大量失点なのにまさかの「自責ゼロ」…?驚きの“無責任投手”エピソード
◆ 千賀は失点6(自責0)で勝利投手に
「自責点」とは、投手が責任を持たなければならない得点のこと。
逆に責任を持たなくてよいケースというのは、味方のミスが絡んだ時。失策によって出塁した走者が得点した時、または塁上の走者が失策によって得点した時は、投手に自責点はつかない。
近年で言えば、ソフトバンクのエース・千賀滉大が2020年8月11日のオリックス戦で6点を失ったにも関わらず、自責点は0だったという珍事が記憶に新しい。
千賀は5回に内野ゴロの間に1点を失い、さらに適時打と満塁弾を浴びて1イニング6失点。しかし、先頭打者の出塁が失策だったことと、その後もうひとつ失策が絡み、1点目を失ったのが内野ゴロということで、本来であればアウトの機会が3度あったはず。そのため、それ以降の得点も自責点には入らないため、失点6(自責0)という珍しい結果となった。
ただし、世の中上には上がいるもの。この千賀以上に失点を重ねていたのに、自責点がつかなかったというケースも1度や2度ではなかった。
◆ 満塁弾を2発も浴びても“自責ゼロ”
まずは1イニングに2本の満塁弾を浴びたのに、自責点は0だったのがオリックス時代の吉井理人だ。
2007年4月1日の楽天戦。先発の吉井は0−0で迎えた3回二死満塁で、ホセ・フェルナンデスに先制の左越え満塁弾を許す。4点を失ったあと、安打と四死球で再び満塁のピンチを招くと、山崎武司にも左越えに満塁本塁打を浴びてしまった。
だが、この8失点で吉井は敗戦投手になったのに、自責点は0だった。
実は、最初のグランドスラムを献上する前の二死二塁で、高須洋介の三ゴロをグレッグ・ラロッカがお手玉。エラーが記録されていた。上でも少し触れているが、本来ならここで3アウトチェンジなので、以後の失点は吉井の責任にはならないというわけだ。
まさに「エイプリルフール」にふさわしい嘘みたいな話だったが、吉井は「エラーは関係ない。2本とも失投です」と自らのミスを認め、「ただ、(フェルナンデスに打たれたあと)四死球絡みで満塁までの過程が悪過ぎた。4点で止めとけば、今の打線なら逆転能力もあったのに…」と悔やむことしきりだった。
ちなみに、吉井以前にも、鈴木啓示(近鉄)や村田兆治(ロッテ)、高橋里志(広島)といったシーズン20勝以上経験者も、8失点の自責点0を記録したことがある。
◆ 1イニング10失点でも“自責点ゼロ”
ところが、さらに上には上がいる。2リーグ制がスタートした1950年には、大洋・林直明が彼らを上回るワースト記録を達成している。
6月7日の広島戦。2−8の4回から先発・片山博をリリーフした林は、5回に4点を失ったあと、2−12の7回には、先頭の辻井弘を二ゴロ、岩本章を中飛とたった2球で二死を取った。
そして、3人目の坂井豊司も初球を打って三直。3球で3アウトチェンジ…と思われた。
ところが、宮崎剛が落球したことから、まさかの“大どんでん返し”が起きる。
ここから1四球を挟んで3本塁打を含む8安打の滅多打ち。あっという間に10点を失ったが、宮崎のエラーがなければ無失点でイニング終了だったことから、セ・リーグ記録の1イニング10失点で自責点0という珍記録が誕生した。
この試合、林は6回を投げて被安打18の14失点で、これまたリーグ記録を達成。試合も2−22と大敗した。
◆ 自らのエラーが絡んでも“自責点ゼロ”
林や吉井の場合、いずれも野手のエラーの直後の大量失点。これで自責点が0になったのは、ルール上頷けるものがあるが、自らエラーを犯したにもかかわらず、自責点を免れてしまった“無責任男”も存在する。
その一人が、日本ハム時代の田中富生だ。
1985年4月25日の阪急戦。0−0の1回、先頭の福本豊に四球を許した田中は、盗塁と犠打で一死三塁のピンチを招いたあと、田村藤夫の捕逸で1点を失った。この失点は、もちろん田中の責任にはならないが、問題はそのあとだった。
直後、松永浩美に右越え二塁打を浴びた田中は、ジョー・ヒックスを四球で歩かせ、一死一・二塁から小林晋哉を投ゴロに打ち取ったが、お手玉して二死満塁のピンチを招いてしまう。
