当に変えていかなければなりませんね。今後、女性エリートコーチ育成プログラムを、どういう方向性で進めていくのでしょうか」

伊藤「一番はやはり、競技連盟の関与を促すことだと思います。今回、2年間のプログラムをやってきて感じるのは、競技団体がどれだけ本気になれるかどうか。各競技団体の方と話をすると、個々の認識では女性コーチの育成の大切さを感じてはいるけれど、協会として大切だと考えているかどうかにはクエスチョンマークがつくと感じるんですね。女性コーチの能力が上がったとしても、実際に活用していくには、まだまだ障壁があると感じています。

 強化部門のトップの人が、女性コーチを増やすことが本当に必要だと考えている競技団体は、すごくうまく物事が動きますし、いろんな場面で支援もしてくださいます。一方、そうでない競技団体とは、やりとりをするだけでも結構、苦労をしています。我々が特に競技団体のトップの方々とのコミュニケーションを取らないことには、とても難しい」

井本「日本の競技団体レベルで、女性エリートコーチ育成を支援する動きはあるのでしょうか」

伊藤「東京五輪で競泳日本代表ヘッドコーチを務められた平井(伯昌)さんにお話をしたら、『絶対大切だよね』と賛同してくださり、今回、僕らのプログラムに競泳の女性コーチを2人、送り込んでくれています。それから東京パラのボッチャ日本代表監督の村上(光輝)監督もすごく積極的で、今回、2人推薦してくださった。この2競技が熱心ですね。

 我々は今後、各競技団体のなかにキーパーソンとなる仲間を増やし、競技横断的なネットワークを作っていくことが必要だと考えています。僕は今回、JPCの強化本部員になったので、競技団体の枠を越えてパラの女性コーチを増やすための対話をしていきたいと考えています」

井本「私もそういった競技横断的なスポーツ界全体のネットワーク作り、戦略作りはすごく重要だと考えています。女性コーチ育成でもそう、女性理事を増やすことでもそう。キーパーソンや競技団体が孤立しないよう、ネットワークで推し進めていかないとダメだと思うんです」

伊藤「そこは今、絶対にやらなければいけないところですね」

井本「日本オリンピック委員会(JOC)、日本スポーツ協会(JSPO)との関係はどうでしょうか」

伊藤「JOCとはナショナルコーチアカデミー(アスリートを育成・指導するワールドクラスのコーチ及びスタッフの養成を目的としたJOCの事業)などのプログラムとの連携が、非常に重要だと考えます。僕たちの女性エリートコーチ育成プログラムが、例えばナショナルコーチアカデミーのプログラムのどこに位置するのか、どう関係するのかを、きちんと示していかなくてはいけません。

 JSPOの方は、2年間の女性エリートコーチ育成プログラムを終了すると、競技別指導者資格コーチ3(JOCナショナルコーチアカデミー受講の推薦条件に該当)の資格が取れる体制が整いました。このように、うまく連携させていくことも今後の課題の一つです」

井本「私は常々、スポーツ界にジェンダー平等のための基本的な、そして大きなフレームワークがなくてはならないと思っています。そこに、女性指導者のこと、女性理事のこと、ライフサイクルにおける女性の競技環境のこと、アンコンシャスバイアスの解消などをすべて入れ込み、戦略を作り、組織横断的に進めていく。

 現在、スポーツ基本計画やヘルシンキ宣言はありますが、ジェンダー平等に関する政策やプロジェクトはバラバラにあって、繋がっていないばかりか、女性の問題として、一つのコーナーに固められがちですよね。もっとガバナンスの多様性推進として、最重要政策として進められるべきだと思うんです」

「私たちの問題」のはずが「女性たちの問題」と思われる現状

伊藤「Our problem(私たちの問題)として考えなければいけない、WE(私たち)にならなければいけないはずなのに、『女性たちの問題』だと思っているところがあります。ですから競技団体の方に、『女性コーチを育成し、能力の発揮できる土壌作りに取り組めば、競技そのものが絶対にもっと盛り上がりますよ』と言い続けなければいけない。

『女性たちのため』ではなく『自分たちのため』になるんだからやりましょう、というところまでに持っていきたいと思っています。これが今、僕たちが抱える一番大きな課題です」

井本「強化にも、育成にも、普及にも、全てにおいてジェンダーバランスを改善したら、もっと良くなるはずなのに、ジェンダー平等政策がメインストリームになれないのが本当に歯痒いですよね。ジェンダーの議論は隅に追いやられ、ガバナンスとか、強化委員会とか、普及委員会とかには入っていかない。本来は横断的に、全ての議論に入ってこなければいけない問題です」

伊藤「女性委員会を作る動きはありますが、その枠だけで議論が終わっているのが現状ですよね。他のところ、例えば指導者のところに、まったく話が来ていません。女性委員会での議論はもっと上の、例えば理事会レベルから全体に降りていき、各部会、委員会で話し合わなければいけないのに、とりあえず女性委員会を作っておく、という感じになっていると感じます」

井本「その通りですね。私、最終的には男性、女性って言いたくないんです。今、ジェンダー平等とか、スポーツ界の女性の地位向上を、などと口に出すと、フェミニストだとカテゴライズされるのが嫌なんですよね。でも今は平等じゃないから言わざるを得ない」

伊藤「それはなぜ、理事会などの意思決定層に、女性理事クオータ制を採用しなければいけないのか、というのと同じ話ですよね。今はそうしないと、女性の数が男性に全然追いつかないからやる。ずっとやらなければいけないのではなく、そもそもあるバイアスをなくしていくためのプロセスであり、将来的にはクオータ制がなくても平等になるよう、今は必要なんです、ということです」

井本「今日は男性の伊藤先生に、私たちが普段思っていることを思いっきり代弁して頂いたのでスカッとしました。みんなが幸せになるために、ジェンダー平等を、男性が先頭に立って進めなければならない。そういう男性がもっともっと増えますように。今日は本当にありがとうございました」

■伊藤 雅充

 日体大体育学部教授、博士(学術)、コーチングエクセレンスセンター長。愛媛県出身。2001年3月に東大大学院総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系で博士号取得。2008年4月より日体大准教授、2017年4月から現職。選手本位の「アスリートセンタード・コーチング」のモデル策定に取り組み、コーチングの発展・普及、コーチ教育などに取り組んでいる。国際コーチングエクセレンス評議会コーチング学位基準策定委員、日本体育協会モデル・コア・カリキュラム作成ワーキンググループ委員、日本スポーツ協会公認スポーツ指導者制度検討プロジェクト委員などを歴任。スポーツ庁委託事業女性アスリートの育成・支援プロジェクト「女性エリートコーチ育成プログラム」の運営責任者。

■井本 直歩子

 大阪府出身。近大附中2年時、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50m自由形で銅メダルを獲得。1994年広島アジア大会同種目で優勝。1996年アトランタ五輪に出場。千葉すず、山野井絵理、三宅愛子と組んだ4×200mリレーで4位入賞。2000年に現役引退はスポーツライター、橋本聖子参議院議員の秘書を務めた後、国際協力機構を経て、2007年から国連児童基金職員に。2021年1月、ユニセフを休職して帰国。3月、東京2020組織委員会ジェンダー平等推進チームアドバイザーに就任。6月、社団法人「SDGs in Sports」を立ち上げ、アスリートやスポーツ関係者の勉強会を実施している。

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。