そして、次打者・山森雅文に中越え満塁本塁打を打たれ、計5失点。最初の1点はともかく、あとの4点は自らのエラーが絡んでいたのに、それでも自責点0。ルールの“盲点”とはいえ、どこか釈然としないものが残る。
この田中以上に“無責任”だったのが、阪急のレジェンド投手・山田久志である。
1983年8月9日の南海戦。初回に岡本圭右の右越え3ランなどで4点を失った山田は、松永の2ランで5−4と逆転してもらった直後の4回にも、ジム・ライトルに中越え同点ソロを浴びるなど、ピリッとしない。
そして5−5で迎えた8回、先頭の新井宏昌に右前安打を許した直後、一塁けん制球が左に大きくそれ、ボールが転々とする間に新井は三塁まで進んでしまう。
次打者・門田博光の左犠飛で1点を勝ち越されたが、自らのけん制悪送球が絡んでいたにもかかわらず、自責点は付かない。さらに、香川伸行と岡本に連打されたあと、岡義朗を投ゴロに仕留めたと思いきや、今度は一塁悪送球で二者の生還を許してしまう。
二死後、定岡智秋にも右前タイムリーを浴び、計4失点となったが、自責点は初回と4回の5点のみ。結果的に8回の4失点は致命傷となり、阪急は9回の松永の3ランも届かず、8−9で敗れた。
エースの背信のダブルチョンボに、上田利治監督は「怠慢プレーはいかん。こんな野球があるか!」とベンチのイスを蹴飛ばして大荒れ。山田も「けん制球はやめようと思ったんだが…。投ゴロの送球は、手が滑った」ときまりが悪そうだった。
ちなみにこの年、山田はリーグ4位の防御率3.32を記録しているが、この4点を自責点に置き換えると、3.49で8位になる。
数字に反映されなかったマイナス面をめぐり、契約更改担当者もさぞかし頭を悩ませたことだろう。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
【画像】そんなことある…?千賀が6回6失点(自責0)で勝利投手に
📰ソフトバンク👑
そんなことある…?
千賀が6回6失点(自責0)で勝利投手に
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✅ ほとんどのファンが“極上の投手戦”を予想した中、試合は不思議な大乱戦に…🧐#sbhawks pic.twitter.com/T00SkqF61k- ベースボールキング⚾🥎 (@BaseballkingJP) August 11, 2020
「自責点」とは、投手が責任を持たなければならない得点のこと。
逆に責任を持たなくてよいケースというのは、味方のミスが絡んだ時。失策によって出塁した走者が得点した時、または塁上の走者が失策によって得点した時は、投手に自責点はつかない。
近年で言えば、ソフトバンクのエース・千賀滉大が2020年8月11日のオリックス戦で6点を失ったにも関わらず、自責点は0だったという珍事が記憶に新しい。
ただし、世の中上には上がいるもの。この千賀以上に失点を重ねていたのに、自責点がつかなかったというケースも1度や2度ではなかった。
◆ 満塁弾を2発も浴びても“自責ゼロ”
まずは1イニングに2本の満塁弾を浴びたのに、自責点は0だったのがオリックス時代の吉井理人だ。
2007年4月1日の楽天戦。先発の吉井は0−0で迎えた3回二死満塁で、ホセ・フェルナンデスに先制の左越え満塁弾を許す。4点を失ったあと、安打と四死球で再び満塁のピンチを招くと、山崎武司にも左越えに満塁本塁打を浴びてしまった。
だが、この8失点で吉井は敗戦投手になったのに、自責点は0だった。
実は、最初のグランドスラムを献上する前の二死二塁で、高須洋介の三ゴロをグレッグ・ラロッカがお手玉。エラーが記録されていた。上でも少し触れているが、本来ならここで3アウトチェンジなので、以後の失点は吉井の責任にはならないというわけだ。
まさに「エイプリルフール」にふさわしい嘘みたいな話だったが、吉井は「エラーは関係ない。2本とも失投です」と自らのミスを認め、「ただ、(フェルナンデスに打たれたあと)四死球絡みで満塁までの過程が悪過ぎた。4点で止めとけば、今の打線なら逆転能力もあったのに…」と悔やむことしきりだった。
ちなみに、吉井以前にも、鈴木啓示(近鉄)や村田兆治(ロッテ)、高橋里志(広島)といったシーズン20勝以上経験者も、8失点の自責点0を記録したことがある。
◆ 1イニング10失点でも“自責点ゼロ”
ところが、さらに上には上がいる。2リーグ制がスタートした1950年には、大洋・林直明が彼らを上回るワースト記録を達成している。
6月7日の広島戦。2−8の4回から先発・片山博をリリーフした林は、5回に4点を失ったあと、2−12の7回には、先頭の辻井弘を二ゴロ、岩本章を中飛とたった2球で二死を取った。
そして、3人目の坂井豊司も初球を打って三直。3球で3アウトチェンジ…と思われた。
ところが、宮崎剛が落球したことから、まさかの“大どんでん返し”が起きる。
ここから1四球を挟んで3本塁打を含む8安打の滅多打ち。あっという間に10点を失ったが、宮崎のエラーがなければ無失点でイニング終了だったことから、セ・リーグ記録の1イニング10失点で自責点0という珍記録が誕生した。
この試合、林は6回を投げて被安打18の14失点で、これまたリーグ記録を達成。試合も2−22と大敗した。
◆ 自らのエラーが絡んでも“自責点ゼロ”
林や吉井の場合、いずれも野手のエラーの直後の大量失点。これで自責点が0になったのは、ルール上頷けるものがあるが、自らエラーを犯したにもかかわらず、自責点を免れてしまった“無責任男”も存在する。
その一人が、日本ハム時代の田中富生だ。
1985年4月25日の阪急戦。0−0の1回、先頭の福本豊に四球を許した田中は、盗塁と犠打で一死三塁のピンチを招いたあと、田村藤夫の捕逸で1点を失った。この失点は、もちろん田中の責任にはならないが、問題はそのあとだった。
直後、松永浩美に右越え二塁打を浴びた田中は、ジョー・ヒックスを四球で歩かせ、一死一・二塁から小林晋哉を投ゴロに打ち取ったが、お手玉して二死満塁のピンチを招いてしまう。
そして、次打者・山森雅文に中越え満塁本塁打を打たれ、計5失点。最初の1点はともかく、あとの4点は自らのエラーが絡んでいたのに、それでも自責点0。ルールの“盲点”とはいえ、どこか釈然としないものが残る。
この田中以上に“無責任”だったのが、阪急のレジェンド投手・山田久志である。
1983年8月9日の南海戦。初回に岡本圭右の右越え3ランなどで4点を失った山田は、松永の2ランで5−4と逆転してもらった直後の4回にも、ジム・ライトルに中越え同点ソロを浴びるなど、ピリッとしない。
そして5−5で迎えた8回、先頭の新井宏昌に右前安打を許した直後、一塁けん制球が左に大きくそれ、ボールが転々とする間に新井は三塁まで進んでしまう。
次打者・門田博光の左犠飛で1点を勝ち越されたが、自らのけん制悪送球が絡んでいたにもかかわらず、自責点は付かない。さらに、香川伸行と岡本に連打されたあと、岡義朗を投ゴロに仕留めたと思いきや、今度は一塁悪送球で二者の生還を許してしまう。
二死後、定岡智秋にも右前タイムリーを浴び、計4失点となったが、自責点は初回と4回の5点のみ。結果的に8回の4失点は致命傷となり、阪急は9回の松永の3ランも届かず、8−9で敗れた。
エースの背信のダブルチョンボに、上田利治監督は「怠慢プレーはいかん。こんな野球があるか!」とベンチのイスを蹴飛ばして大荒れ。山田も「けん制球はやめようと思ったんだが…。投ゴロの送球は、手が滑った」ときまりが悪そうだった。
ちなみにこの年、山田はリーグ4位の防御率3.32を記録しているが、この4点を自責点に置き換えると、3.49で8位になる。
数字に反映されなかったマイナス面をめぐり、契約更改担当者もさぞかし頭を悩ませたことだろう。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
【画像】そんなことある…?千賀が6回6失点(自責0)で勝利投手に
📰ソフトバンク👑
そんなことある…?
千賀が6回6失点(自責0)で勝利投手に
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✅ ほとんどのファンが“極上の投手戦”を予想した中、試合は不思議な大乱戦に…🧐#sbhawks pic.twitter.com/T00SkqF61k- ベースボールキング⚾🥎 (@BaseballkingJP) August 11, 2020